第3話


 もともとは、己の精神を保つためにと生み出されたものだと、祖母は言う。

 誰に頼るでもなく、一口で冷えた心を温めるためにと。

 しかし、それは欲によって醜いものへと変わってしまった。自分のためであることは変わらない。けれど、自分のために、他人を操ることも可能な、魔物と化した。

 ――あなたが心地よい方を選べばいいわ。

 母は口ではそう言うが、選択肢は、たったひとつになるまで削り取られていく。美咲に許された未来は、拓弥と別れる。それだけ。

 嫌悪の感情を暴走させるために組み合わされた薬草たちが、キラキラとした球体の中に閉じ込められている。

 今、ここで別れを告げようと言うタイミングで、私がこれを食べよう。そうして、私が悪者になって、彼との時を断ち切るのだ。このキャンディで、進むべき未来へと続いている扉を開くのだ。

 美咲はデートの度、それを口に含もうとした。けれど、心の奥にいる、本当の自分が抵抗した。母の言いなりになりたくないと、何度もそれをポーチに戻した。

 そんな日々も、もうおしまいだ。もう、苦悩からは解放される。

 これで、良かったんだ――拓弥からの散々な言葉たちにひどく傷つけられた美咲は、声に出してそう言った。

 これで、良かったんだ――拓弥の声を押し込め押し出すようにして、何度も、何度も。


 私たちの力。例えるなら魔女のような、変な力。いうて、ちょっと珍しい薬草を育てるのが上手で、あれこれと調合する知識を持ってるってだけの、大したことない力。

 それは本当に、絶えてはならないのか。彼の一族が、本当に、この変な力をダメにする力を有しているとしたら。それは、変で歪んだ私たちを救済するためにもたらされたものなのではないか。

 避けるべきものだったのか。

 受け入れるべきものではなかったのか。

 やはり、あの出会いは、運命だったのではないか。


 何もかも、投げ出したくなった。

 母の言うことを、聞くのをやめた。今さら反抗するのかよ、と、自分の決断の遅さを嗤う。

「花苗、おすすめの場所、ない?」

 ――どしたの? 急に。デートの場所?

「ううん。もう別れたから」

 ――はぁ? あんなに大好きーってしてたのに?

「いろいろ、あったんだよ」

 ――んで? どんなおすすめ?

「誰とも連絡がつかないみたいな、そんな場所」


 一族の、誰にも行き先を告げず、旅に出た。

 帰るつもりはない。変な能力、のような何かを継承するつもりも、さらさらない。絶えてしまえ。私を苦しめる異能など、消えてなくなればいい。

 花苗に「彼がそういうのに詳しいんだけど――」と教えられた場所は、探せばおそらく誰にでも辿り着けるような、ごく平凡な街だった。

 しかし、通過点として立ち寄る分には心地いい。長居せず、ふらりふらりと先へ進み、そして、逃げ回ればいい。母の動向も訃報も耳に入らないくらい、転々と。

 動き回ったら、ひどく疲れた。お腹が減った。イライラする。

 ――どの不快を優先的に解消しようか。

 美咲は腹の虫を黙らせるために、小さな食堂に入り、ラーメンを啜った。ラーメンは、苦い記憶を引き出す。だから、時々食べたくなる。自分に後ろを向かせて、前に進めるためにだ。

 繰り返すな、断ち切れ、そのために今、ここにいるのだ。

「すみません。店が小さいものでね、相席お願いしても、よろしいですか?」

 店主のお爺さんに声をかけられ、しばし悩んだ。

 まだ半分も食べていない。それなりに同じ時間を共有しなければならないだろうけれど、この街の人はほんわかとした人ばかりだし、別に問題ない、か。

「いいですよ」

「ありがとうございます」

 ズズズ、と啜る。と、「どうも。お邪魔します」と聞いたことのある声が鼓膜を揺らした。

 ちゅるる。ごきゅん。



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