第8話 お風呂イベントは唐突に

 困った。困り果てた。

 俺と同様に、目の前にいる女もまた困っていた。

 夕暮れどきの薄暗い脱衣所で、なぜ二人して困っているかというと……。


「お願いします! ぜんぜん手順が分かりませんので、最初だけ一緒にいてください! すごく嫌ですけど仕方ありません!」

「ふ、風呂場は困るよ、君ぃ。そこは法律でちゃんと禁じられていることであって……いや、そんな法律はないか。ともかくダメなものはダメだ」


 そう、どうやってお風呂に入れてやるか問題が勃発していた。

 

 俺はいいよ? めちゃくちゃ綺麗な子の肌を見れるし、うへへって思える。

 だけど勝手の分かっていない相手につけ込むのはなにかが違う。モラルとかそういうのじゃなくって、騙した気になってしまうんだ。分かるかな、このトホホな気持ち。


「そんなに難しいかな。髪と顔、それに身体を洗って、そこの湯船に浸かるだけだぞ。温度調整はあのボタンを押せばいいし、髪を洗うときはシャワーがあるから……」

「い、言わんとすることは分かります。あなたはそうやって知識をひけらかして嘲笑っているのですね。そのような行為はとても楽しいことでしょう」


 ひょえええ、言葉がぜんぜん伝わらない。

 見れば形の良い鼻から少しだけ鼻水が出ているし、赤い瞳は涙ぐんでいる。逆にいたたまれない思いを俺はした。


「分かった分かった。じゃあ今回だけな。ちゃんと目隠しするから心配しなくていい」


 くっそー、生で見たい!

 ボンッキュッボンッの素晴らしい身体をたっぷり拝みたい!


 己の意思が揺らがないうちに、安眠用の目隠しを用意して、いざ決戦である。黒髪美女と入浴の開始じゃあー! ブオオー!(謎のホラ貝の音)



 えー、真っ暗です。

 当然ですね。目隠しをしているのですから。


 手探りで、えっちらおっちら前に進み、腰掛け用の椅子に気づく。後ろにいるだろうイヅノを、ちょいちょいと俺は呼び寄せた。


「まずここに座る。ちゃんと服は脱いだ?」

「……全部ですか?」

「全部だよ。脱いだものは、そこのカゴに入れておいてくれ」


 すう、ふう、と彼女の息づかいが聞こえる。

 そして衣擦れの音を響かせて、ひんやりとした彼女の手が俺の肩に触れてきた。


 なんぞこれ。見えないし、決していかがわくしないけれど、勝手に心臓がバクバクする。そんな心境の俺だったが、耳元で彼女の声が囁かれる。甘い吐息も漂った。


「どうぞ、座りましたよ」

「ならそこの容器を……っと、たぶんこれだな。髪を洗うやつで、シャンプー、リンス、という順番で使うんだ」


 ごめん、シャンプーとリンス、それにボディーソープの違いが分からん。目隠ししているから当然なんだけどさ、変に焦って困るなぁ。

 いいやもう、容器の形で当たりをつけて、適当に選んじゃえ。


 髪をわしゃわしゃ洗ってやるあいだ、イヅノは大人しかった。冬だから寒いけど、風呂場から上る湯気のおかげで多少はましだ。


 とても細い首だなと思いつつ、長い髪までどうにか洗い終えてやると、温かいシャワーをかけ流してやった。


「ン、いいですね。気持ちいいです」

「そうか、なら良かったよ」

「ふふ、こういうとき、誠一郎は静かになるのですね。意外な一面というか、気づかいのできる雄なのだなと感心します」


 そう言い、鈴が鳴るような声で笑われた。

 多少の気恥ずかしさはあったものの、嫌われはしなかったようで少しは安心したかなぁ。保健体育とかで、こういうときの対処マニュアルでも載っていればいいのに。


「黙っていたほうがいいのか?」

「そうは言っていません。ですが、これまでと違う顔を見れたのは思わぬ収穫でした。山での戦闘力も凄まじかった。きっと周囲の雌も放っておかないでしょうね」


 周囲の雌って……だれ?

 そう思い、しばらく黙っていると、空気を察したのかイヅノが振り返ってくるような気配があった。


「まさか、これまでに一人もいないなどということは……!」


 すんません、いません。

 というか、この避難地域でなにを期待しろって言うんだよ。数少ない残っている連中は、生きることが最優先なんだ。


 じぃーー……っといぶかしむような視線を浴びている気がした。

 そして唐突にそれはやみ、くるんと前に向き直るような気配があった。


「まあ、それはそれで良しとしましょう。悪いことではありません」

「俺にとっては悪いことだけどな。いや、どうなんだろ。諦めずに婚活サイトでも利用してみるとか……いててっ!」


 なんで俺の太ももをつねるの!?

