すいません

 5月2日の火曜日。今日を乗り切ればゴールデンウィーク。

 昨日はあの後、どれだけ考えても答えが出ず、普通に過ごして、ノートを記して眠った。現在、その朝。瞼を閉じながら思考をしている。

 スマホのアラームがまだ鳴っていないので、鳴るまでなるべく休ませておきたい。

 前、これでついつい眠ってしまったんだけど。

 いやしかし、眠気はなくとも目覚めるのは苦しい。その日の始まりがこの世の終わりに思える程だ。

 目覚めても退屈。

 しかし、そんな怠慢で遅刻や欠席をすれば、兄と妹に心配をかけてしまう。或いは暴かれて自殺を止められるかもしれない。

 なんていって、億劫な気持ちを誤魔化していたら、スマホのアラームが鳴る。

 目覚めのときだ。

 瞼を開いて、貰った眼鏡を掛ける。

 ベッドの近くに置いたスマホのアラームを切る。

 さぁ朝が来た。

 良い命日にしよう。



 顔を洗って歯を磨いて、服を着替えて飯を食う。朝やるべきことを一通りやって、昨日のうちに準備したスクールバッグを持ち、靴を履く。

「行ってきま──」

「あーっ! 待って待って!」

 玄関扉に手をかけたと同時に、ミユキが凄い速度で飛んできた。

「どうしたミユキチ、そんな大慌てで」

「えっ!? 何その愛称!? 流行ってんの?!」

 どうやら誰かから同じ愛称で呼ばれたようだ。

 ミユキチの先駆者にはなれないのか。

 じゃあ第一人者になろ。

「って、そうじゃなくて、なんで一緒に行ってくんないんですかー?」

「あぁ、そういう……一緒に登校する友達とかいんだろうなって思ったからさ」

「えー? 友達だったら登校中じゃなくても話せるし、それだったら学年別の友達優先しよってこと、コウ兄はない?」

 コウ兄は学年別の友達どころかクラス内の友達もロクに居ないんでわかんないです。

「……でも、いいのか? 盗聴器付けるけど」

「ん、いいよ別に」

「いいならいいけども」

 こうして、俺達は一緒に登校することとなった。

 妹と一緒に登校というのは、仲を良くしたい兄としては絶好のチャンスであり、それを除いてもほぼぼっちの兄からしてみれば嬉しいのだが、一つだけ、たった一つだけ危惧していることがあった。

 もしも友である伊豆ノットが来たらどうしよう。

 今説明こそできないが、あいつと妹が出会うくらいなら縁を切ってもいいと思っている。それか自殺。

 しかし、ノットは6日前からずっと休んでいる。だから、急に現れることもないだろう。

 あいつと妹は、絶対会わせたくない。

「どったのコウ兄」

 絶対にコウ兄があの怪物から守るからな!

