第4話 ブヒィッって鳴けよ
オークは凶暴な生き物だ。
獰猛にして凶悪だ。
ずんぐりとした身体をしており、ある程度の個性があるのか手にする獲物は大きく異なる。
そして子連れの熊もまた恐ろしい。
子孫を守るという強い本能が働いており、目の前に生物がいたときは容赦なく蹂躙する。
背骨を折り、脛骨を砕き、うめくことしかできない状態に追いやってからようやく警戒心を解く。両者ともそんな生き物だ。
ゴッオオオ!!
ゴアアアアアアア!!
互いの口から常人であれば卒倒しそうな吠え声が響く。
すでに戦いが繰り広げられていたのだろう。周囲は荒れ果てており、あちこちに倒木がある。恐らくはオークの手にする大きな斧がそうしたに違いない。断面は荒々しくむしれていた。
そして物陰に隠れて、じっと様子をうかがう俺。
どうすっぺかなぁ。
追いついたはいいけど、あいつらはまだ長いことやり合いそうだ。
普通ならさ、どっちかが倒れたときを狙うべきだと思うよね。
それでもいいんだけどさ、あんまり遅いとイライラしちゃう。はやくしてって言いたくなる。腕を指でトントン叩きたくなっちゃう。
ひょっとして、ひょっとしたらだよ?
そーっと後ろから近付いたらさ、片方をうまいこと潰せないかな?
分かってる、分かっているさ。もちろんそんなことはしないよ。野蛮だし危ないし、ひょっとしたらケガしちゃうかもしれないからね。
だけど、がらあきの背中がさっきから気になってしょうがない。熊はともかくオークはいけそうなんだよなぁ。馬鹿そうだし。
こう、うまいこと首に縄をかけたらさぁ、ブヒィッとか慌てふためきながら鳴きそう。
聞きたいなぁ、ブヒィッって声。
え、そう思わない?
もしそうなったら面白いよ?
絶対にゲラゲラ笑うって。
聞きたいなー……。
俺ってさ、あんまり足音を立てないんだよね。
気配も殺す。
それほど意識してないんだけど、勝手に身についた技術だ。だからこそ自然で、相手から気取られづらい。
ゴルッ!?
最初に反応したのは熊だった。
そりゃそうだ。向かって正面にいたんだもん。
だけどもうちょい早く気づければ良かったね。
俺はもうオークの背後にいて、手にした鉈を振り下ろす直前だよ。
当然、背中がら空きだったオークは反応できるはずもなく……と思っていたところで、超絶加速して反転してきた。うおっ、はええっ! マジでぇ? 動けるデブとかそういうやつ?
手にした斧の柄で受け止めようとしたらしく、だけど構うことなく俺は脚、腰、背中、そして腕に思いきり力を注ぎこみ、その先端にある鉈を振り下ろす。
狙うは斧の柄なんかじゃねえ。
ガードしたと信じきっている、間抜けなお前のドテッ腹だ。
――コッ、どぱっ!
硬そうな木製の柄をスパッと輪切りにして、勢いそのままに腹から脇腹にかけて瞬断する。
はぜた臓物がいい感じに黒くってさ、やっぱ魔物は邪悪っぽい雰囲気だなって思ったよ。
「ギオッ!」
「ブヒィッって鳴けよ、そこはさあ!」
敵もさるもの。落ちかけた斧の柄をパシッと掴み、それで反撃したかったんだろうな。
でもさ、考えてごらん。痛くて膝立ちになったような奴を怖いと思うわけないじゃん。大の大人がさ。
なのでホームランを狙うような横薙ぎのフルスイングを始めると、オークは慌ててまた防御に回るしかないんだなぁ、これが。
さっきの印象が強く残っていたのだろう。また柄を分断されると気づいたらしく、でかくてぶよぶよの頭が斜めに逸れる。
へっ、いい勘していやがる。
鉈の軌道はそいつの柄を薙ぎ、木片が舞い、ついでに尖った片耳まで寸断した。
慌てふためいて立ち上がるような隙を与えるつもりはない。とはいえ土砂を巻き散らして熊が迫ってきたらそうも言えない。
――ドッ、ドドッ!
うっ、動物のくせに、うまいこと俺の隙を狙いやがって!
