五月病を治したい。
5月16日の火曜日、アラームで目覚める。ノットも同タイミングに起きて、身支度を早く済ませて、兄に車を出してもらった。
「見せてやるよ、ノット」
「え? 何を? 正規のもの?」
「本当の天丼をな……!」
着くまで、ノットと他愛ない話をした。
「始めようか、剣城くん」
「ああ」
「五月病を治したい。という創作を」
俺だけ車から降りて、正門から教室へ向かい、席に座る。マヒルくん、ツララ、ヤヒロは何も言わず、登校してきたばかりの俺をじっと見ている。監視だ。
もう何分も経っているのに、安食先生が教室に来ない。理由も分からず、SHRは急遽、他の教師がした。伊豆ノットは登校していないので、欠席扱いとなった。どうやら教師陣も忙しいらしく、その気迫に気圧され、誰も安食先生のことは質問できなかった。
大人しくしたまま、授業を受ける。時は流れ、昼休みになり、マヒルくん、ヤヒロ、ツララの三人が俺の元へ来る。
「ノットはどうした」
「さぁ? なんだったかな、腹痛だったかな」
なるべく質問にふざけて返して、スマホを見る。ノットから送られてきたメッセージを把握し、スマホを仕舞う。
「それとも、世界を救いに行ったのかな」
ガタッと席を立ち、俺は教室から出ようとする。
「おいコウジ、どこ行くんだ?」
なるべく気さくに、フランクに。
「知りたいなら着いてきなよ。俺はどっちでもいいけど」
そう言って、教室から出る。3人が着いてきてることを把握しながら、途中で走り出して、階段を駆け上がる。
「待てっ! コウジ!」
待たずに走って、一番上まで走って、屋上への扉を開く。足音で、追ってくるのを理解しながら、柵まで走る。一番最初に来たのはヤヒロで、それに続いてマヒル、ツララの順で屋上に到着する。
好都合だった。
「捕まえたッ!」
ヤヒロが、俺の腕を鷲掴みにする。
触れられても、身体はピクリともしない。昨日からだったかもしれないし、覚悟をしていたからかもしれない。それでも一歩、進んだのだ。
「おう、やっと触れられた」
ヤヒロ、マヒルくん、ツララ、三人が屋上の柵側まで近づき、
バタンと、出入口が閉ざされる。ずっと出入口付近で待っていた、その男。伊豆ノットが、扉を閉じたのだ。
「の、ノット? なんでここに、今日は休みじゃ……」
ノットは出入り口を閉ざすように、もたれ掛かる。
「九さん、マヒルくん。君達が捕らえるべきは、僕でも彼でもない」
現状を知っているのは、俺とノットだけ。それ以外の面々は、絶望色の表情を見せる。特に、早月ツララ。そう、その顔が、さらに説得力を増す。
「ツララ。お前だよ」
俺の前方に立つツララに尋ねる。
あの時、俺の煙草がバレた時みたいに。ただ違うのは、近くにヤヒロとマヒルくんが居ること。扉の前にノットが居ること。
この物語の立ち位置のように。
「死のうとしていたのは、俺だけじゃなかったんだよ」
俺以外にも一人居た、救いを求める人間が。
太陽の光が一際眩しい、
レンズは青くならない。
俺がツララにとってのXになれるか。
「分かるよ、その気持ち。俺も辛くて耐え切れない、だから楽になろうとした。それが正しいことだと肯定した」
ヤヒロの手には力が籠っておらず、腕はもう掴まれていなかった。俺が自由に動いても、マヒルくんはもう俺を見ていない。ツララだけを見ていた。脳の処理に時間を使っているその時に、俺は不敵に笑う。
「辛いよな、でも辛いなら、もう楽になっていいと思うんだ」
翼が生えた気分だった。
「コウジ、くん?」
俺に反応するのはもはや、ツララだけだった。後ろを向いて、目下を確認する。大丈夫、大丈夫だ。
「ああそうだ、あの時言い忘れてたことを言うよ」
──────ズレた眼鏡は捨てた。
それに反応してか、ツララが俺に向かって、一歩ずつ歩く。
「ごめんなさい」
俺こと
背後から、屋上を蹴る音がする。ツララが駆け出した。
しかし、その時に俺はもう、屋上から飛んでいた。
「コウジくんっ──────!」
もう飛んでいたというのに、手が、俺の手を掴んでいた。何が起こったのか分からなくて、掴まれた左手を見ると、ツララがそれを必死に握っていた。しかし、耐え切れず、ツララも巻き込んで落ちてしまう。
二人で、自由落下────!