「そのカーディガン指定外じゃない?」

「いーのいーの」

 いい感じに話を逸らせたぜ。

「というかミユ、お前って別学年の友達いるの?」

「え? うん、2年A組を除いてほとんど友達だけど」

「なぜ除いた」

 ってかほとんど!? いや、誇張混じりだとしてもすごいな。そんなに交流あるのか。

「例えばコウ兄が教室に入った瞬間、えっ? あの子のお兄さんなの〜? って言われるのを避けるためだよ」

 配慮はありがたいがそういうのって逆じゃないの? 下の子が言われるヤツだよね。

「コウ兄も居たでしょ? カズ兄の後輩に話し掛けられたこと」

「いや、ないけど」

「えっ?」

 妹には話し掛けて、俺には話し掛けない理由なんてあるんだろうか。いやない。これは偶然である。

「あー、まぁ、コウ兄も一人くらい、一年の友達いるでしょ?」

「ん、うん。一人くらい……」

 同じクラスに友達が一人……二人しかいないってことは黙っておこう。

 辛くなるから。

「あ、そうだ。五月病を治したい。って知ってるか?」

「んー? 知らない。何かの映画?」

「知らんか〜、友達にも聞いといてくれない?」

「おっけー」

 聞くべきことも聞いたので、その後は他愛もない会話を交わした。話を聞く限り、ミユキには本当に友達が多いことが伺えた。

 兄二人とは正反対である。

 伊豆ノットと出会すこともなく、妹と別れて、校門を無事に通る。勿論、盗聴器のスイッチを切って。

 今日はぼっちが紛れたので、明るい気持ちで教室に入る。

 いかん、このままじゃぼっちだから自殺するみたいになっている。やっぱり交流、増やしておこう。



 俺は勤勉で真面目な喫煙者なので、真面目に授業をこなす。

 ちなみにノットはまた欠席。なので、今日は煙草を消費しようと、極力人が居なくなるまで教室で待つ。

 動向を探られると面倒なことになるかもしれないし、

 もしかしたら──────

「なぁおい」

 人の手が、

 右肩に乗っている──────

「ひぃっ?!」

 触れた手を払い除け、咄嗟に左へ避ける。

 飛び上がったせいで、ガタッと物音を立てて机と椅子が倒れた。

 閑散とした教室に、その音が響く。

 その後の静寂が、過剰に反応したことを示していた。

 現在の俺を非難するようだった。

「えっ?」

 非日常。

 イチジクヤヒロ。

 払い除けた手の人物だった。


 あまりのことに、九の手が払われたまま固まっていた。

「あっ」

 と、言うしか無かった。やってしまった、揺らいでしまった、避けてしまった。やってはいけないやゆよが揃ってしまった。

 これじゃあまるで学生生活の孤独に耐えかねて自殺を考えていたところ急にJKに触られてキョドった末に避けたみたいじゃないか!!!

 いや、現状、傍から見ればそうなんだけど、そうなんだけどさ。

「いやっあのっ! 考え事してて……」

 よく周りを見たら、早月ツララや檪原イチハラマヒルも集まっている。

 駄目だ。自殺計画、終わるかもしれない。

 ヤヒロ、ツララ、檪原イチハラマヒルの三人は、よくつるんでいるし、そりゃあこんな扱いされたら駆けつけるよな。

 もう二度と交流は望めない……か……?

「おいおいどうした、コウジ虐めてんのかよ」

 檪原マヒルが助け舟を出してくれた。やはり持つべきは友か。

「いや違っ、くねえかァ。急においとか言って悪かったな。なんつーか、あー、僕のせいだわ」

「あぁいや、ごめん」

 あっぶねぇ、学生として死ぬとこだったぜ。

「コウジが持ち主探しを手伝ってくれるかもって聞いたら、ヤヒロが先走っちゃってな、すまん」

 ツララなんて口を押えている。そこまで驚かせてしまったか。

「あー、そういう……ってことは、いつもは三人で探してるのか?」

「つうかまァ、僕があの本見つけてツララに相談したんだよ」

 友達がA組の教室で拾った、ってのは九のことだったのか。

「それで、コウジは手伝ってくれるのか? 別に忙しそうなら無理に付き合わなくてもいいんだぞ?」

 檪原マヒルが念を押して問い掛ける。本当にいいのかと聞かれれば、やる気は無い。が、ここで断ったら完全に交流が途絶える。

「そらもちろん、協力するよ」

 手伝うという言葉は、

 詭弁にすらならなかった。

「本当に? ありがとう、コウジくん」

 ここで断っておけば、落ちることもなかったろうに。


 ポケットに入れたスマホが音を立てて揺れる、放課後なので多少弄っても怒られない。だから、一瞬だけ覗こうと画面を見た。

「なっ……!」

 一件のメールが来ていた。

 内容は、「剣城くん、カッフェ行こうぜ」という一文と、対象のカフェのリンク。

「カッフェ?!」

 リアクションをしてしまった。

 いや、これは仕方ないだろう。

「どうした? コウジ」

 どうもこうもない。

 差出人は、伊豆イズノット。


 俺は話を強引に切り上げて、廊下を走って階段を飛び降りて校門から出る。盗聴器のスイッチも付け、スマホのマップアプリを開く。

 場所は一度も行ったことがないカフェ。徒歩で行ける距離だったのでスマホに案内してもらって、全力で走って、そこへ行き着く。

「……なんでカフェ…………?」

 息を整え、店の扉を開いた。

 店に入ると、「おひとり様ですか?」と聞く店員の声と、「こっちこっち」と先に席へ着いていた伊豆イズノットの声が聞こえた。

「ツレがいるんで」

 と馬鹿に指を差して、そいつの対面の席に座る。

「やぁ。朝立ちは済ませたかい?」

 不浄。

 伊豆イズノット。

「その汚い天丼やめない?」

 毎度毎度、この挨拶をしてくるのだ。

「まあまあ、適当に頼んどいたからさ」

 バナナパンケーキとコーヒーが頼まれていた。

 ノットのパンケーキはイチゴのようだ。

 なんでちょっと可愛いんだ?

「なにこのセンス」

 コーヒーを飲んでみる。

 苦かった。

「ブラックかよ」

「そう、BLACK RX」

「なんのネタ? それ」

「いやうん、今度から統一して下にするよ」

 救えない奴だが俺が拾えないのも原因かもしれない。

 人がいようがいまいが、下ネタ乱発するどうしようも無いミニガン野郎。

「そういうのはマグナムかデリンジャーで例えて欲しかったな」

「顔色で思考を読むな!」

 こいつは、中身も外見も校則違反。

 金色の髪。指定の制服ではない学ランを着ている。目の色が橙と青だけど、それは目の色が変わるほど性に対して興味があるから、と本人は語っていた。

 というかなんで今も学ラン着てんだ?

