第9話 守ってやりたい、この笑顔

 カン、コン、という音が響く。

 翌朝の空は綺麗に晴れ渡り、木製の棒が立てる音はどこか爽やかだ。


 俺と相対するイヅノは、身の丈と同じくらい長さのある棒をひゅんひゅんと振り、やや不意打ちぎみに打ち込んできた。


 頭にでも当たれば頭蓋骨がやられるだろう勢いだが、斜めに構えた俺の棒を滑ってゆく。そして腹のあたりで弾いてみると、彼女はバランスを崩さないよう軸足で回転した。


「いい朝ですね。とても清々しい気分です」

「だな。昨日はちゃんと眠れたか」

「……恥ずかしいことに、寝たことさえ気づけませんでした。あの柔らかな布団というものはダメですね。オークをダメにします」


 はは、大丈夫だよ。オークはもともとダメなんだし。などという言葉が口から出てきそうになったので、慌てて飲み込む。


 そうそう、飯を食ってすぐにイヅノがうとうとし始めたから、さっさと寝ることにしたんだよね。

 最初のうちは枕についてたくさん質問してきたが、横にさせたとたん、ころんと落っこちるようにスヤァと眠ってしまった。びっくりするほど寝つきがいいなと思ったもんだよ。


「嫌なら布団を片づけるしかないな。俺は床で寝ても平気だぞ」

「まさか! あの素晴らしき布団を使わないなんてもったいない!」


 などと話しつつも、イヅノは絶え間なく打ち込んでくる。

 同じように弾くのもつまらないので、いなし、かわし、たまに反撃も混ぜてみたのだが、彼女の体幹は一度もぶれることなく、絶え間のない打ち込みが続いた。


「おし、身体が温まってきた。本気を出していいぞ」


 そう言うやいなや、イヅノの黒髪がふわりと浮き上がる。先ほどと異なり、かすかに殺気を帯びた目つきだが、マジで殺す気じゃねえよな?

 目玉を狙うような突きはなかなかで、ゴリィッと棒で逸らすための腕力がそれなりに必要だった。


 近づいてきた可愛い顔に、肘を叩きこんでみる。

 それをかわそうとしたらしく、のけぞった彼女の頬がパンと鳴る。肘突きから裏拳への変化までは読めなかったらしい。


「うーん、やりますね。私が人体の扱いに不慣れなところを突くとは。陰険で陰湿なあなたらしい」

「参ったら降参していいぞ。罰ゲームは家の掃除だ」

「はは、誰が参るものですか!」


 まったくダメージが無かったらしく、たたらを踏むことなく彼女は飛び込んでくる。しかし猪突猛進な感じであり、女性の身体に変わった今、恐ろしさは猪にも劣る。


 ぺんぺんと幾度もデカ尻を叩いてやり、午前中いっぱいを使ってようやくイヅノは負けを認めた。


 なんだよ、ご立派なのはそのケツと胸だけかよ。

 あー、あと顔もそうだな。めちゃくちゃ美人だし、嫁にしたい女ナンバーワンだよ。




 ごっし、ごっし、と雑巾がけをするイヅノは涙目だ。

 よほどの負けず嫌いらしく、掃除しているあいだずーっとぶつくさ文句を言っている。そういうところはガキみたいだなーって俺は思う。


 あんぐと餅を齧ろうとしたとき、遠くからじいっと睨まれていることに気づいた。


「いいですね。勝った人はのんびりできて」

「そうだねー、勝者の特権だねー。うん、お餅が旨い」

「くっ……! ほんっと嫌いです! あなたのそういう意地悪なところが大っ嫌いです!」


 うーっと唸りつつ涙目で睨まれるとなぁ。子供みたいで可愛いなと思うのは俺だけか? 

 とはいえ賭けに乗ったのは彼女自身なので、救いの手を差し伸べはしない。むしろ煽る。だって楽しいから。


 とはいえ遊んでばかりもいられないか。

 ぱんぱんと手についた粉を叩き、俺は縁側にあった靴を履く。


「あ、これから熊の解体するけど来る?」

「えっ? 行きます行きます、楽しみですね」


 えー、なにこの笑顔。

 熊の解体を楽しみにする女子なんて日本にいないと思うよ?


