第16話 寒空の下

「ド・ド・レ・レ・ミ──手が届かないな……」


冬になり、人が減って祭りの時よりも遥かに歩きやすい道の真ん中を進みながら、俺は『銘潰しのリュート』で練習をしていた。

練習している曲は──曲と言っていいのだろうか?まあいいや。


今リアの言葉を借りれば、『即鍛錬の調エチュード』だったか?


「全ての音楽家は『即鍛錬の調エチュード』から始まり、『即鍛錬の調エチュード』と共に時を重ね、そして『即鍛錬の調エチュード』と共に死にます」


絶対言い過ぎだろと思うような言葉と共に教えてくれたそれは、なるほど、大袈裟でもないのだろうと思えた。


────────────────


即鍛錬の調エチュード』(1/100)

最低必要ステータス:DEX1


演奏時、演奏者が獲得するアーツ経験値とジョブ経験値にプラス補正。

補正量は演奏者の基礎DEX値と演奏楽器の熟練度に依存する。


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音楽のことは全然知らないけど、この『即鍛錬の調エチュード』は技術練習用の曲ということなのだろう。

演目はDEX値によって変わるようで、超初心者の俺がやっているのは音階を刻むだけの簡易なもの。

ドレミファソラシドシラソファミレド──これだけなのだが、リュートの構造がそれを妨害する。


「これ、元はロバ用だからな……」


非常に演奏しにくい。


「でもこれしかないしな……楽器を強制売却は心臓に悪すぎるし……」


頼むぞ、クエスト終わったら人間サイズになってくれよ~。

念を込めながら、もう一度だ。


領主の館へは途中まで行ったが、入れなさそうだったので引き返した。

山だったり東西の森だったりと彷徨ってみたが、特に新しく見つかるものはなかった。

これなら部屋に籠もってた方がよかったか?何だか寒いし……


そう少し後悔している時だった。


「──見つけた」


俺の前に、1人の少女が立ち塞がった。

長い銀髪を靡かせ、隙間から螺旋を描くように横に突き出る獣耳。正面から見ても分かるほどにモフモフな尻尾は警戒威嚇するように逆立って、敵意に満ちた赤い瞳は真っ直ぐ俺を貫いてくる。


……誰だ?全く見覚えのないキャラだが……

取り敢えず面倒そうな雰囲気がしたのでスルーして横を歩き去──


ガシッと手首を掴まれてしまった。


「あなたよあ、な、た!何無視してどこか行こうとしてるのよ!」

「えーっと、人違いじゃないでしょうか?俺はあなたのこと知らないんですが……」

「そうは行かないわよ厄災姫。あなたを連れ帰りに私は待ってたんだから!」


……

…………

………………厄災、姫?


