遠吠え
前にもこんなことがあった。あの時も、バレたからこの場所に来たんだ。屋上は、俺にとって何かがバレる場所なのかもしれない。自殺に選んだ場所なのに、その場所で自殺計画が破綻しそうになっている。
5月15日月曜日。
放課後の空。
レンズはもう、青くない。
「孤軍だね、剣城くん」
ノットは俺の方を向いた。
「ああ」
────空は青かった。
これから、俺は死ぬことが出来ないだろう。いや、ただ死ぬだけなら容易だ。学校でも家でもどこでも、死ぬだけならできるだろう。だが、ただ死ぬだけで良いのなら、わざわざ計画だとか、いわない。何が言いたいかって、俺の自殺計劃は完全に破綻したということだ。カバーは効かない、代わりもない。死んで目標は達成できない。原則は守られない。
味方もいない。
「孤軍だね」
俺は最初から、こうなる運命だったのか?
「──死なせてくれないんだな」
負け犬の遠吠えだった。
つまらない愚痴だった。
面白さも何も無かった。
死にたかったが死ねなかった。
「そもそも、さ。君、死を本当に求めていたのかい?」
「──────は?」
伊豆ノットは、逸らしもせずにその橙と青の両目で、俺を見つめ続ける。
「君に何かしらの条件──自殺条件があることは分かっていた。でも、しようと思えばできたんじゃないか? って、思うんだよね。実際、チャンスはあっただろう?」
「そんな……ことっ……」
ノットは微動もしていない、が、傍から見ても詰められていることがすぐに分かっただろう。
「手伝いなんかせずに死ねばよかった。わざわざ表紙の無い本もモノクロ写真も追わずに、死ねばよかった。それなのに君は、無駄に理由をつけて日々を生きていたんじゃないか? 盗聴なんてしなくて良かったんじゃ」
「────うるさい黙れっ!!」
「バレたら大惨事になることはわかっていたのに、なぜやった? それはもしもバレたら」
「黙れって言ってるだろ!!!」
答えは既に、知っていた。
「死ななくて済むからだろ?」
清々しい気分だった。けれどでもそれはいけないことだってそう決めたじゃないかだって残ってしまった虚しかった何もなかったあの人たちはもう居なかった俺のせいで誰も悪くないなんて言っても結局
「ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
目を瞑って、ノットは言葉を紡ぐ。
「きみは、死にたくなかったんじゃないかい?」
するっと、心臓に通された糸が抜けた。糸が抜けて、鼓動を取り戻した。血が巡った、脳に酸素が届いた。辛くなった。悲しくなった。止まっていたものが動き出した。死んでいた自分が我を出し始めた。
「あぁ」
俺はそれを、肯定する。
「本当に本当に本当に本当に。いつまで固執してるんだ、お前は」
もう死ねない。死にたくない。空になんて飛びたくない。異世界になんて生きたくない。死にたくない、俺は生きたい。何度も何度も自分の幸せを誤魔化した、我儘だと釘のように打って心を閉ざして封をした。それでも、出てきた。
願望。
「ずっと、ずっとだ、全然かわらねえ、前と同じ、お前ってやつはいつもそうなんだ。何も変わらない、何も成長しない、できない、できないまま。未発達、未成長、未解決のまま終わっていくんだお前は。未来もわからず未知を知ろうともせず未踏で未消化、ただの無のくせに、無能のくせに、未だ自分に可能性があるのだと本気で信じている。自分が本気を出せば世界を救えるはずだなんて幻想をゆめゆめ描いてやがる。キリがねえんだよ」