 とはいえオークの血を流す彼女は別だ。

 納屋に運んだ熊を吊るして、皮を剥ぐあいだも嫌な顔などしない。むしろやらせて欲しいと言いだして、午後いっぱいをかけて解体し終えた。


「なるほど、臓物を山で抜いていたのはこのためでしたか」

「うん、手間が省ける。あと、ここの山にいる熊は異常なほどでかいからな。少しでも軽くしたいんだ」


 えっちらおっちら麓まで運ぶのは大変だったぜ。

 それを彼女が手伝ってくれたのは助かったし、でなければ翌日に山で解体するハメになっていた。


「あとはしばらく熟成させて、食いごろになったら……」

「楽しみですね、熊料理!」

「業者に売る」

「は!? なんでですか、あんなに苦労したのに!」

「こんな量は食いきれねえよ。だったら金に換えて、違うものを買ったほうがいい」


 そんなぁー、とイヅノは眉間にしわを浮かべて悲しそうにする。おまけに腹のあたりからギュゴオオという大きな音がした。

 えぇ……? こいつの食欲どうなってんの? さすがはオークだって褒めるべきところかなぁ。


「まあ、幾らかはうちで食おうぜ。一番美味い部位をさ」

「そうしましょう! そうすべきです! はああー、楽しみですねー。巨大熊のお夕飯かぁ。きっと凄く美味しいでしょうね」


 赤い瞳がきらきらに輝いている。ゆるんだ唇によだれが垂れていなければ美人さんなのにね。


 と、片づけをしていたときに、ふと気づく。トラックの荷台に置きっぱなしの物があることに。以前、イヅノが愛用していた武器だ。


「そうだ、俺が壊した長柄の斧だけど、これから修理を依頼しに行くか。幾らか蓄えもあるし、多めに金をかけてもいいな」

「! やりますね。しばらく観察して分かりましたが、あなたは私のご機嫌を取る術が卓越しています」


 い、いや……、普通の女ならまず喜ばないから。熊でも斧でも。

 とはいえ不安がないわけではない。よその人に彼女を見せるのは初めてだし、ひょっとしたら大騒動を起こしてしまうかもしれないのだ。


 んー、まあいいか。どうせいつかは通る道だし、もし暴れたら力づくで押さえつければ済むしな。凄まじい怪力だといっても所詮はオークだし、とっ捕まえればいい。山で鍛えた俺の敵じゃねえっぺよ。


 というわけで出発である。


 初日よりもイヅノは車に慣れたらしく、ふんふんと鼻歌を漏らしそうなほど浮かれた様子だ。とはいえドライブが楽しいわけではなくて、これから修理してもらう斧によっぽどの思い入れがあるのだろう。知らんけど。


「誠一郎、これから鍛冶師の元に向かうのでしょうか」

「ああ、年寄りだがなかなかの腕利きだ」

「うーん、素晴らしい。わくわくします。こう見えてオーク族は鍛冶に長けた者が多くて、職人が重宝されているのですよ」


 へえ、知らなかった。

 そういえばイヅノみたいに武骨な武器を持つ奴らが多いし、よくよく見ると細かな装飾まで施されている。どこで拾ったんだろうなと思っていたんだ。


「ですので楽しみです。人間族の職人にとって、私の自慢する斧がどのように評価されるのかが」


 青空によく映える笑顔だ。

 この笑顔を守ってやりたいと思いはするが、そんな誓いはすぐに破られた。


「ゴミじゃな」

「はっ……?」


 職人である親父さんの一言で、イヅノの笑顔はすぐに消え失せた。

 さすがの俺も忍びないというか、うまいこと言ってあげて欲しいなと気遣ってしまうほどの表情だった。


「親父さん、困りますよ。あんまりズバッと言わないでください」

「あー? ちゃんと見てみろ。幾つかの工程をすっ飛ばすから、こういう風に錆が浮く。手入れもまともにしていない。歯こぼれがひどい。第一、まともに持てる者などいないだろう」


 え? ああ、重さのせいかな。

 とはいえ俺だって持てるくらいだし、だいたい20キロくらいなら女でも平気じゃね?


 そう思い、俺とイヅノが軽々と持って見せると、吉留のおっさんはしばし眉間を揉みほぐす。


「……どうも最近の常識ってもんが分からんな。まあいい。魔物にどうやって対処しているのかさえ想像もつかん。国東くにさき、こいつはどこまで仕上げる? 見たところ柄だけじゃなくて、金属のところもちゃんと手掛けたほうがいいぞ」

「なら全体的にお願いします。イヅノ、太さや長さとしてどれくらいがいいのか一緒に見てくれるか? 寸法を測ってもらいたい」


 職人のいいところは話が早いところだよね。

 松竹梅というグレードの異なる費用を提示してきて、こちらが最高額で了承するやすぐさま工具を持ち出してくれる。そして仮の棒を取りつけると、イヅノに触ってみるように言ってきた。


