第20話 初めてのお買いもの
犬をつれて散歩する者、これから買い物に出かける者、そして近所のおばちゃん同士で会話している者、などなど。驚くべきことに、いま俺たちの目の前にはたくさんの人々がいた。
やはりというかなんというか、これまで超々々々……(以下略)ド田舎で暮らしていたイヅノにとっては衝撃的な光景だったらしく、車の助手席で過呼吸を起こしかねないほどかちんこちんに固まっている。
両手を膝の上に乗せてぎゅっと握り、目を見開いていたまま動けない。まるで借りてきた猫のようではあるのだが、こんな状況でオーク族の娘は無事にやっていけるのだろうか。そんな一抹の不安が俺の胸をよぎった。
といってもあれだぞ。大都会とは比べものにならないほどのどかな住宅地だからな。
「あー、イヅノちゃん、人間は襲いかかってこないから緊張しなくていいぞ」
「え、ええ、はい。ですが右からも左からも人が来ます。あっ、見てください。未知の四足獣をつれている老夫婦がいます。我々は非常に危険な状態に直面しているようです」
どこの探検家だよ、お前は。ジャジャーンって音楽が鳴ってCMにでも入るのか?
とまあ、こういう風に、今日は遠くまでドライブしに来たわけだ。
山で暮らしている俺は、こうして定期的に買い出しをする必要がある。洗濯洗剤など生活必需日を買い足して、ついでに面白そうなものがあれば買って帰る。その程度の軽いお仕事なんだよね。
だが本日に限っては、オーク族としての特徴があるイヅノをどうにかせにゃならん。一般市民が見ても驚かないようにしなければ、次のお出かけのときに彼女はお留守番となってしまうのだ。
バタンとドアを閉じて、でこぼこで穴だらけじゃないきちんと整備されたアスファルトにイヅノは降り立つ。
彼女のシャツにでかでかと書かれているのは「アイラブ・アニメ」という文字だ。少々野暮ったいオタク風の眼鏡。そして手にした紙袋には、最近流行っているであろうアニメキャラクターが描かれている。
おいおい、完璧すぎないか? どこからどう見ても「アニメ好きで来日した外国人」という感じだろう。ふぃー、我ながらいい仕事をしたぜ。
そう、人はだれしもフィルターで物を判断している。このような格好をさせることで「あー、はいはい。アニメ好きの外国人さんなのね。微笑ましいわ」と思わせることが可能なのだよ。まったく、俺ときたらとんだ天才だぜ。
そう考えていたとき、くるんとイヅノが振り返ってきた。
「空気がざわざわします。どうやら無数の敵がいるようですね」
「いねーよ。ド田舎と違って、ここは人で溢れている……ってほどじゃないか。群馬だもんな。ちらほらと見かける程度だけどさ、うちみたいに静かじゃないんだ」
今日はそれに慣れるように、と伝えてから俺たちは歩きだす。目指すは食料品店だが……と考えていたときにふと気づいた。
あ、長い耳を隠し忘れてたや。
目の前でぴこぴこ揺れているものを、じーっと見つめる俺。しょうがないか。洋服のことしか考えてなかったし、耳もコスプレの一環だと勝手に思ってくれそうな気がしなくもない。
「? なにか?」
「いや、いい。それよりもイヅノ、今日はオーク族だと絶対にバレないように気をつけるんだぞ」
「ふふ、任せてください。こう見えて、私は人としての振る舞いもきちんと学んでいるのですよ。これまでに悟られたことはありませんし、その点については未来永劫、必ずや守りきれることでしょう」
なにそのドヤ顔。大きな胸に手を乗せて、ふんと鼻息まで吐いちゃってまあ。
それと、なぜか知らんが不安しか感じない。ちょっと歩いただけで「わわわ私は決してオーク族ではございませにゅ!」などとわめきそうな予感しかしない。
確かに彼女の言葉遣いは丁寧だし、これで気配りもちゃんとできる。愛嬌のある美人さんという感じではあるのだし、そもそもオーク族はでかくて恐ろしいモンスターだと人々は考えている。普通に考えれば怪しまれることなどまずない。
しかし、目の前の自動ドアが開いた瞬間、彼女の瞳は見開かれた。
「み、見ましたか? い、いま勝手に動きましたよ……」
「ああ、自動ドアだからな。怪奇現象じゃないんだからさっさと入れ」
めっちゃ震えた声で、イヅノはふざけたことを言っていた。
そういえば俺たちのショッピングはシャッターを手動で開く、ないしは要モザイクなマル秘テクニックで鍵を開けるところからスタートしてるもんな。
こらこら、恐怖で引きつった顔を浮かべるな。お前はごく普通のアニメ好きな外国人さんだろうが。オタクの聖地、秋葉原を崇めよ。
店内はおばちゃんたちでごった返しているし、照明はまぶしく感じるほど明るいし、すてんと転びかねないくらい床はぴかぴかだ。さらにはものすごく目立つであるイヅノの風貌に視線がギュンッと集まってきた。
でも負けんなよ。オーク族の誇りってやつをさ、あいつらに見せつけてやろうぜ。
「お、おお、お先にどうぞ! わ、私は後方援護に回ります!」
しゅばっ、という速度でイヅノは俺の後ろに隠れた。
両手を俺の肩にのせてきて、すぐ背後から「うわあー」「うわー」という声が聞こえるとだね、俺としてはのんびりショッピング気分にはなれないんだけど。
あちこちきょろきょろ見つめている様子であり、野暮ったい眼鏡の奥は涙目となっていた。それもこれも普段とまったく異なる光景なのだから仕方ないと思っていたとき、不意に彼女の瞳は輝く。
「あっ、美味しそうな匂いがしますよ、誠一郎さん!」
「試食コーナーだ。イヅノ、あのおばちゃんから受け取ってみろ。美味いぞ」
おっかなびっくりの様子だったが、食欲が生じると態度も変わる。爪楊枝に刺したものを受け取るときに、ぱっと子供みたいな笑みを見せていた。
チーズを挟んだ揚げものかな?