崩れ落ちた。
自分の醜さに失望したのではない。悔しかった。自分が憎かった。欠けた部分から気持ちが漏れただけだった。幸せが本当は一番欲しかった。意固地になって死へ走っていた。走り切っても何も無いのに、当然だし正しいことだと思っていた。そんな教育を、俺は受けてもないのに。
歪だった。
自分が許せなかっただけだった。
でもずっと、許してやりたかった。
俺は幸せ者だった。
みんな俺に生きて欲しいから、あんなことをした。
それでも胸は苦しかった。
「俺は不幸だ! 自分より不幸な奴がいる、俺の方が不幸だ!」
暴論だった。
「不幸者にもなれない、俺の方がよっぽど不幸だ!」
屁理屈だった。
「幸せ者な俺の方が、よっぽど」
そんな訳、無い。
俺より不幸な人はこの世に数え切れないほどいる。生まれたことを後悔する人だっているだろう。けれど俺は、そんなことを1度も思ったことがない。
「幸せになりたいよ……曲がった自分を更に曲げて、やっぱり自殺できない臆病者になって、生きたいよ。でもそんなの、外道だろうよ、そんなやつ、あまりにも人間ができてない」
そんなの、勝手だ。
残された俺の勝手なのに、まだ囚われてる。
「できてないのは当然だろう。この世で完璧な人間なんて、とても限られてるよ。それに、僕達は高校生だ。迷っていいはずだし、迷うことを求められている。学校で青春を送れとは言わないけど、悩むべきさ」
この虚しさを持ちながら、あの暖かさを感じながら、
「………………」
二人とも、俺はなんとも愚かな親不孝者でした。許してくれとは言いません。責めてくれるなら本望です。
「……ごめんなさい………………俺は……俺はっ……俺はっ……!」
視界が変にぼやけて、頬が何故か濡れて、どうしてか鼻水が出て、全身に力が入って、ゆっくりと力が抜けて、口が歪に開いて。
自然と、祈りの姿勢になった。
「……この世界をせいいっぱい……あなたたちのぶんまでっ……生きます!!」
ごめんなさい。生きたいです。俺が生きたいだけです。ごめんなさい。産んでくれてありがとうございます。親不孝になろうとしてごめんなさい。ずっと気づいていたのに無視してごめんなさい。自分の気持ちを押し殺してごめんなさい。
もう二度と自分を、殺そうとは思いません。
「それでねコウジくん」
「おれいま泣いてんだけど……」
感傷に浸る暇もないのか、伊豆ノットは俺に話しかける。これ以上、何があるっていうんだろう。この後はエンディングに入って後日談が書かれてノートのことを回想して幸せな日記になるエンドじゃないんだろうか。
「それが違うんだよ」
「顔で思考をっ、読むなってっ」
袖で顔を拭い、なんとか平静を装う。
「……で、なんだよ。もうこっちも隠してることは無いぞ」
さっきだって両親に向かって叫んでいたし、別に事情を説明しろと言われれば……まぁ、ノートを渡すくらいはするけど。
「それに、死ぬ気はもうない」
生きると決めたから。
「うん、良かった。性欲が戻ったみたいだね」
「お前の中の生は性しかないのか?」
エロス野郎め。
「まったく……」
伊豆ノットは、変わらない。
俺は、変わらなきゃいけない。
「僕は、君の自殺を止めるためにマヒルくんと手を組んだ。でもまぁ、僕からしたら通過点に過ぎないんだよね」
こいつにしては勿体ぶるなぁ。さっさと言ってくれればいいのに。部の全国大会みたいなこと言いやがって、連覇中の高校と戦うのかよ。
「はーやーくーいーえっ!」
話が長い! 早くしろ! 早く言わないと子供みたいに倒れて駄々こねるぞ!