 婚活サイトなんて絶対に意味が分かっていないだろうに、ふんと鼻息を風呂場に響かせていた。


 オークの考えることは分からんなぁ。どうにも困っちゃうし、さっさと身体も洗い終えてやろう。


 そう考えてタオルで背中を拭いてやると、やはりというか鍛え上げられた肉体だなと分かる。

 無駄な肉がまるでついておらず、爆発的な膂力を生み出せる身体だと感心する。


「うん、気持ちいいですね。決めました。明日もあなたに洗ってもらいます」

「は? なんで勝手に決めんの?」

「私の気分がいいからです。なんとなく、あなたには我がままを言っていい気がしました。分かりましたね?」


 えぇ……、どういうこと?

 俺って押しに弱いタイプとかそういうこと?


 言っておきますがね、男なんてみんなそんなもんですよ。ちょっと美人の子に命じられたら、にっこり笑顔でお手伝いしちゃうんですよ。だってそういう生き物だもん。


――ざば、あっ。


 熱い湯船に浸かると、たとえ目隠ししていても「ふいーっ」と息が漏れる。

 とはいえ頭上に大きな質量を感じて、それがじっくりと湯につかり、俺の太もものあいだに滑り込んでくると事情がまた変わる。くっ、こいつの肌はきめ細かいなぁ!


 湯に浸からないように先ほど髪をまとめたイヅノは、遠慮しつつもゆっくりもたれてくる。少しだけ彼女から視線を感じたものの、鼻息をひとつ吐いてから頭までのせてきた。


「いいですね、お風呂って。湯量が多くて贅沢です。おまけに甲斐甲斐しくされて気分もいい。たまりませんね」

「へいへい、俺もある意味でたまりませんよ。ただ、お風呂好きなようで良かったかな。嫌がったらどうしようって思ったし」

「それはオークによるでしょう。泥たまりで寝るのを好む者もいます。私は割と綺麗好きですね」


 ふうん、と分かったような分からないような返事をした。

 そして、オークとはどんな種族なのだろうかという疑問がほんの少しだけ湧いた。


 モンスターは家畜や人を襲い、年間の被害はかなりの量だ。

 それを食い止めるための避難区域が日本中のあちこちにあり、それは今も解決の目途が立っていない。


 そういったモンスターのなかで、オークはどのような特性があるのだろう。これまで気にしていなかったが、目の前にいる女性なら教えてくれそうに思えた。


「オークは他のモンスターと違うのか?」

「魔物の特性は様々です。そのなかでオークは、他種族との交配が可能という稀有な特性があります。あらゆる地域で繁栄が可能ですが、私のように希少な上位種でなければ、人間側に適応することなど絶対にできないでしょうね」


 ゆったりと静かな声で彼女はそう言う。

 温かい湯船でリラックスしているおかげかもしれない。身体の緊張が解けてきて、遠慮なく俺にもたれてきた。


 ぱしゃりと湯が鳴る。

 彼女が指先で遊んだのかもしれない。


「私の場合、強いと認めた雄……、つまりはあなたの持つ特性が私のなかに入ってきたのをちゃんと覚えていますよ。言葉や常識、考え方、そして価値観も。そのせいでオーク族の持つ恐ろしいまでの本能が薄らいだのは少し残念です」


 確かに俺の知っているオーク族とイヅノはまったくの別物だ。

 とはいえ人間とまったく同じではないと彼女は言っている。となると他の人間に会わせるのは控えたほうがいいだろうし、段階的に馴染ませなければならないものも多そうだ。


「明日、稽古をしましょう」


 唐突な提案に俺は驚く。

 とはいえ、もしかしたら彼女も俺と同じようなことを考えたのかもしれない。続けてこう言われたのだ。


「あなたから学ぶことは多そうです。しかし身体を動かしたいのも確かです。稽古、それに日々の生活について、まずは学ぶとしましょう」


 いいぜと答えて、のぼせる前に俺たちは湯船を後にすることにした。


 とはいえすぐに目隠しから解放されることなく、脱衣所での騒々しいやりとりがしばし続いたわけだが……。


 うーん、こりゃあ教えることがたくさんありそうだ。

 などとドライヤーにすっかり怯えてしまうイヅノを見て、俺は考えるのであった。

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