あれだ、トラックに似ている。あれに剛毛が生えて、体重400キロとなり、恐ろしい速度で俺に迫ってきた。
もうね、横に逃げるっきゃない。当然のように角度も変わるし腕も伸びてくる。あれの爪に捕まったらジ・エンドだって分かるしさ、さすがの俺も恐怖心が芽生える。
ただねぇ、ごめんねぇ、この恐怖はオークちゃんに譲ってあげるね。
進行方向をそいつの影にしたせいで、オークは白い目玉を限界まで見開いていた。
――ドゴオッ! バキバキ! どズンッ、ズンッ!
おわぁ、とんでもないブチかましだ。
お相撲さんも泣いて逃げ出すほどの質量同士が立てる音と、当たり前のようにへし折られてゆく木々、そして巨熊の牙がいまオークの首筋に食い込んだ。ブツブツってさ。
連続コンボというべきか首を左右に振り、とんでもない重量であろう腕が押さえつけてくる。溢れ出てくる血の量に、うわぁ、と俺は呻いた。
まあ、熊相手なら猟銃も認められているってことで。
陰に置いていたライフルを手にして「1万発撃っても壊れない」と豪語するメイドインジャパンの傑作ライフル銃が火を噴く……噴く……噴かせたい。
でも構えてから撃つまでには、どうしても時間がかかるので……。
――ドパオンッ! ドパオンッ!
ひゅう、やっと撃てた! 気ンもちいいーっ!
針金みたいな剛毛ごと首のあたりに二発ほど叩きこむ。
勝ったなと言うのはフラグだが、この状況なら口にしても許されるはずだ。
熊は最後の力を振り絞り、ゴキンとオークの首をへし折り、そしてゆっくりと押しつぶすようにしてうずくまる。
だいたい一分ほどで絶命したあと、辺りに響くのはオークの弱々しい呼吸音だけとなった。
ぷかあっと煙草を吸って待っていた俺は、そのまま様子を見続ける。
生と死の狭間にいるそいつの顔は凶悪さが薄れて、ぼんやりしているようだった。
こうなると哀れなもので、これ以上ひどい目に遭わせたいとは思わない。ナンマンダブと念仏を口にしてやりたい気持ちになった。
「爺さんの山に入ったことを悔やむんだな」
先ほど薬莢を詰め直したライフルを手に、用心しつつそいつに近付く。どこか焦点が合わない様子のオークは、ゆっくりと俺を見つめてきた。
「オゴ……、グルリ、オゾ……」
「ん? オークが言葉を話せるとは知らなかった」
こいつらの知能は犬程度だと聞いていた。しかし言葉が話せるのなら、より高い思考能力があるのだろうと伺える。
そして恐らくは雌だ。髭がないし、体格もどこか細い。といってもお相撲さんよりもずっとでかいけどな。
「名前は? 誰かに伝えたいことはあるか?」
「イ、イッ……、イヅノ・マドゥルク」
初めて聞いたんだ。言葉なんて通じっこない。
だけどそいつは確かに名前らしき単語を口にした。
それにどういう意味があるのか。
なぜ俺の手を掴み、黒い血で模様らしきものをそこに描き始めるのか。芋虫みたいなずんぐりとした指をしているくせに。
ヤバい、ヤバいぞ、俺の理解が追いつかなくなってきた。
ずんずんと辺りに響く音はまるで音楽みたいだ。
まるで恐竜時代に生み出されたかのように原始的だし、それを耳にする俺は勝手に汗が浮いてきた。もう冬だっていうのに。
さすがはファンタジー世界のモンスター、オカルトじみてるぜ。などと軽口を叩きたいが、いかんせん身体がしびれている。頭もぼうっとし始めた。
――ぱしゃっ。
冷たい。
水だ。
なんで?