問二
何故、
「もう一人の志願者についてだけど」
「──────はっ?」
俺は今、どんな顔をしているんだろう。豆鉄砲なんかじゃない、こいつは鉄砲だ。俺からすれば黒色の弾丸だった。
ありえないフレーズが聞こえた。世界が俺を中心に廻っていると勘違いしていた。俺のエピソードが綺麗に終わったら、もうこの騒動は終わるんだって。
でもノットは確かに言った。
もう一人の志願者、と。
「どういうことだ、伊豆ノット。死にたい奴が俺以外に居るのかよ、ならなんでお前は知りながら先に言わなかった? お前が五月病を治したい。のモデルに選んだのは、俺じゃなかったのか?」
数多の質問が溢れる。
「そうだよ」
しかしひとつの答えで、全て消え去った。
「うそ……だろ?」
「そう思う?」
伊豆ノットは、嘘を吐いていない。ただの勘だって言われればそれまでだが、俺は確信していた。こいつはこんな場面で悪質な冗談、言わない。そして、通過点という台詞だ。
「マヒルくんに、それは言ったか?」
「いいや? まだだよ。僕一人じゃ信憑性が薄い……いやこれは嘘だ。ごめん。単純に、君を先に止めたかった。いつ死ぬか、分からないから」
「別にっ、それで責めはしねえよ。それで!? 大事なのはそいつが誰かってことだ! その言い草だと、あの中にいるってことだろ!?」
ヤヒロ、ツララ、マヒルくん。この中に志願者がいる。そうなったら、もしも自殺が成功してしまったら、そんなの……クソっ、さっきまで志願者と同じ思考だったはずなのに……誰かなんてわかんねえよ。
「ああ、その通り。でも、名前は言えない」
「なんで!?」
「君がそれで救われたなら、僕は今すぐに名前を言おう」
ぐっと掴まれた気分だった。どくんどくんと血潮が流れていた。とても冷たかった。
その通りだ。それで救われるなら、こんなことにはなってない。もしも志願者が俺と同じくらいの、いやそれ以上の、破滅願望や死にたいという気持ちを持っていたら? 生きたいと揺らいだことさえなければ、説得は困難。
「それに、君は気づいてるんじゃないのかい? 誰が志願者か」
「はぁ……? まったく……わかんねえよ」
「少なくとも、君が気づかないってんならその時はその時。僕は手助けなんてしないよ、止めて欲しいとは思ってるけど、そこまで鈍感な奴を計画に参加させたくないからね」
ノットの言う通りだ。そんなことにも気づかないやつ、足でまといにしかならない。マイナスでしかない。
「……ッ! 計画に参加できなくっていい! それでも!!」
志願者は唯一人。容疑者は三人。
「俺が! 志願者の自殺を!! 絶対に止めてやる!!! 元々自殺する方法を考えていたんだ!! いざとなったら救急だってできる!!」
「それが、孤軍だとしても?」
死に方を考えてきたんだ。そこから復活する方法だって覚えてきた。最悪のケースとして。
未開。
「俺が! 指揮を執る!!!」
ハブられた俺の孤軍奮闘。
負けたばかりの遠吠え。
「馬鹿だなぁ」
孤軍でも馬鹿でも、上に立ってやる。
「うん、いいよ。実を言うと計画はこれから考えるところだし、誰が志願者か知らない君の意見も新鮮かもしれない。それに、もしももう一人の志願者を見つけて説得できれば、監視も解かれるだろうから、君にもメリットはある。けどさァ、コウジくん」
伊豆ノットは俺に対して、狡猾に陰険に偽悪的に、その一言を言い放った。
「君に僕が信用できるの?」
「勿論」
「えっ、あ」
答えは決まっている。
「────俺の思ってるお前じゃなくても、俺はお前を信用する」
その眼を見つめ、俺は言い放った。
「できるかどうかじゃなくて、俺はお前を信じるんだよ。問題は、するかしないか。俺はお前を信じてる……っていう」
そう言うと、ノットは目を大きく見開いた。んな、鳩が豆鉄砲でも食らったような……
「……変、か?」
無言のまま、ノットは俺を見ていた。衝撃の真実が明かされた訳でもないし、運命の悪戯が現れた訳でもない。普通で当然、だったんだけど。
「な」
やっぱ変だったのかな。
「なんだか君って、ずるいなァ」
笑った。
いつもよりなんだか、温かい笑顔。
俺もあんな風に、これから先を思いたい。だから、俺は、
「これ全部終わったら、また行ってもいいかもなぁ」
未来を。
「カラオケ」
友達とバカやるってのも、これから増えるのかなぁ。プライベートなんて、遊びに行こうとも思わなかったもんなぁ。
だから、
人生は虚しいだけじゃないって、過去の自分に証明し続けよう。過ぎ去って積み重なった思い出に、証明し続けよう。立ち止まることがあっても、その分、あの過去を影のように濃くしてやろう。 いずれ薄れて、いつか忘れてしまっても、
時が経って世間が、未来の自分が青春と呼べるように。
「うん」
青色のノートが、俺の人生の、散りばめられたほんの一片になるように。
「そういやあの時、何歌ってたっけ」
「マヒルくんは確かガンズ・フォー・ハンズ歌ってたね」
……歌えたのか?