 ぶんぶんぶんと振り回すことしばし。

 朝にやった棒術稽古のように軽々とした動きであり、俺でさえ信じられねえ気持ちでいっぱいだ。たくましい太ももや腹筋、背筋と理想的なまでに鍛え上げられた身体だからこそできる芸当だろう。


 そんな様子を眺めていたときに、こそりと親父さんから話しかけられた。


「とんでもない美人じゃのう。お前さんの友達か?」

「ええ、まあ。遠方の親戚ですかね」

「異国の親戚がいるとは知らなかったな。おまけに耳が長い」

「そういう血筋なんすかね。俺も詳しく知らなくって」

「あと尻と胸がすごい」

「やばいっすね。昨日、一緒にお風呂に入ったんですけど……って、うわあ!」


 ゴスンと足と足のあいだに斧が突き刺さって、俺はもう漏れそうな気持でいっぱいだったよ。なにがとは言わないが。

 しばし無の表情をしていたイヅノは、にこりと鬼みたいな笑みを浮かべた。うわ、背後にオーク族のオーラが滲み出てやがる。オオオという幻聴まであった。


「これでちょうどいい長さと太さです。誠一郎さん、あとでお話があります」

「お、おお……。あんまり怖いこと言わないでね」

「寸法は分かった。このおっかない娘を連れて、さっさと帰れ」


 あーあ、追い出されちゃったよ。

 とはいえ大した騒動にはならなかったし、かかる金額もこれまでの貯えでなんとかなりそうだ。


 帰りのドライブのあいだ、ずーっとグチグチ言われたことを除けば良い一日だったろう。

 そういえば舞鶴さんに挨拶できなかったなと思いつつ俺は帰路についた。




 とんとんとん、と階段から足音が響く。

 まず黒のスラックスを履いた脚が見えて、次に細く引き締まった身体が現れる。

 室内でありながらスーツにネクタイという組み合わせというのはおかしく感じられるが、それよりも背中に吊るした日本刀のほうがずっとおかしい。


 陽をまったく浴びていないように思える肌は透けるようで、そのせいかわずかにつけた紅が殊更に映える。にこりと彼女は笑みを浮かべた。

 だれもが美しいと認めるものの、近づきづらい印象のある女性である。


「彼、もう帰った?」

「おお、舞鶴まいづる。今日は挨拶しなくて良かったのか。このあいだは、わざわざあいつの家までランニングしたんだろ?」

「仕事があったし、挨拶くらいならいつでもできるから。それと変な子も一緒だったし」


 うん? とつぶやいて職人の男は眉を吊り上げる。

 そして思い当たることでもあったのか「ああ」と声を上げた。


「珍しい肌の別嬪さんがいたな。親戚だとかなんとか言っていたが、本当かどうかは分からんぞ。こんな辺鄙へんぴな場所に、いったいどうして来たんだか」


 くすりと舞鶴は笑う。

 無骨な男の娘とは思えない気品が漂うものの、瞳には剣呑な輝きが帯びている。まるで彼女の正体を知っているような笑みだ。

 そしてなぜか、わっとものすごい勢いで彼女は怒鳴った。


「私が先に目をつけてたんだけど!」

「は? なにがだ?」

「だから、幼馴染の特権! 子供のころから目をつけてたし、小さいときは『お姉ちゃん』って呼ばれていたのよ! 国家公務員資格を得たし、魔物退治でも協力しあえるようになったのに……あー、クソっ、邪魔者なんて出てくるはずがなかったのに。どうして? なんで? もしかして国東君は巨乳派だった!?」


 まるでこの世の終わりのような表情で、頭を抱えてわなわな震えだす様子に、父親である男はもはや呆れることしかできない。


「そりゃあおめえ、彼氏が一度もいないせいで奥手になってるだけじゃ……」


 彼の指摘はまさに正解なのだが、ギンッとものすごい目つきで睨まれてしまい、すぐさま黙る。外面はいいくせに、家のなかだと舞鶴は恐ろしいのだ。

 そんなことを思う男の前で、ぎりりと彼女は唇を噛む。


「見てなさい、あの娘。とっちめてやる」


 などと涙目で不穏なことを言う娘に、男は呆れのため息を深々と吐く。そして「顔だけはいいんだけどなぁ」という言葉は、さすがにちゃんと呑み込んだ。

 見た目によらずデリカシーのある親のようだ。

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