第5話 天使様
どういうことだろうか。
まるで突然そこに湧出したかのように現われた女性に俺は動揺を隠せなかった。
いや、ゲーム全体で見れば偶に遭遇する場面だ。エネミーのポップ地点で待っていると、ポップ演出がないVRゲーとかだと、こんな感じで突然現われる、という現象が見られる。
しかしGDOは非常にリアルだ。だから無意識にそんなことはあり得ないと考えていたが……やはりゲームだった、ということだろうか……
そんな落胆した感情が顔に出ていたのだろうか、女性はハッとした顔をしたかと思うと突然跪いた。
「え、あ、ちょっと──」
「し、失礼しました!どうかお許しを!」
「ちょーっと待とうか!?急展開過ぎて俺も混乱してるから!ほら顔上げて顔、ほら」
内心では落ち着けと繰り返し叫んで、ようやく平静を取り戻した俺は女性を観察する余裕を得た。
まず服装から見て、プレイヤーの初期装備っぽい探検服でも俺のようなボロ布でもなく、薄い赤色──朱色か?そのジャケットを羽織り、赤色と黄色と黒を基調としたワンピースっぽいドレスであることからNPCだと推測できる。
美しいプラチナブロンドの長髪とやや高い鼻。青緑色の瞳、白い肌。現実にもいそうな、でもやっぱりファンタジー住人な北欧風の美人さんだ。
それと目に付くのは彼女が背負う袋と両肩に提げる2つの鞄。確かあれはネバーランドでミンストレルも持っていた楽器を入れるケースだ。
「──あの」
「ぁ、ああ、すいません!ジロジロと見ちゃって──」
失礼しました、と続けようとしたのだが、その前に女性が俯いてしまう。
「い、いえ、天使様が気に入るような見た目でもありませんし、むしろお目汚しかと……」
「そんなことないですよ!立派な美人さんですって!って、そうじゃなくて」
コホン、と咳払い。俺はまた周りを見渡して、立ち上がった。
「えっと、取り敢えず服も汚れちゃいますし、膝をつくのも──あー、これだけか。この切り株を使ってください」
「そんな!私には地面が相応しいですので、お気遣いなく……」
「えぇ、すっごいネガティブ……」
この後少し譲り合い問答があったのだが、この手に関しては俺はやや短気で──
「ええい、俺が落ち着かないんです、よ!」
やや強引に肩を掴んで立たせ、切り株に座らせてしまった。これはゲーム、彼女はNPC、同期は不純じゃないからセクハラではない、断じてない。
……ちょっとドキドキしちゃったのは、あれだ。NPCなのに体温をちゃんと感じられたからだ、うん、さすがGDO。
「ああ、天使様のお手を煩わせてしまいました……」
「いや、それはもういいから。それであなたはどこから来たので?」
俺は正面の木の幹に寄りかかるように立った。
取り敢えず突然現われたことが気に掛かるので尋ねてみる。
「どこから……えっと……どこからなのでしょう……」
「え?」
「ああすみませんすみません!でもはぐらかしてるわけじゃないんです!その、ここ最近の記憶がちょっと曖昧で……ここがどこかも分かりませんし……」
「記憶喪失、ってやつですか?」
「そうなんでしょうか……ああ、天使様の質問に答えることさえ満足にできないなんて……」
「隙あらば落ち込むなぁ……」
すごく不安になるNPCだ。
でも記憶喪失か……何かのイベントかな?折角の第一NPCだし、縁を繋いでおくのに損はないか。
「俺はドットレスって言います。見ての通りまあ、
「あ、はい。私は旅の楽士をしています、ラートリア・ビ──いえ、ただのラートリアと申します」
「ラートリアさんと呼んでも?」
「そんな、私なんて路傍の石とでも呼んでいただければ……」
「何でそんなに卑屈なんですか……」
ひょっとしてマゾなのかと失礼な思考が過ぎるが、頭を振ってかき消す。
「旅の楽士ということなら、何か目的とかはあるんですか?」
「それなら、一応。カバラ侯爵領を目指しています、多分」
「カバラ侯爵領、ですか?すいません、聞いたことがないですね」
「ああすみません、恥を晒させるようなことをしてしまいました……」
「…………」
