第19話 イヅノちゃんの斧

 明くる朝、鶏たちがコケコケ鳴いている庭先を通り過ぎてゆく。

 こやつらが鳴くおかげで夜明けと同時に目覚められるし、その時間で畑の手入れなどを済ませている。さらには卵や鶏肉などもいただけるため田舎での生活には欠かせない。


 ドアを開いて助手席に乗り込もうとするイヅノはそわそわしており、どこか落ち着かない様子で俺を見つめつつバタンと閉じた。その興奮する様子はまるっきりガキみたいだ。


「ついに修理できてしまいましたね、私の斧が!」

「ああ、さっき親父さんから連絡があったな。さっそく引き取りに行って、うまく扱えるか試そうぜ。もしかしたら狩りに使えるかもしれないしさ」


 初めて彼女に会ったとき……いや、遭遇したときと言ったほうがいいか。そのとき俺は彼女の斧を叩き壊した。斧などという前時代的な武器ではあるが、イヅノにとってはかなり愛着のあるものだったらしい。


 命をかけた戦いのなかで起きたことなのだから、イヅノから恨まれているわけではなさそうだ。とはいえ少しだけ可哀そうに思ってしまうため、しょうがなく修理に出して、ついでに改良もお願いしわけだ。そこまで高くなかったしさ。


 受け取るその瞬間を待ちきれないらしく、イヅノはそのたっぷり大きな胸に手をあてて、まるで乙女のように頬を赤らめた。


「ああーっ、この手にする瞬間を待ちきれません。コンパウンドボウも素晴らしい武具でしたが、やはり私は肉ごと骨を叩き割るその瞬間がたまらなく好きですから」


 うーん、乙女は乙女でも戦乙女バルキリーでしたか。

 とはいえ彼女の個性というのかな。オーク族らしく猪突猛進なところはあるが、高い知性と合理的な判断によって戦いかたを変えられる。コンパウンドボウの扱いはすぐに長けたし、俺からの忠告もきちんと聞くしな。


 そんな風に、にこにこイヅノちゃんに見つめられながら俺はギアを入れた。冬らしい曇天模様に包まれて、車はゆっくりと納屋から出た。

 車はぐんぐん加速して、錆の浮いた自販機の横を通り過ぎてゆく。視界の端では野鳥たちがオレンジ色の柿をついばんでいた。


「そういえば、オーク族にも鍛冶職人がいるんだっけ」

「ですね。人間族が手にするものに興味を持った者がいて、より重く、より強靭に仕上げたそうです。ただ、この世界から見たら大したことのない技術ですよ」


 そうきっぱりと言いきったイヅノに目をやると、視線に気づいたらしく彼女も赤い目を向けてくる。宝石のように色鮮やかで、まつげも濃く、長い。その表情は仲間を嘲笑するものではなく、ごく当たり前のことを口にしたように見えた。


「? 私だってテレビを観ます。人間の製鉄技術はすさまじいですね。溶岩のように熱された鉄を、ああも簡単に仕上げてしまう職人技には驚かされました」

「ああ、教育テレビかな。イヅノもすっかりテレビっ子になっちゃったな。アニメも観るの?」

「アニメ……あの色彩が強すぎるものですかね。理解しづらいのであまり観ませんが、あなたのお勧めがあれば教えて欲しい気もします」


 理解しづらい、か。うーん、変身して悪と戦ったり、少しだけ変わった男女の恋愛だったり、そういう娯楽にそもそも慣れていないのか。思い返すとスポーツ系も観ないもんな。ドキュメンタリーものにハマる理由はちょっとだけ分かる。


「俺もあんまりアニメは観ないんだよな。旅行番組は好きだけど」


 そう口にすると、彼女はパンと手を合わせつつ、花が咲いたような笑顔となった。


「いいですね、旅番組! 私、奈良に行ってみたいです!」

「奈良? ずいぶん渋いところを選ぶな。あおこはどちらかというと年配の人が楽しむところだぞ」

「あなた、知らないのですか? 奈良では鹿がうようよ歩きまわっているのですよ。どれでも捕り放題ですし、そういう旅はすっごく楽しそうだなって思います」


 あかん、この子を奈良に連れて行ったらだめだ。テレビに映されるような事件が起こってしまうし、もしかしなくても「これが流行のジビエなのですよ」などと言いかねない。

 安心してください、奈良にお住いのみなさん。俺がちゃんとオーク族を見張っておきますからね。


 さて、本題である斧についてだ。


 冬の作業場は冷たくて、コンクリートで舗装された室内でイヅノはわずかに足を開いて立つ。

 彼女は長柄の斧を手にしており、背丈よりもやや短いかなという程度。その先端についた刃の部分は三日月型で、鉄の塊みたいに厚さがあるため20キロもの重さがある。


 きっと職人が手掛けてくれたおかげだろう。以前は刃こぼれが目立っていたけれど、人でも魔物の胴体でもスパスパ切れそうな鋭利さがあった。彼女がその手を離すだけで、きっとコンクリートにヒビが生じることだろう。