最悪だ! 最悪だ! 最悪だ! 最悪なトラブルが起きた! 最後の最後で、失敗の可能性が生まれた。いや、なんとしてでも、ツララだけでも、無事に……! 位置は、大丈夫。下を覗いた時、ちゃんとどう落ちるか考えたから。
「ツララ! 丸まれッ!!」
日常が壊れ、ジャンルが決定する、きっかけ。
お約束、突然にして当然の、必然にして必見の、推理モノだったら死体が見つかるシーン。
言わば出会い、所謂邂逅。巡り回る星の、世界の意。
そんな物があるとして、どうして世界は俺の両親を殺したんだろう。
そんな物があるとして、どうして世界は彼女と出会わせたんだろう。
あいつが言うには、意味を求める事は愚からしい。
でも一つだけ、意味を持たせてください。一つだけ、願うことを許してください。一つなんて言っても、今まで何度も願いました。殺してくれ、死なせてくれ、もう辞めてくれ、そんなことを望みました。幸せが見える度、与えられる度、拒否すらできず、受け取ってしまって、世界に願いました。
そして今は、死にたくなんてない。俺だったらこんな奴、恨んでしまうと思います。本当に憎いでしょう。
だからこそ──────
今だけは、世界よ。
俺を赦せ。
「ツララ、生きてるか?」
俺は、痛みも衝撃もほとんど無かった。またお得意の失神をしてしまったみたいだ。
万が一に軌道がずれても死なない様、ずらっと並べられたセーフティエアクッション。昨日、兄に頼んで買ってもらったある物だ。そして、ノットにこの地点へ設置を頼んだ。うちの屋上から落ちても、無傷でいられるように。まあさすがに、二人一気に落ちることは予想してなかったが。
「おい、ツララ?」
そして早月ツララは目立った外傷もなく、俺を下敷きにして丸まっていた。
いや──────泣いていた。
何かを繰り返し呟いている、ツララはこちらに気づいていない。自分の世界に、入り込んでいる。
耳を澄ませて聴く、
「ごめんなさい」
いったい、だれに?
それは、お前の言われたくない台詞だったんじゃないか?
「ごめんなさい、ごめんなさい、また殺して、ごめんなさい、死なせてごめんなさい、私のせいで追い詰めて、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、死なせてごめんなさい」
延々と同じようなことを唱えていた。聞くのも飽きてしまうほど、何度も唱えていた。
「悪いけど、ツララ。それを言うべき相手はもう居ないよ、もう届かない。どんなことをしたって会えはしない。真似事で飛び込んでも、どこに行っても、死んでも、会えない。辛くなって死んでも、誰も責めはしないけど、お前が死んで喜ぶヤツはいないし、お前のせいで死ぬなんて事はありえない。独りよがりな妄想でしかないね。志願者の絶えない死なない妄想だ」
問3
何故、
「生きても死んでも、お前もお前の家族も報われないよ。どうやったって、お前の弟はあのまま死んだよ。曲げられない、曲げていいはずがない、死者の気持ちなんて、生者が決める権利は無い」
それが地獄のような気持ちでも、時間の逆行はできない。
「もう詰んでるんだよ、お前の中の思い込みも、壊してしまった」
周りの人間が死ぬ思い込みを、ぶっ壊すために飛び込んだ。
「ねえ、コウジくん、私はどうしたらっ、どうしたら救われるの」
救われる方法なんて、誰も知らない。
「わかんねえよ。でも、幸せになるしかないんだよ。俺が少し先で、生き方を教えてやるから、一緒に、生きよう」
早月ツララは、深く深く頷いた。救いが来るのか分からない、幸せになれるか分からない、未来はいつだって怖い。
ただ──────
「コウジくん、生きたいよ」
俺は、その一言を忘れない。
ゆっくりと、二人で屋上に向かう。ノットにマヒルくんとヤヒロをどこにも行かせないように頼んだから、まだ三人はあの屋上にいるだろう。
屋上へ向かう扉を、開ける。
「遅いよ、二人とも」
マヒルくんとヤヒロは、力ずくで扉を通ろうとしたらしく、ノットは揉みくちゃになっていた。しかし、俺達の姿が見え途端、それは止まった。
「な、は?」
すぐにマヒルくんは俺達が飛び降りた先を確認する。そこには高所から落ちても安心なセーフティエアクッションがある。
「い、あっ」
ヤヒロは安心したのか、膝から崩れ落ちてしまった。
「コウジ、ツララ、そうかっ、無事なんだな、ぼくはてっきり」
相変わらず、友達甲斐のある奴だ。
「大丈夫。俺達は生きるよ」
ツララが誰に対してか、呟いた。
「ありがとう」
失った欠片は戻らない。過去は輝かしく眩しい。今が幸せであれはある程、辛さと虚しさはくっきりと浮かび上がる。それは、今後も続くと思う。死ななくても、続いてゆく。
幸せが崩れた日から今の今まで、俺たちは青く欠けている。何をしても満たされず、何をしても青がかる。
けれど、俺達の人生において、その青色の欠片が、散りばめられたほんの一片になるように。
どことなく青色になるように。
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