第13話 あいつを殺して覚えろ

 山沿いにある渓流は自然が溢れており、以前であればハイキングする者も多かった。しかし魔物が出現するようになって、人々は自然と触れあうことをやめた。


 歩きやすそうな小道は荒れつつあり、山の一部として同化しつつある。しかし数歩先さえ見えない真っ暗闇のなか、チチッとかすかに光るものがあった。

 続けて、ズシッという重い音が響く。


 月明りが照らすのは、半ば獣毛に覆われた隆々とした筋肉、そして逞しく雄々しい角だ。その動物と呼んで良いのかわからぬ存在が、ズシ、ズシッ、と地響きを立てながら小道を踏み荒らしていく。まるで危険を知らせるかのように、その魔物の周囲でチチッとまた光る。


 あの山をぐるりと覆うように設置された円筒状の金属は、政府要請により製作されたセンサーだ。鈴のマークは五十鈴製のものだと知らせており、高い精度と恒久的な動作を保障するものでもある。


 獰猛な獣がいま山に踏み入った。




「はい、はい、モンスターの出現です。お夕飯の前に軽~い狩猟ハンティングをして、いい気分になって帰宅しましょう。イヅノちゃん、質問は?」


 そんな感じで話を振ると、イヅノは眉間に愛らしい皺を浮かべつつ見つめ返してきた。


「はやく殺りましょう」


 うーん、戦闘民族ぅ。軽い口調で緊張をほぐそうかなって思ったけど、その必要はぜんぜんなかったみたいね。てへ。


 黒いマスクで鼻から下を覆い、山を走り回れる服に着替えたイヅノは、さながら暗殺者のようでもある。

 俺はというと、対照的にだるっとしたジャージである。胸に「くにさき」とひら仮名で書いてあるのがちょっと切ない。


「あなた、山を舐めているのではないですか?」

「いいんだよ。どうせ汚れるし、破けるなら安いほうが助かる」


 そう答えつつ俺は靴を履く。鋼製芯入りスパイクがついているので、荒れた土地でも急こう配の坂道でも楽に歩けるだろう。

 手にするものは普段通りだ。上下二連装式のかっちょいいライフル、扱いやすいグリップつきの鉈、それに必要な道具を詰め込んだリュクサックなどである。


 立ち上がって玄関から出たところ、イヅノは山のほうをじっと見ていた。気負っている様子はないし、かなりの自然体だ。戦い慣れている者の風格があって、少しは安心できたかな。


「よし、行こうぜ。イヅノは戦いが好きそうだな」

「相手によりますね。逃げるときはさっさと逃げます」

「そのほうがいい。あれこれ相談できないだろうし、基本的には自分で判断してくれ。ただし、合図だけは欲しい」


 家を離れるとすぐ真っ暗闇に包まれる。お互いに夜目が効くので、もちろん懐中電灯など点けない……って、あれ? もしかして風呂場で俺の裸がばっちり見られてた? 


「? あなたも見ていましたよね」

「あー、うーん、そうなんだけどさ、こっそり盗み見るのが男の浪漫なんだよ」

「そうでしたか。それで、私の肌は魅力的でした?」


 やや吊りがちな瞳で、じいと見つめながらそう言われた。

 背丈が俺とほとんど変わらないから、気の強そうな彼女の顔はすぐ近くにある。幻想的だと思える長い耳、浅黒い肌、そしてまっすぐ見つめてくる赤い瞳により、頭がぼうっとしそうだった。


「あー、うーん、どうだったかな。暗くて見えなかったかも」

「すごく見られているなぁって感じたのは、私の気のせいでした? 気恥ずかしくて死にそうな思いをしたのですが」

「もしかしてイヅノちゃん、俺のもガン見した?」

「…………」


 しばし無の表情を見せたあと、さっとイヅノは顔を逸らす。どんな表情になっているかは分からないが、先ほどまでと違って歩調を乱れに乱れさせていた。


「し、仕方ありません! わ、私は人間の肌に不慣れなのです!」

「あー、オーク族だもんね。イヅナ、ここから先は私語厳禁で、なるべく足音と気配を消してくれ」

「……了解しました」


 おっとぉ、意外にやる。スッと俺の影に入ったと思えば、誰もそこにいないのではと思うほど静かになったんだ。思わず振り返ると、後ろにいたイヅナは「なにか?」と言いたげに小首をかしげていた。


「その調子で頼む」


 あら、マスクのせいで目元しか見えないけど、目が線になるまでにっこり笑ってくれた。めっちゃ可愛いね、こういう顔。


 俺はガキのころから山を歩き回っていた。だから夜でも平気だし、冬の静まり返った寂しさにも慣れている。きっと彼女も似たような生活をしたいたのだろう。自然の一部に同化しているような様子に、イヅノがどのような生活をしていたのか一端だけ感じ取れた気がする。


 山に踏み入って三時間ほど経ったころ、俺は尾根の見晴らしがいいところで片膝をつく。同じようにイヅノも隣に膝をつき、闇に包まれた景色に目を向けていた。


――あそこにいる。


 そう指で示すと彼女の瞳は薄く細められた。

 雄牛のような角、筋骨隆々とした身体、そして手にする大きな槌は大型の車でさえ一振りでぺしゃんこにされそうだ。


 うーん、たぶんミノタウロスかなぁ。知らんけど。あれでしょ。迷宮にいる引きこもりで、入ってきた人間を食べちゃうんだよね。

 うわあー、おっかないよぉ。などと言えるのはゲームさえまともにやっていないほどピュアな心の持ち主だろうし、現代人な俺としては「さっさと殺して帰ろう」としか思わない。


 ったく、無駄な時間を使わせやがって。草食なクソ雑魚モンスターのくせして、うちの山でウロチョロするなんて斬首刑モノですわ。


 とはいえ正面から相手するのは非常にダルい。銃をブッ放したいところだが、それはそれで金がかかったり弾の記録をつけなきゃいけなかったりでめんどい。

 なので「射っていいぞ」とイヅノに指で伝えると、彼女は嬉々としてコンパウンドボウを組み立て始めた。


 そこそこ高価な品であり、取り扱いには十分な注意が必要だ。狩猟では認められていないけど、ああいうクソ雑魚モンスターが相手なら話は別だ。警察官もにこにこ笑顔で「ご苦労様です!」と言ってくれるさ。知らんけど。


――バヒッ!