しゃこっ、といい感じの音を立てたイヅノは、たまらず「んーっ♡」と呻く。そして唇に衣がついているのも気にせず、視界いっぱいに彼女は笑いかけてきた。
「あっちにビールコーナーがあります。行きましょう!」
「どうしてそういうところだけ覚えるのが早いんだよ。待て待て、落ちつけ。引っ張るな。いくら美味いツマミがあったとしても店内では禁酒だぞ」
ガンッ、とショックを受けているようだが、お店のなかで飲んだらそりゃあ怒られるに決まっている。とはいえ酒の買い足しも重要ミッションのひとつであるのだし、よいしょよいしょと大量の酒をカゴに入れる。
長期保存の効く食料というと、缶詰や乾物、それに調味料などが中心となってしまうのであまり好きなものを選べない。とはいえショッピングの日くらいなら好きに選んでいいだろう。例えば鮮魚や果物、それに野菜とかだな。
「砂糖、塩、醤油。米はこれで十分だし、洗濯洗剤も買い足した。必要なのはこれで全部か。おいイヅノ、お菓子も買っていいぞ」
「オカシ?」
「甘いのとかしょっぱいのとか、いろいろあるけど好きなのでいい」
彼女はもう一度「オカシ」とつぶやいて、ずらっと並んだ陳列棚を眺めていた。
うちの近所にある廃墟みたいなスーパーと違って、嗜好品であるお菓子が所狭しと並べられている。だからイヅノは戸惑うし、チョコレートやチップス、それに飴などのあいだを歩いてゆく。
無意識なのかな。彼女の口から「わあ」という歓声が漏れて、その瞳はカラフルな色彩に魅せられたかのように輝く。
イヅノはオーク族としての生きかたをやめて、人間と暮らす日々を送っている。それは決して本人が望んでいないものだったが、こうして初めて目にするものを楽しめているのは喜ばしい。
微笑ましい外国人さんのコスプレをイヅノにさせたが、もしかしたら俺こそが最も微笑ましく見守っているのかもしれない。彼女が吟味しているあいだ、俺はゆったりと待つことにした。
やがて「ありがとうござしましたー」という声を背に受けて、俺たちは自動ドアをくぐった。
ふんふん、ふふーん、と鼻歌を漏らす彼女は上機嫌だ。
いつもの避難区域に向かっているため、人も車も減りつつあるが、そんなことでは彼女のご機嫌さを曇らせることはできない。なぜならば、車のダッシュボードの上には開封されたばかりの菓子があるからだ。
たけのこみたいな形をしたものには子供が好みそうなチョコレートがかけられており、ひとつひとつ大事そうに彼女は食べる。そして気まぐれのように彼女の手が伸びてきて、甘い菓子がころんと俺の口に入れられた。
「ン、甘くて美味しい」
「ふふっ、美味しいですね。分かりましたか? 私の観察眼がいかに優れているのかを」
「よし、じゃあこれからはイヅノをお菓子担当に任命しよう」
「っ! そのような重要な役目がこの私に……! 誠心誠意、全力で任務をまっとうさせていただきます!」
どうして婦警さんみたいに、ビシッとしたポーズをすんの?
イヅノがにっこりと目を細めてきたので、つい俺まで笑ってしまったよ。
うん、今日はなかなかに良いショッピングだったんじゃないかなぁ。また一緒に来ても良さそうだ。
などと思いつつ、俺はじっくりとアクセルを踏んでゆく。どうせここから先は、速度制限を見張るおまわりさんなどいないのだ。
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