キミにヒかれる

 5月5日の金曜日。ゴールデンウィーク3日目の、こどもの日。

 午前7時丁度に、目覚めた。

 ゴールデンウィークになってから、ゆっくり眠りたいのでアラームは切っているのだが、身体は覚えているもので、パッと目が覚めた。毎日、こんな風に目覚めている。

 こういう連休は、時間を潰すことにしている。目覚めれば顔を洗って歯を磨き、軽食を摂って寝巻きから着替える。これで7時24分。時間の流れは早いものだ。

 我が家は未だ俺以外誰も起きていないので、自分の生活音が響く。たった1人、孤独を感じる。世界に取り残された気分だった。その例えも、間違っていないか。実際に3年、取り残されている。終わろうともしている。

 囀りすらもない朝、

 数分だけぼうっとする。

 秒針を見つめる、なんだか早いな。

「……………………………………」

 適当に、教科書を捲る。なら、数学の勉強でもしよう。数学は苦手だ、というか得意な教科がない。頭は悪いから、勉強しなければこっちも取り残されてしまう。世界とは残酷である、勉強しなくても点が取れる人種もいるんだから。ノットとかその類だ。何が言いたいって、俺が勉強をすると。

 三時間、潰れる。

「…………………………」

 10時33分。

 要領が悪いのもあるのだが、潜在意識で覚えようとしていないのだろう。いずれ使う事もなくなると思うと、やはりどこか、身が入らない。死ぬ為に、必死に取り繕って生きなきゃいけないなんて、頭が悪い死に方だ。必ず死ぬと書いているのに、俺って結構死ねずにダラダラしてるよな。ダーウィン賞も目指せるだろうか? 目指した時点で選考対象じゃないけど。しかも自殺だからな。

 予習を一通りしたので、パンと閉じて仕舞う。その時、スクールバッグの奥から七冊目を取り出して、机に置く。

 クローゼットの中の棚の中のランドセルの中の、一から三冊目を取り出す。使っていないバッグの中の四冊目を取り出す。ぬいぐるみの中の五、六冊目を取り出す。

 全て、どことなく青色のノート。

 自殺日記と呼ぶべきそれ。


 自殺日記の脈絡が繋がっているのか、机に置いて、順々に読み始める。文章作成能力の低さが、後世に露見したら親に見せる顔がない。元々ないのだけど。自分以外の人間が読んでも、内容がしっかり理解できるようになっているか、こうして確かめなければいけない。

 一冊目から、ゆっくりと。

 合計1200ページ以上を超える大作を、ゆっくりとむ。と言っても、内容は知っているので、記憶との照らし合わせ。

 内容は、今日楽しかったこと。自殺しようと書き出した日から、楽しかったことしか書かなかった。幸せだったことしか書かなかった。

 二時間ちょっと掛けて、四冊目。

 昼になったので、適当に切って焼いて炊いて食べる。

 味は微妙、部屋に戻って続きを読む。

 四日前ならひっさしぶりに早月ツララと話して、手助けしてくれと言われたこと。妹に出迎えられたこと。兄に眼鏡を直してもらったこと。

 三日前なら妹と登校したこと。久しぶりに友達二人と話したこと。九がなんとなく良い奴なんだろうな、と分かったこと。

 二日前なら妹にパシられたこと。兄の不摂生が少しずつ改善していること。

 一日前なら兄が突然外食しようと言ってきたこと。兄妹快く受け入れたこと。

 楽しかったことを書くのが、俺の自殺日記だ。

「続いてるな、綴ってる」

 自殺日記は、元々俺自身で読む物では無い。

 幸せを溜め込むほど、自分が醜悪な存在であることを認識する。

 最低最悪の甘えん坊、我儘に死のうとする。

 それでももう、決めたから。


 あれから2時間と40分程が経って、散歩でもしようかと家を出た。

 現在、午後2時43分。

 普段はあまり行かない方向へ歩みを進めて、時間を潰す。犬も歩けば棒に当たるとは言うが、歩いたところで自分から見つけなければ、何も無い。

 たまに走ったり、たまに曲を聴いたり、予定もなく散歩をする。世間様が言う自由とはこのことだろう。

 風が心地よい日、何の気なしに交差点を渡って、さぁどうするかなと街を見渡す。近くに、見覚えのある人がいた。

 早月ツララだった。

 特に用もないので、通り過ぎて散歩を続けようと思ったら、

 キィィィィッ──────というけたたましい音が後方から鳴り響く。

 すぐに振り返ると、車体と車体がぶつかっていた。


 5月5日の金曜日、午後3時17分6秒。

 交通事故だ。


 まずは何をするべきか、警察? 救急? 消防? どれに通報するべきか、携帯、スマホは持っているだろうか。ない。軽い散歩だから俺は持っていない。持っているのはハンカチとティッシュ、財布と鍵、あとは音楽プレーヤー。こんなものあっても意味は無い。ならどうする? どうすれば──────