「やっぱり人違いです。自分そんなイタい二つ名なんか名乗ったことないですんで」

「え、えぇ?本当に人違いなの?嘘じゃなくて?」

「嘘じゃないです。人違いです」

「えぇ、そんなぁ……そんな派手な見た目で人違い……?」


俺の手首から手を放す少女。獣耳も尻尾も力なく垂れ下がり、ガクリと肩を落としていた。


「うぅ、ご迷惑お掛けしました……後でお詫びの品を届けますので、お名前を教えていただいても……?」

「え?あ、ドットレスです。広場の『ブライエン工房』ってところに今は滞在してます」

「うげ、よりにもよって『ブライエン工房』の関係者だったなんて……3ヶ月も張ってたからお小遣いも残り少ないのに……」


何か、すまん……でも貰える物は貰いたいんだごめんな。


「それじゃあ後で伺いますドットレスさん……」

「あ、いえいえ。えっと、お仕事頑張ってください」

「ありがとうございます……」


そうして今度こそこの少女とはお別れする。少女に背を向けて、今度はどこに向かおうか考えていると──


「──ん?ドットレス……?」


その小さな呟きに、ぞぞぞっと嫌な予感がして気持ち足を速める、が。


「やっぱりあなたじゃないのドットレス・ミューベン・・・・・!」

「ちょまっ、やめろおおおお!不審者に誘拐されるぅぅぅぅ!」

「ふ、不審者!?私を不審者なんかと一緒にしないで!」

「嘘吐け!怪しい奴は皆そう言うんだ!」


この後、騒ぎを聞いた近隣住人の親切な通報により今リアに回収されるまで、この取っ組み合いは続いた。




「こほん。私は四大公爵が1つ、ミューベン公爵家に仕えるオリーヴ侯爵家の次女、ルシア・オリーヴよ」


ブライエン工房の一室で少女はそう名乗った。

また新しい貴族か、と俺は冷めた目で見ていたのだが、今リアは明らかに動揺した様子で。


「え、オリーヴ侯爵というと、あの?」

「ええ。証拠は……このハンカチはどうかしら?各家の紋章があるんだけど」

「た、確かに。生地も一級品でキレイですね……あれ、数が足りないようですが……?」

「ふーん、意外と知られてないのね。残りの1つはこの──」

「ええ!?」


楽しそうであるが、有名人なのだろうか?

だが残念だが、さっさと用件を教えて欲しいものだ。俺は口を開く。


「それで?偉ーい誘拐犯侯爵家次女様はこんな孤児に何の用で?生贄ですか?」

「な、あ、あなた!先程といい今といい、私のことを舐めすぎじゃないの!?」

「うっせーな。相応の態度をして欲しいなら相応の態度を見せろよ」

「まあまあてん、ドットレスさ、んん、えと、お互いに不幸なすれ違いがあるようですので、少しお話ししませんか?」

「……はぁ」


まあ確かに、貴重な手がかりであることは間違いない。俺は頭を掻いて頷いた。


「仕方ないわね」


向こうも一先ず矛を収めてくれたようだ。


「それであなた、厄災姫よね?」

「違うが?」


第2ラウンドが始まりそうになったのを今リアが必死に宥めた。

こいつ、侯爵家なんてお嬢様のくせに手が出るの早いな……


「すみませんルシアお嬢様。その厄災姫とは何でしょうか?」

「ルシアでいいわよ。厄災姫っていうのはそこにいるだけで大移動の災害スタンピードを引き起こすような存在のことよ」


大移動の災害スタンピード、という言葉が出てきて俺と今リアはピクリと反応した。


「信じられないかもしれないけど、過去に何人も存在が確認されてるのよ。そしてそれがそこにいるドットレス・ミューベン姫ってことなの」


姫って呼ぶな気持ち悪い。俺は顔をしかめたが、今リアは顔を青くした。

まさか本気で俺を?一瞬そう疑ったが、


「あの、それは私が聞いていいことだったのでしょうか?ミューベン公爵家の姫に厄災姫がいるというのは、公になるとマズいのでは?」

「…………確かにそう父様にも言われた気がするわ」


こいつ直感で生きてるタイプだな。


「で、でもそれはあなたたちが黙っていれば問題ないでしょ?」

「黙っててどうにかなるならな」

「ドットレスがそれを言いますか」


何故か今リアに呆れられた。何故だ、俺は今リアに腹を割って話しただろ。

え、ゲルマン?話さなくていいなら別に話さないよね?


「えと、一先ずルシア様のお話は分かりました。ですがこのドットレスがビネガー男爵領にやってきて3ヶ月になりますが、1度もそのようなことは起きていません」

「そりゃあそんなすぐに起きるわけないでしょ。この辺りはケモノ・マモノが少ないんだし」


確かに、そもそもこの辺りに兎などの動物がいないのは探索していて分かっていた。せいぜいがワルザー川の魚か?近づくと水面がビチビチ跳ねるんだよな。陸には上がってこないけど。


……あ、そういうことか。


「『被虐体質』を厄災姫って呼んでるのか」


でもそうなると、どういうことだ?

俺のステータスは確かに俺が自分の手と頭で作り上げたものだ。

その時に選んだ出生が、普通にNPCたちの社会に組み込まれてるのか?


それってまるで、プレイヤーも元はNPCだったみたいだな?


「……まさかな」


キャラのバリエーションが何通りあると思ってるんだ。予めそういうNPCを用意して文明シミュレーションして、そこからプレイヤーにアバターとして持ってきた、とか?

……ないか。さすがに四天王グループでもそんな意味分からないレベルのプログラムとかを組んではいないだろう、さすがに。

……さすがに、ねぇ?