「にしても、カラオケで洋楽歌うってのもなかなか勇気がいる話だよな」
そりゃ、数人しかいないからかもしれんが。
「そんなこと言ったら、僕も歌ってたよ?」
「えっ? 何歌ってたっけ」
「スキャットマン」
「歌えたのか!?」
あれっ、歌ってた気がするぞ!? マヒルくんの登場のせいで忘れてたんだ! あの時から二人は組んでたけど、なにか俺にメッセージとか隠してないよな。
いや、暗い妄想はやめにしよう。
「ってかコウジくんも僕達のまえで歌ってたじゃん」
「えっ?! いやそんなはず……」
「21世紀の
うたったのか!? 俺!?
「自殺計劃バラしてえのかこいつ……」
気づいてアピールデカすぎんだわ。
「あー、やっぱ違うな」
「?」
「また行こうか、剣城くん」
「ああぁ……ってか我ながらこの三曲歌うヤツらとカラオケ行きたくねーな」
センス見せつけたい三銃士かよ。
ま、高校生らしいか。
「それじゃ、そろそろ学校から出ようよ。下校完了時刻になっちゃう」
そうだ、帰ろう。俺には帰る家がある。トラウマを払拭するには、下校を乗り越えなきゃ。
……ん?
──────お泊まり会しようぜ。
「一応聞いておくが、俺、どこに帰るんだ?」
「あ」
あ、っておい。
「まぁでも、あー、突然の事だしなにか予定があるなら、っでも、マヒルくんそういうの気づくタイプ?」
「まぁまぁ詰めてくるタイプだと思うぞ」
綻びがあったら、絶対に激詰めしてくる。矛盾点撃ち抜いて意見を切り裂く。誘導尋問されるかもしれん。
「んー、じゃあごめん、うち来てくれる?」
「あーーー、でもなーーー」
「やっぱダメ?」
おれ盗聴器持ってんだよなぁ。
「あのさぁ、兄から盗聴器を渡されてるって言ったら驚く?」
綺麗にあっと口を開いて驚かれた。
「あれって冗談じゃなかったんだ」
兄の趣味が移ったってのは嘘だけど、兄から貰ったのは本当なんだよな。
「ま、そっちの方の家族もいんだろ……? あ、一人暮らしか?」
「いや、うーん、同居人がいるからなぁ」
「やっぱダメそうか?」
うちに来てもいいけど、部屋に寝るところあるかな。まぁ、布団が無かったらソファに寝させるけど。
「色々あって追われてるからなぁ」
「それは
妄想と混ぜるな。
「そうなんだよねぇ」
もうこいつを現実に戻せないかもしれない。
「じゃあこっち来いよ、連絡するわ」
「うん、了解」
と、うちのボスであるミユキに連絡をする。すると直ぐに帰ってきて、友達の夕飯はうちで作るか、二人で食べに行くのかという質問と、夜中にうるさくしなければ良いとの事だった。
あと布団がどこにあるのか書かれていた。
おかんかて。
まぁ兄貴はアレだから一言メッセするだけでいいや……ミユキの方が権力あるし。
「許可取れたわ、んじゃ帰ろうか」
「剣城くん」
何か企んでいるのか、笑顔でノットはこちらを見た。
これ以上、なんかあるか?
「カッフェ行こうぜ」
転びそうになった。
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