 視界の端に、早月ツララが居た。

 とても苦しそうに口を押えて、前屈みになっていた。自分より焦っている人を見ると、人は徐々に冷静さを取り戻す。


 酷く日差しが眼鏡を照らし、調光レンズが青く染まる。


 ──────憎い。


 視界の全てに青いフィルターが掛かる。


 まずは現場をしっかりと見る。既に事故にあった当事者達は車から降りていて、周りの目撃者達が通報している。当事者は皆、軽傷のようだ。

 そもそも目撃しただけの俺に報告義務も救護義務もない。既に彼らがしている。目撃者はここに留まる必要もない。

 ということで俺は、最善かどうか分からないけど、早月ツララの元へ駆け寄った。

「おい! ツララ!」

 早月ツララは俺の存在に気づいておらず、交通事故の現場を見ていた。顔を歪めて引き攣らせ、見たくもないであろうそれを見ていた。

 野次馬根性でもなんでもなく、目が離せない。

「……っ! ごめんけど乱暴に連れていくぞ……」

 震える自分の手を、強く叩く。俺はまだ、怖がっている。

 その震えを止め、手を引っ張ろうと思ったら、やっとツララがこっちを見た。

「ツラっ──」

 しかしすぐに顔を伏せて、即座に屈み、口を強く押さえる。

 押さえていた。

 が出ないように。

 ズグ、という音の後に、

 ピャッ、と水音がする。

 ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン。

 水音の次に、ツララの口から雨音が出た。

 吐瀉物だった。

 昼食は米と魚だったらしい。

「ツララ」

 己の震える手を握る。強引にでも動かす。

 ツララにハンカチを差し出す。けれど問答が惜しいので、手や口についた吐瀉物を拭き取る。

 屈んでくれたおかげで、本当に小さく吐瀉物はまとまっている。

 それに、吐瀉物と言っても胃の中の全てでは無い。ツララが寸前のところで押さえてくれたのだろう。

 店で多少買って、

 なんとか、後処理はできた。

 その現場にいるとまた同じようなことが起こってしまう可能性があるので、手を引っ張って休めそうな場所まで移動する。

「大丈夫か?」

 店で買った水を手渡して、ツララの目を見る。合わせてはくれない。

「うん……もう、だいぶ良くなったから」

「嘘だな。まぁゆっくり休めよ」

 明らかに良くはなっていない。

 空元気だ。

「助かるよ、隣にいてくれると」

 早月ツララはサラリと、そんな台詞を言う。

「君といると、心が安らぐ」

 そう言う台詞に返す言葉が無いので、一瞬黙ってしまう。


 でもなんで、あの時に。

「なぁ、もしかしてだけどさ……」

 あの時も、口を押えていた。

「お前って、謝られるのが怖いのか?」

 家族や親しい友人にさえも、覚悟を決めなければ触れられないのと同じように、早月ツララは謝られることが何かのトラウマなんじゃないか。

「ねぇ、コウジくんってさ、いるの? 兄弟」

「…………? ああ、いる。兄と妹が、一人ずつ」

 今は、いる。一人っ子じゃない。

「私の方はね、弟がいてさ」

「そっか、歳は?」

「15、中3」

「あぁ、うちの子と一個下だ」

 そんな会話を、した気がする。



 放っておくこともできないので、ツララは家まで送り届けた。念の為に現場へ戻って、痕が残ってないか見ておく。

 それらしい痕は無いので、俺も帰った。


 自分の部屋。持っていかなかったスマホを取って、今日起こった交通事故を調べる。幸いなことに死亡者はおらず、携帯を閉じる。

 まぁ、今日はこれで一善ってことでいいよな。


 その後、一分経って。

 スマホをもう一度開いた。

 今度は、早月ツララと調べてみる。

 関係ない同性の人間が出てくる。

 ならば次は、早月ツララ 交通事故で調べてみる。

 出てこない。

 次は、早月 交通事故で────


 調べようと思ったが、電話が鳴る。

 兄からだったので、少し驚きながらも電話に出る。

「はい」

「盗聴器」

「…………あ」

 出かける際は付けるはずだったのだが、今日は忘れてしまった。

「すまん」

「まぁ、何も無かったならいいよ」

 俺の兄は、過保護なだけ。


 それに、自殺を考えているのだ。

 過保護なくらいがちょうど良い。

「今外にいるんだけど、何かいるものある?」

「いや、特にない」

「そう、じゃあ切るね」

 兄からの電話が切れる。出不精の兄が外に出るなんて珍しいが、何かあったんだろうか。

 画面が戻り、検索しようとしていた言葉が浮かび出る。

 早月 交通事故

 まぁ、本人に何も無いなら、無かったってことだろ。と結論付けて、俺はスマホを閉じた。


 ここで検索していれば、

 多少は変わっていただろうか。


 こどもの日、だった。

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