「それも道理ではありますが──」

「いや、それで合ってるかもな」

「え?」


今リアが反論している横から、俺がルシアの発言を認めることを言うので、今リアは困惑した声を出した。

逆に勢いづくのはルシア。


「そ、それじゃあ──」

「悪いな、厄災姫って呼び名が初耳でしかも嫌な響きだったから否定したけど、そういう意味なら俺は厄災姫なんだろうよ」

「じゃあ大人しく付いてきてくれるのね!」

「それとこれとは話が別だろうが」

「何でよ!」

「そこの説明がまだだろ、何で付いていかなきゃならねえんだよ」


この論が飛躍するところ、『ネバーランド』の子供達相手にしてるみたいだ……


「何でも何も、そういう命令だからよ。ミューベン公爵家からは厄災姫を連れ帰るよう私たちに通達されてるし、私が収穫祭であなたを見つけたときは、探して連れてくるように父様からも言われてるの」

「その命令の理由を知りたいんだが」

「そんなの知らないわよ。必要なの?」

「少なくとも真っ当な理由がないなら俺はここから出て行くつもりはない。大事な用事があるんだ」

「へえ、それは四大公爵に逆らうほどのことなの?」

「当然」

「っ」


即答して返してやったら、ルシアが怯んだ。


「ねえ、あなた自分がミューベン公爵の姫だから、侯爵の娘でしかない私の要請を断れる、とでも思ってるの?」

「姫とか言うな。俺は孤児だ。親なんざ知らん」

「まだ子供だから分からないのかしら」

「どいつもこいつも子供子供言いやがって。俺は21だぞ」

「はあ?」


一触即発の空気。挟まれた今リアがオロオロしている。

互いに睨み合い、一挙手一投足に警戒する俺とルシアの空気を破ったのは、扉のノック音だった。


「……はい」

「温かい茶を持ってきた。開けていいか?」

「ブライエンさんですか。はい、どうぞ」

「うえ!?」

「ええ!?」

「え?」


おい、ルシアはともかく何で今リアまで俺を信じられないような目で見るんだ。

解せない、と首を傾げている内に、工房の主でゲルマンの父でもあるブライエンさんが入ってきた。


「邪魔をする」


と言って、俺達の前に湯気の立つお茶を置いていくブライエンさん。


「ありがとうございます」

「構わん、工房の主として当然の持て成しだ」

「いやいや!?このような雑事はオールランド家当主・・・・・・・・・様にしていただくようなことではありませんよ!?」

「爵位は返上しているから、今の俺は平民だぞ。気をつけろルシア・オリーヴ」

「置き手紙1つで返上出来るわけないじゃないですか!今でも領地はミューベン公爵家の代官が守っていますよ!?いつでもお帰り戴いても大丈夫なように!」

「いらんことを……」


……

…………?

えっと……


「なあリア、ブライエンさんって……」

「えっと、その、私もほんのついさっき知った事ですが……」


今リアの視線がブライエンさんへ向く。


「ブライエンさんは本名を、ブライエン・マルキス・オールランドと言うそうで、その、立場はオールランド侯爵家の当主様だそうです。先代当主様が病死された際に遺言に従って当主の座を継ぐはずだったのですが、その前に家出をしたそうです」

「なんだそりゃ……それって当主を他の人が受け継ぐんじゃないのか?兄弟とか」

「確かに、ゲルマンに叔父がいるとは聞いたことがあるので、ご兄弟もいらっしゃると思いますが、当主の座は継げませんよ。聖剣に選ばれていませんから」

「聖剣?」


唐突にまた、よくわからないワードが……


「──ともかく、俺が姫の面倒を見ている。それでいいだろ。ライアーにはそう伝えろ」

「……分かりました。この場はこれで失礼させていただきます……」


ルシアはトボトボとした歩みで部屋を出て行った。


「茶ぐらい飲んでいけばいいものを……勿体ない」


今度はブライエンさんが、ルシアが一度も手を付けなかったお茶を一気に飲み干し、部屋を立ち去っていった。


「……」

「……えっと」

「結局なんだったんだ?」


俺と今リアは首を傾げた。

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