第12話 俺、屈したわ

「ふんふふーん♪」


 助手席に腰掛けるイヅノは上機嫌だ。さっきあげた弓がだいぶお気に召したらしく、大事そうに抱いていた。

 そういう無邪気な姿は子供みたいで微笑ましいが、変なもんを射らないように注意しておかなきゃな。


「あとで手入れの仕方を教えてやるよ」

「ええ、お願いします。信じられません。まるで私の一部のようでした。誤差なく的を射ったのを見ましたか? あれは腰にクるほど気持ち良かったです」


 おーおー、頬を赤くさせるほどのハイテンションぶりだ。

 にこにこ笑うとイヅノの美人さはさらに強調される。お高くとまったお嬢様面しているからそう思うのかもな。実際はアホ寄りだったり、これで愛嬌もあったりするんだけど。


 がたごとと進む田んぼ沿いの道は、茜色に焼けている。

 手入れをしていない田畑は荒れ果てており、どこか寂しさを俺は覚える。とても良い土地なのにもったいないし、子供のころの情景が壊されていくのは忍びない。


 そんな視線に反応したのだろう。イヅノは手元から窓の外に視線を向けて、しばし大人しくなった。


「あなたはずっとこの村に住んでいたのですね」

「ああ、子供のころからな。イヅノには懐かしく感じる故郷や景色はあるのか?」

「……こう言うと引かれてしまうと思いますが、逃げ惑う民と焼け落ちてゆく建物の様子がとても懐かしいです。あのころの私は無知で、浅はかで、まるで子供のようでした」


 あー、うーん、どう返事していいか分かんねえな、これ。

 横顔だけ見るといいことを言っているみたいだけどさ、すぐ隣に殺戮モンスターがいるってことじゃんね。まあ、オーク程度ならわけもなく「ブヒィッ!」って泣かせるけど。


 しばし考えて、俺は再び問いかけることにした。


「たとえばだけど、この村を焼きたいって思うのか?」


 ふるふるとイヅノは首を横に振る。窓の外を見ているせいで表情は分からなかったが、たぶん複雑な心境なのだろう。


「私は輪から放り出されました。もう二度と、彼らに加わることはできません。だから懐かしいと思えたあの情景を追うことはないでしょう」

「輪? 友達の輪みたいな?」

「輪廻と殺戮の輪です。肉体と魂の巡りを永遠に続ける行為です。だから……」


 くるんと綺麗な顔がこちらを向く。

 耳は長いし角もある。浅黒い肌が夕焼け色に染まっているものだから、なんだか幻想的な絵面だなと俺は思った。


「昨夜、寝ているあなたに、黙って口づけしました」

「……は、え?」


 突拍子もない発言に、思わず慌てる。慌てないわけがないし、童貞ちゃうわと誰にでもなく反論したくなる。

 いや、分かっているよ。寝たフリをしていただけで、ちゅっとされたのは知っている。だけどなんでいまカミングアウトすんの???


「か、勘違いしないでください。決してやましい気持ちでは、あ、ありませんし……な、なくはないかもしれないけど……とっ、ともかくですね、私は!」


 ひたりと冷たい手でにぎられる。

 整った爪は小さくて、やはり女性だなと俺は思う。

 いつの間にかブレーキを踏んでいて、がたごとと小さく車が揺れたあと、雑草だらけのあぜ道で止まった。


「ご存じの通り、私はあなたの嫁になりました。これからずっとあなたと同じ道を歩みます」


 …………。


 はい、ええ、まったくご存じではありませんね。

 え? 待って? 妻ってなに? そういう流れだった?


 俺はなにか大事なことを見落としていたのではと思いはするが、この非モテ党におけるトップであるこの俺に、まさか黒髪美女の嫁ができただと?


 衝撃は計り知れない。

 もしもご近所に核爆弾が落ちたとしても「後にしてください」と俺は真顔で言うだろう。


「い、いつそう決めたんだっけ?」

「本契約、しましたよね?」

「えー……、あー……、このあいだのやつ? なんか洞窟みたいな景色で、お前が押し倒してきたアレ?」

「むっ、ちゃんと本契約しました! 夫としての自覚はないのですか!?」


 えぇ、嬉しいけどぜんぜん自覚はないっすね、はい。そもそも初耳だし。


 そんな煮え切らない俺の態度に呆れたのだろうか。褐色の頬に赤みが差して、彼女は瞳だけ横に逸らした。


「じゃ、じゃあ、これからしたらいかがですか、本契約を」


 そう言い、ちらちらと見つめていた彼女の瞳はゆっくりと閉じられる。わずかに顎を上げて、とてもやわらかそうな唇をこちらに差し出してくるのはどういう意味なのだろうか。


 化粧はまったくしていないけれど唇は鮮やかで、健康的な光沢まである。そこには魅力が溢れており、俺の脳髄を溶けさせるには十分だった。


 あそこに触れたらきっと気持ちいい。それは分かる。先ほどから甘い香りが漂っており、車内に充満しつつあるのだ。半端な理性を総動員しても、恐らくはこの魅力から逃げる術はないだろう。


 数分後、車は再び走り出す。


 助手席のイヅナは先ほどからうって変わって静かになり、赤い顔をしたまま唇を指先で覆っている。

 一方の俺もまた、信じられないほどのやわらかい感触が忘れられず、いつになく無口だった。


 …………すまん、俺、屈したわ。


 結局、家につくまで会話のひとつもなかったけれど、脱衣所から「早くお風呂に入りましょう」と誘われて、ほいほいついていく俺だった。


 あのさぁ、こういう場合は戸籍とかどうしたらいいの?

 所得税と住民税と医療保険は!? あと子育て支援制度はまだやってますかー!?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る