第5話 2回目は本契約

 ガタゴトと車が揺れる。

 舗装されていない道だから揺れるのは当然だ。


 しかしすぐ隣に作業着姿の女がおり、しっかりとシートベルトをかけて、これからジェットコースターに乗るのかなと思えるほど必死な表情でいられるとだね、事情が少し変わってくる。


「……落ち着かない?」


 うわ、じろって睨まれた。

 おっかなすぎるよー、この女。キャバクラのお姉ちゃんなんて愛想があって可愛いもんだよ? 行ったことないから知らんけど。


 とはいえ顔立ちの良さは比較にならない。

 健康的に日焼けした肌、星がまたたく夜のような長い髪、そしてルビーのような瞳も神秘的だと思う。

 あと足がめちゃくちゃ長いせいで、助手席がちょっと窮屈そうかな。


 しばらく俺をにらみ続けていた女は、フンという鼻息を吐きつつまた前を向く。そして化粧をまったくしていない唇が開いた。


「さっきの件、念のため説明しておきます」


 さっきの件?

 はて、と首を傾げかけたが、つい先ほど洞窟みたいなところに連れ込まれたのを俺は思い出す。


「あ? ああ、なんだか意味の分からない儀式みたいなやつ?」

「ええ。あれは私たちオーク族に課せられた、いわば古代からの呪いですね。それにより相手が他種族であろうと同種族であろうと、私たちは交わることができてしまいます」


 あー、やっぱりこいつオーク族なんだ。

 色気がすごいしとんでもない美女だけど、まあ、やっぱり話はうまくいかないよな。


「説明がいろいろふわっとしてない? ビフォーとアフターがあまりにも違いすぎるし」

「仕方ないでしょう。私だって祖母からそんな言い伝えを聞いたくらいで、ずっと前に失われた習性だと思っていたのですだから」


 ぶつくさと文句を言うような口調だった。愛想が良ければ言うことないんだけど、山を下りてからずっとこの調子だ。


 ただ、俺もいくつか気になることがあるので質問することにした。


「さっき言っていた『二回目はだめだ』ってどういう意味? お前、めちゃくちゃ慌てていたよな」


 そう口にしたとたん、もんのすごく嫌そうな顔をされた。


 キツめの瞳はさらにつり上がり、苦虫を噛んだように表情が歪む。

 よく見ると化粧もしていないのにまつげがとても長くて濃いことに気づく。まばたきのときに、ふぁさっと音がしそうだ。


「………………アレは事故です。あなたもそう思いますよね?」

「アレって、お前が無理やりしてきたアレ?」


 ドン、と助手席のダッシュボードが拳で叩かれた。うへ、おっかねえ。


 つい先ほど、俺はこの女と口づけをした。

 互いに望んでいるわけではなかったし、間違ってもロマンチックなものではない。力の限り押し返していたのだが、ついに力尽きて唇が奪われてしまったというわけだ。


「ああ、こんな男を認めてしまうだなんて。お母さんに言ったら卒倒されてしまいそう」

「こらこら、マジで泣くなよ。こっちが悲しくなるだろう」

「ズビッ……だって、初めてだったのですよ!」

「俺だって初めてだよ! あとめっちゃいい香りがした。ごっそさん」


 わああーっ、とまた泣きだされてしまった。どうしたらいいんだ、これ。


 出会う人たちから「顔は悪くないのにデリカシーがないねぇ」と何度も何度も言われてきたが、もしかして俺が女性にモテないのはそのせいだろうか。


 などと俺が大いに落ち込んでいたとき、女はようやく立ち直ったのだろうか。指先で涙をぬぐいながら艶のある唇を開かせた。


「一回目は仮契約、二回目は本契約」

「え? それってどういう……」


 落ち着こうと考えたのだろうか。すうはあと深呼吸をひとつして、彼女はゆっくりと唇を開かせた。


「仮契約で私たちオーク族の雌は、己が認めた雄との身体的な特徴がリンクする。いわば種を育むための土台作りといったところですね。そして本契約により主従関係が魂に刻まれてしまう」

「え、つまり俺が認められたってこと? なんで?」

「知りませんっ! 弱っちい人間のくせして馬鹿みたいに強いせいじゃないですか!?」


 ごめん、狭い車内でどならないで。

 耳がキーンとするし、なんだか悲しくなる。


「んで、イヅノ・クニサキと名乗ったわけは? 国東って俺の姓だよな」

「ああ、それは簡単ですね。私の真名がそう変わってしまっただけです」


 簡単、なのか?

 俺以外のやつに聞いても「よく分からん」って顔をされるぞ?

 そう言うよりも先に、彼女は唇を開いた。


「ただ、本契約まで結んでしまったのは誤算でした。これから長いつき合いになるでしょうし、なるべく喧嘩したくありません。先に言っておきたい大事なことがあるのですが……」


 のろのろと車は進む。後ろの荷台にでっかい熊を載せているのだから、これ以上速度を上げたらまずいんだ。


 とはいえ女も違和感に気づいたらしい。ふてくされた表情で言いかけていた言葉を呑み込み、辺りの路上を見渡していた。


「……人がいない?」

「ああ、このへんは避難区域だからな」

「だれもいないのですか?」

「ずーっとな。もう何年も前に発令されて、手のつけられない田舎のせいか、それっきりだ」


 世界は変わってしまった。

 モンスター騒ぎは俺が物心ついたころから続いていることなので、さほど気にしていないのだが、周囲の大人たちはそう口々に言っていた。


「どうしてあなたは避難しないのです?」

「山を守れっていう爺ちゃんの遺言だからな。逃げたら男じゃないだろう?」


 どこか他人事のように感じていたことは、ある日を境に当時者となり、それ以来ずっと山や畑地を管理するハメになってしまった。それもこれも祖父の言いつけによるものだ。


「それに少し車を走らせれば繁華街にも行ける。おまけに住民税もない。名目上は自警団だし、食料だってもらえる。住んでみると大して困らないぜ」


 そんな俺の言葉に、なぜか女は瞳を丸くして驚く。

 そして「私も」と言いかけた言葉を呑み込み、また車外の景色に目をやった。


 なんだか謎の多い女だな。

 そう思いつつ俺はアクセルを踏み、車をさらに加速させる。


 そのころにはもう彼女が言いかけていた警告のことなどすっかり忘れていた。

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