 おーおー、躊躇なく射るねぇ。かなり遠くからギッという悲鳴が聞こえてきたし、たぶん当たったんじゃない?


 しかし精度が高いわけじゃない。屋内と違って風があるし、そうでなくとも木々や藪が邪魔するし、的も勝手に動いてしまう。当たり前だが、初手以外で当てるのは難しそうだった。


 二射、三射と続けたあたりで、ひづめの立てるドスッドスッという音が聞こえてくる。ようやくイヅノの位置に気づき、反撃に出たのだろうか。庭の雑草でも食っていそうな低能モンスターの姿が大きくなってきた。


「ブモオオオオオオオッ!!」

「臆すな。勝手に近づいてくる馬鹿な的だと思え。そして、自分だったら最も嫌であろう部位を狙うんだ」


 高速で坂道を駆けあがってくる相手にビビらないわけがない。イヅノは近接戦闘用の得物を手にしようか悩んだのだろう。少し腰が引けてしまう様子だったが、キッと鋭い視線を浮かべてから狙いすました矢を放つ。


 カツーン!


 いい感じに立てる乾いた音は、見るまでもなく頭骨を貫いた音だと分かる。そして続くのは、けたたましい悲鳴だ。目玉を刺し貫かれては、猪突猛進な動きは当然のこと鈍る。


 ガツッ!


 間髪入れず、目玉のところを押さえていた毛むくじゃらな手のひらごと矢が貫いた。さすがはオーク、いやらしい攻撃をするのが得意だねぇ。


「急所を覚えろ。心臓、肝臓、胃。腕と脚の内側もかなり効く。オークとしての力を失ったぶん、力任せ以外の技術を覚えるんだ。あいつを殺して学べ」


 すとッ、すとッ、すとッ、と俺が口にしたところへ次々と矢が吸い込まれてゆく。おほっ、やるぅ。


 骨と骨のあいだに打ち込まれたのは、狙っていたのかそうでないのかは判断しづらい。しかし弓を引いているイヅノの目は爛々と輝いており、果てしない闘争心に燃えているのは確かだろう。彼女は飛び道具によるとても簡単な殺害方法を学びつつあった。


 すらりと腰から抜いたのは、愛用している俺の鉈だ。年季が入っており、迫力がにじみ出ているのは何体も魔物を屠っているせいかもしれない。


「こういう武器を探すことだ。効率よりも、使っていて楽しいと思えるものがいい。とどめを刺すのにちょうどいいしな」


 そう歩きながら教えてやる。

 先ほど私語厳禁と言ったが、もう警戒する必要はないだろう。うずくまった巨体からは、とめどなく黒い血がしたたり落ちている。息も絶え絶えという様子であり、身体のあちこちに矢が突き立っていた。


 いくら反撃したくとも動くだけで激痛が走ることだろう。俺たちを睨むので精一杯という様子で、こいつマジで雑魚だなぁと思った。ったく、無駄に歩かせやがって。


 ざくッッ!


 振り下ろした一刀は頸動脈を分断して、ドッと溢れ出る血の匂いがあたり一帯に立ち込める。目玉はすぐに濁り、ズンと地面に顔から突っ伏したあと動かなくなった。


 ぱんぱかぱーん! などいう華々しい音楽など鳴らない。ひゅうと冬の冷たい風が吹き、流した汗のせいで身体が一気に冷える。はやく家に帰りたいと考えるのが俺にとっての狩りだ。


 もしも売れる部位があれば解体も済ませるところだが、この暗さと冷たさでは面倒くさすぎる。

 さて、記念すべき初勝利だが、イヅノはどんな様子だろう。


 ようやく弓を下したイヅノだが、はっはっと白い息を吐き続けている。そしてほっそりとした喉をごくっと鳴らして、ゆっくりと俺を見つめてきた。


「ちっ、血が滾ります。私の全身に、あの魔物の血が駆け巡っているのが分かります。そう、あいつは輪から外れたのです」


 輪? ああ、車内で口にしていたやつか。確か殺戮と輪廻の輪とかなんとか言ったかな。


「お、おい、大丈夫かイヅノ」


 足元をよろけさせる様子に、近づいてみるとイヅノは俺に抱きついてくる。衣服ごしでも体温が高すぎると分かったし、あの不届き者も倒し終えた。ならば早いとこ戻ったほうがいいと俺は結論づけた。


 俺にとってはさ、重い荷物なんて屁でもないんだ。熱い熱いとうわごとのように言うイヅノをおぶっても平気で下山できるし、間違っても道に迷ったりしない。


 出発したときよりも月は高く上がっており、山の尾根のあたりに人工的な建造物がわずかに見える。ミノタウロスはきっとあそこを目指していたのだろう。


 ふうふうと首筋に吹きかけられる息を覚えつつ、俺は脚早に下山した。まあ、なんつーか普通に心配だったしさ。

 一人きりのときは気楽だったなと思いつつも、見た目よりもずっと重い身体を背負うことに悪い気はしなかった。


 さっさと家に帰って、イヅノの容体を調べるとするか。

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