 また、柄の反対側には金属製のものを取りつけてもらった。これには振り回す際のバランス改善だけでなく、そのまま打ちつけることも可能となったわけだ。こっちは真下に向かって半円形の刃がついているので、上と下で用途の異なる切りかたができる。

 ただの武器だというのに、鋼に細かな装飾をつけているのがまた憎らしいほどの職人技だね。


「イヅノ、まずは好きに動かしてみろ。気になるところがあったら遠慮なく言え。親父さんに調整してもらう」


 そう言ったとたん、ぶんぶんと彼女は振り回し始めた。

 うーん、惚れ惚れしちゃうね。開脚して前転したり、後ろ手に振り回したり、その笑顔と相まってチアガールのような軽やかさだ。実際は総重量30キロもの大斧なんだけどな。


「柄には鉄芯を入れてもらった。剛性はかなり増しただろう。前と比べてどうだ」

「まったくの別物です! 私のために生まれた武具だとはっきり分かりますね!」


 おーおー、いい笑顔だ。16歳の小娘だっていうのに汗もかかずに大斧を振り回していやがる。これには荷台に寄りかかって様子を見ていた親父さんまで「大したもんだねぇ」とつぶやいていた。


「ちゃんと扱えるのかと心配していたのが馬鹿らしいや。よし気に入った。手直しして欲しいときはすぐに言え。特別価格でやってやる」

「珍しいですね。親父さんがそんなにやる気を出すなんて」

「あたぼうよ。俺ぁ戦国時代から続いている武具職人の家系だ。それを田吾作のせがれは、銃だなんだと飛び道具ばーっかり好みやがる。ケッ!」


 あ、田吾作っていうのは俺の爺さんの名前ね。

 だってしょうがないじゃん。近距離で戦うと返り血が……ね? 汚いし臭いじゃん。鉈だってイライラしたときのストレス発散用にしか選ばないよ?

 もちろん人並外れた技術はあると自負しているが、それを活かせる相手がまずいないんだよね。だから出会った瞬間にまずはバンッ! よし帰ろう! というのが俺のやりかただ。


 と、そんな提案を聞いたイヅノは、ぴこんと頭の上に電球でも浮かびそうな表情となった。


「で、でしたら防具は可能でしょうか。動きは妨げず、手足や肩、それに腰などが守れたら、私は好きなだけ敵を屠ることができます」

「あー、防具、防具かぁ。どういうのがいいか教えてくれ。それによってはいまあるやつを改良すれば済むかもしれんが……ただなぁ、ちぃっとばかし値が張るぜ」


 うへ、最後は俺のほうにくるっと向いて、汚い大人の笑顔を浮かべてきやがった。くっそ、こっちの足元を見やがって。なにが特別価格だ。俺に隠し財産があることまで気づいていないだろうな。


 考えることしばし。俺はきっぱりとこう言ってやった。


「この際です。金のことは気にしなくて構いません。イヅノと親父さんが考える最高のものを手がけてください」


 少女みたいに顔を輝かせたイヅノとは対照的に、小汚いおっさんは「おっ!」と呻き、その口元にニヒルな笑みを浮かべる。そしていつになく楽しそうな様子で俺の背をバンと叩いてきた。


「大した漢気おとこぎだ。よっしゃ、気に入った! 絶対に後悔させないものを作ってやる。もちろん永久保証だぞ。俺が生きているあいだに限るがな」


 思わず俺も笑ってしまったよ。それってつまり、永久保証ではないってことじゃん。


 これまでに全国の鍛冶師と会ってきた。しかし、この人を超える腕前の者はただの一人もいない。

 嘘か本当かは知らないが、祖先はあの有名な大原安綱おおはらやすつなだと言い張っている。つまりは天下五剣のうちの一振り、童子切安綱どうじぎりやすつなを生み出したという伝説的な刀匠だ。

 真実か否かは誰も証明できないため、単なるたわ言だと多くの者から言われているがな。


 さて、話が決まればすぐに行動だ。


 親父さんが自慢する通り、ここには古来からの武器防具が保管されている。そのまま使えるものもあるし、単なる参考のためだけに取り寄せたものまである。

 ずらりと並んだ武具の数々を眺めていると、親父さんがこう尋ねてきた。


「お前さんはどう思う。俺よりもずっと彼女の動きを見てきてる。いい案が出ると思うんだがな」

「うーん、そうですね……」


 イヅノの動きは独特だ。斧を振り回すだけではなく、まるで斧そのものが主役であるように彼女自身が自在に動く。


「そういうわけだから既存の品では無理です。あんな動きができる者はまずいないでしょうし」

「あー、そういうことか。完全防護ではなくて、まず動きを阻害しないことを最優先するってことだな」


 うん、そうなる。これまでの戦いを観察したところ、彼女はノリノリになったときこそが最も輝く気がする。好きなだけ振り回して、好きなだけ切り刻む。そのような戦いに導いてやることが俺にとっては大事なように思えた。