「それで、今度はなんで休んでたんだ?」

 前回は入学式を休み、続いて4月26日から5月2日までの期間。

 伊豆ノットは欠席していた。

「いやぁ、ちょっと色々あってさ」

 あはは、と笑って返される。ギブス、いやギプスを巻いてるせいで手はガッチガチになっている。

「お前バレーとかしてた?」

「してないし、バスケでもないよ?」

 クソ、先に潰されたか。

「なんで怪我したんだお前」

「自慰だよ」

「自傷じゃねーか!」

 どこまでやればそうなるんだよ。

「失礼な。同じ苦痛を和らげる行為だとしても根本が違うよ」

 どっちも生命側から見れば異常だろ。

「つうか自傷に詳しいな、やってたのか?」

「ええ、僕がやりました」

「自供行為だろ!」

 つまんないツッコミさせるな!

「んで、色々って?」

「本当に色々あったよ。未だ捕まっていない殺人鬼に遭遇したり、超お金持ちと親友になったり」

 ンなわけあるか、法治国家だぞ。

「つうかそれ、まんま兎我野トガノ一読イチドクだろ」

 兎我野トガノ一読イチドク。伊豆ノットの書いている小説のタイトル。

 つまり、自作小説というやつだった。

「あのさ、五月病を治したい。って知ってるか?」

「…………? なんだいそれ、小説?」

「あれ、なんで小説ってわかったんだ?」

「カマ掛けましたみたいな展開は辞めないか、なんとなく……そう思っただけだよ」

 まあ、そりゃそうか。


 趣味で書いてるって言ってたし、勉強の意味も含めて読んでないかな、と思ったんだが。こんなところで嘘を吐く必要が無い。

 検索しても出ない小説を、知ってるはずは無い。

「それがどうしたの?」

「なんつーか、探してるんだよ。検索しても出ないけど」

 検索しても出なくて、実物には作者も明記されていない。

 それは、商品の本として成り立つのか?

「エッチな本の可能性は?」

「すぐそっち方面に持っていくな。少なくとも無い、と思う」

「思う?」

 断言できない。が、青春小説と言っていたし、無いだろ。学校だし、そんなの持ってくる奴、一人しか知らん。

「俺も中身は見てないんだ。作者もバーコードも定価も書いてないんだけど、これって本として大丈夫なのか?」

「さぁ」

「さぁ……って、お前な」

「だって僕、ただの高校生だし。書くのが趣味って言っても、そういう表示がどうのってのはわかんないや。掠れて読めないとか、そういうのでもないんでしょ?」

 外見も中身も新品そうだったし、落し物ってことは生徒が持っていた。特殊な本の可能性は、多分ない。

「本として大丈夫かは知らないけどさ、商品としてはダメだろうね。番号もない、発行年数もないとしたら、うん」

「したら?」

「謎だね」

 わかんねーのかよ。溜めておいて謎かよ。

「ねえ剣城くん、まだ吸ってるの?」

 俺が大急ぎで来た理由。

 伊豆ノットは、俺が喫煙していることを知っている。

「……すってません」

「いや吸ってるでしょ、消臭スプレーの匂いがする」

「それは……」

「仕方ない、じゃあ先生に言うしかないか……」

 くそっ! しね!

「すいませんでした!」

「それどっちなのさ」

 分かりづらい返答だった。


 ノットはコーヒーを飲み干して、いちごパンケーキの位置を何故かずらす。

「それじゃ、君が好きな契約をしてあげようか」

「……え?」

 確かに俺は最近、ツララと約束や契約といって手助けすることを決めた。

 けれどなぜ……

「君が一日一善を欠かさないなら、煙草のことは絶対に言わないよ」

 どういう話か分からなかった。

「そりゃ、どういう────」

 突然、ノットに左手を触られる。

 その手を反射で叩いて、思わず席を立ってしまう。

「──────触るなッ!」

 こいつは俺の喫煙を知っているだけでもなく、トラウマも知っているはずなのに。

 何故触る。何故障るんだ。

「ふふっ」

 俺の心を見通すような、不気味で不敵で不浄な笑み。

 伊豆ノットとは、こういう男だった。

 滝のような汗がびっしょりと。

 冷や汗だった。


 周りを騒がせてしまうので、大人しく着席して、そいつに目を合わせる。

「…………一日一善、だな」

「うん、してくれると嬉しいね」

 何を考えているか分からないが、ノットは右の眼を閉じて、青の左眼だけで俺を見つめる。

「ああそう言えば、そろそろ始まるよ。次の創作」

 コーヒーを飲み干した意味と、パンケーキの位置を動かした意味。

 左手を触った意味。

 俺達は二人とも、右利きだった。

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