足首まで浸かる水に気づいて、辺りが洞窟のような場所だと分かり「は?」とつぶやく。
手。俺の手。
変な模様が描かれた俺の手のひら。
そこがズズと鳴った。
意味が分からないんですけどぉ、と言いたい。言いたかったが、ずんぐりとした半透明の手がそこに乗ってきた。のしっとした密着感、重量感、そして温かいものが指のあいだに潜り込んでくる。
なにがなんだか分からない。
だけど目の前で、パチッと音がしそうなほど大きな瞳がまたたく。
浅黒い肌、尖った耳、むきだしのおへそから先はたぶん目にしないほうがいい。ともあれ正面にいるその女は、赤い目でじいと俺を見つめてくる。
背が高い。俺と大して変わらないくらいだ。
黒髪美女は化粧っ気のまるでない唇をゆっくりと開き、白い歯を覗かせる。やや不機嫌そうな顔つきで。
「あなた、名は?」
「名? えーと、俺は……」
「私は真名を伝えた。あなたもはやく言って」
「まな? あー、俺の名は、国東 誠一郎だ。君はだれ?」
「クニサキ? そう、いい名です。じゃあ私はこれからイヅノ・クニサキになるわけですか。ふうん、雄を決めると身体が変わるって本当だったのね。ただの言い伝えだと思っていたのに」
雄? 雄ってなんだ? 俺のこと? 俺はれっきとした健康男子ですよ。
「ちょっ、ちょっと待って!」
薄暗い洞窟のなかで、女はなぜか目を見開いて驚く。そして今にも悲鳴を上げそうな顔が近づいてきた。
鼻と鼻がこすれあい、むぢゅっ、という感触で口が覆われる。
あまりの事態に目を白黒していると、背後をがしりと抱かれた。女の腕だ。もう片方の腕も俺の腰あたりに巻きついてきて、さらにそのふくよかな身体に密着させられる。
女はまだ目を見開いており、嫌で嫌で仕方ないようだった。しかし意に反して唇は押し当てたままで、形の良い鼻から息がたくさん当たった。
ふー、ふー、ふー……。
じっくりと押し倒されてゆく。背中が水に浸り、冷たくてしょうがなかったけど、それに反して女の身体は温かい。いや、温かいという表現では生ぬるい。熱いと感じるほどだった。
どん、どろろ、どん、どろろ。
先ほどの原始的な音楽がまだ耳に響く。
女の長い黒髪が垂れてきて、まるでカーテンみたいに俺の周囲を覆った。
むき出しの太ももで俺にまたがりながら、女は己の濡れた唇をゆっくりと指先でぬぐった。
「……い、いいですか、これは私の意思ではありません。あなたを強い雄だと認めてしまったせいです」
「えっと、雄ってどういう意味? なんだか言葉通りの意味じゃない気がするんだけど」
ぱしゃ、ぱしゃ、と水音を立てて、女の両肘が頭の左右に置かれる。必然的に先ほどよりも距離が近づき、その褐色の肌から桃のような香りが漂う。鼻腔の奥に張りつくような甘い甘い香りだ。
しかしそんな俺とは異なり、女はマジで困っていた。
「ちょっ、ちょっちょっ! 二回目はだめ、二回目は嫌っ! 本契約になってしまいます! あなた、どうにかして! 身体が勝手に動いてしまうから、あなたが止めて!」
「ええっ!? おっぱいが重いから、まずそれをどけてくんない?」
「~~~っ! 下劣! 助平! 変態! あっ、あっ、あっ、まずいまずいまずい! 助けると思って、どうにか私を止めてください! 儀式が完結してしまいます!」
えええっ、こんなことってあるぅ!?
黒髪美女が涙目になり、ふーふー鼻息を吐きながら俺にキスしようとしてんだけど!? あとわめくせいで唾がいっぱい飛んでくる。いろいろと困っちゃうよー。
おっ、くっそ、力がつええなああ、こいつ! 俺だって村一番の怪力なんだけど、お構いなしにぐぐっと近づいてきやがる!
あー、だめ! あー、もう無理! どんどん近づいてくる!
つんと唇の先端から押された感触があり、その瞬間、俺の視界は暗転した。
ぼやけた視界がだんだん元に戻ってゆく。
逆さに見える草むらと、冬にしてはそこそこ綺麗な青空。そしてうずくまった姿勢で動きを止めた巨大な熊。すでに絶命しているのは一目でわかった。
「あー、どうすっぺかなぁー……」
もうひとつ、視界に入るものがある。
それは衣服のひとつも身に着けていない女性であり、美女であり、うっすらと開かれた瞳は「どうしよう」という戸惑いの色があった。ついでにいうと己の唇を手で覆っていた。
むくりとまったく同時に、俺とオークの女は起き上がる。お互いにバツの悪そうな表情で。
よくよく見れば、その女には人と思えないほどの長い耳が生えていた。
どうすっぺかなぁ、と俺は再びボヤいたよ。
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