「どうなんだろうねぇ。弱点をあえて晒した防具ってのは」


 白髪頭をがりがりと掻き、そんな風にぶつぶつと言う親父さんに、イヅノはおそるおそる戸惑いがちに口を開いた。


「お、おっしゃることは分かります。ですが私は守ることが苦手です。だから攻めきって相手の技を封じなければなりません。そのためには……」

「ゴリ押しできる防具がいる、ってことか」


 こくんと彼女はうなずく。

 この数日間、彼女は決して遊んでいたわけじゃない。長い時間を俺と訓練して過ごしたし、そのなかで自分の長所や足りないところをきちんと自覚した。だからこそのという結論なのだろう。


 ちなみに俺は、こいつの短所を直すことは早々に諦めている。戦いっていうのは総合力じゃない。必要以上に防御力を上げたところで、長所が失われてしまうのは明白だからな。

 戦車だって同じことだ。限界を超えて装甲を厚くするなんて馬鹿げたことは絶対にしない。あらゆる意味で無駄だと分かりきっているからだ。


 しばし目をつぶって考える様子の親父さんは、皺だらけのその目を開く。そして窓から差し込む逆光のなか、ドスの利いた声を発した。


「分かった。俺も覚悟を決めた。クソガキから大金をせしめてやろうなんて甘っちょろい考えは捨てて、本気で挑ませてもらう」


 おい、爺い。いつかピーすぞ?


「だがそのぶん協力もしてもらう。週に一度くらいでいい。お前たち、ここに来て、鎧の良し悪しを確認してくれ」


 イヅノと顔を見合わせることしばし、やがて親父さんの工房に「はい!」という俺たちの声が響く。その返事に親父さんも満足したらしく目を細めていたが、ふと気づいたように彼は横へと目を向ける。


 かつり、とヒールを鳴らす女性がそこにいた。

 身体つきは華奢であり、色素の乏しい肌をした女性だ。肌が弱いのか目元の周囲は赤く、そのぶん黒いスーツとのコントラスト差の激しさがあった。


「ああ、舞鶴まいづるさん。お久しぶりです」

「…………」


 あれ、不機嫌なのかな?

 子供のころから知っているけれど、彼女はそう愛想が良いわけではない。しかし俺には面倒見の良いお姉さんという感じで接してくれたし、こんな風に冷たい表情を見ることはあまりない。


 そしてなぜだろうか。俺ではなくイヅノと目を合わせた瞬間、二人のあいだでバヂヂッと火花が散ったかのように思えた。俺の背後で、親父さんが「参ったな」とボヤきつつ頭を押さえたのはなぜなんだ。


「久しぶり、国東君。今日はずいぶん面白そうな子を連れてきたのね。私にも紹介してくれる?」

「え? あ、ああ、彼女はイヅノと言って、ちょっと前から……」

「妻のイヅノです。初めまして」


 え、イヅノちゃん? どうして大事な斧をそこいらに放り、俺にぴとって寄り添ってきたの? いつもはそんな可愛いことしてくれないよね? 今日はなにかいいことでもあった?

 そう戸惑うのだが、しっかと彼女の腕につかまれており俺はまるで身動きできない。さすがは怪力のオーク族だ。


 なぜか舞鶴さんは顔を引きつらせて、その瞳をイヅノではなく俺に向けてきた。


「オメデ……おほんっ、おめでとう国東君。女運のないあなたにも、ようやく彼女ができたのねっ」


 なぜか最初にワンオクターブほど高い声を発した舞鶴さんは、顔や首筋に汗を垂らしつつそう言う。


「お前だって一度も彼氏ができたことなんて……」

「お父さんは黙っていて!」


 うおっ、舞鶴さんが怒鳴るところなんて初めて見たぞ。そしてなぜかイヅノが追い打ちのように「妻です」とまた言ったことが原因なのだろうか。わっと舞鶴さんが泣き出して、その場に崩れ落ちてしまった。


「わっ、私だって結婚する気で満々だったのにっ! うわああーーんっ!!」


 どうしたらいいのかまるで分からない空気が作業場に充満した。見てはいけないポンコツさを目にした気がしたのだ。ふんっ、と勝ち誇ったようなイヅノの顔も、あんまり見ないほうが良さそうだな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る