このネガティブさ、もう無視した方がいいのかなぁ……
「……えっと、そのカバラ侯爵領って、どんなところなんですか?」
「ああはい。なんでも王国屈指の広さを誇る穀倉地があるのだそうです。そこの作物は品質もいいため、市場にも多く出回っているのだとか」
「……うん?」
そこまで聞いて、俺は首を傾げた。
GDOの設定では、この世界は人類文明が滅んだ世界であり、プレイヤーが復興させていくというもののはずだ。
そうなると、その『カバラ侯爵領』というものが本当に実在するのだろうか、疑問に感じてしまう。
妄想?そしてこの鬱思考……現実なら出来れば関わりたくない方になってしまうが……
いやいや、なにかちゃんとした筋があるはずだ、多分、きっと、恐らく。
「なんだか牧歌的で長閑そうな場所ですね。ラートリアさんはそこでお仕事ですか?吟遊詩人みたいな」
「……ええ、まあ、はい。そうですね」
なんだか歯切れが悪そうな返答だが……まあいいか。
「でもこんな森の中を1人旅とは、危なくないですか?」
「あはは……まあ運だけはいいのでしょうね、なんとかなってしまっています。ですが、それも──」
とそこへ、クゥゥ、と微かな音がラートリアさんから聞こえてきた。
「ああすみません!こんな卑しい女で──」
「いやいや、生理現象ですから仕方ないですって。ここは動物たちも襲ってこない場所みたいですし、もう遅いですから休まれては?」
「……そうですね。そうさせてもらいます」
そう言うと、ラートリアさんは背負っている袋をゴソゴソとし始める。
「……最後の晩餐、ですか……」
何か呟いたように聞こえたが、それは俺の耳には届かなかった。
ふと俺は自分のステータス画面を見てみると、名前の横に【状態異常:空腹(5)】という表記が付いている。
GDOに限らず、ある程度リアリティを追求した他のVRゲーでもだが、アバターには基礎ステータス以外にもマスクドパラメータ──隠された数値が存在する。その中でも特に『満腹度』は有名であり、現実のようにゲームでも食べないでいると──
────────────────
【状態異常:空腹】
満腹度が50%を下回っている状態。
スタック値が500以上になると【飢餓】へと変化する。
飲食することで快復する。
────────────────
この通り。【空腹】は軽い状態異常であるためなっていても問題はないが、【中毒】など有名なものはキチンとバッドステータスがあったりする。
──さて、ここで問題となるのは──
「あの……天使様は召し上がらなくて平気なのでしょうか?」
「あ、俺は食糧持ってないので」
「それは、後ほど神界で戴くということでしょうか?」
「いや、そもそも神界には行けませんし」
袋から取り出した干し肉を囓っていたラートリアの質問に俺は肩を竦めて返した。
初期の食糧はテラレプスやもう少し深域にいるエネミーを狩ることで賄うものだが、あの一戦で俺はデスしたのでアイテムの回収は出来なかったし、出来たとしても『隷属する者』の効果で強制的に売却されるだろう。
……言われて気付いたけど、この面でも詰んでね?【飢餓】の効果って確か体力上限の減少じゃなかったっけ?そして最終的には
うーん、参った。折角NPCと出会ったのに日付跨ぐ頃にはまたランダムリスポーンになるのか……あれ、満腹度ってリセットされてなかったよな……餓死した場合ってどうなるんだ?ガチで詰みか?
想像もしていなかった恐ろしい事態を思い浮かべて顔が青ざめる。これでは実質引退だ、どうすれば……かくなる上は──
と、そこまで考えた時に俺の目が捉えたのは、いつの間にか鼻先にまで差し出されていた干し肉だった。
「──え?」
「えと、そ、粗末なものですが、その、食べないよりはマシだと──」
怖ず怖ずと喋るラートリアだったが、途中ハッと何かに気付いた顔をして、
「て、天使様が普段召し上がってらっしゃるものよりは遥かに不味いものを押し付けて──あ!それとも断食の修行中でした!?あう、えっと、そのぉ──」
「くっ、ふふっ……」
ラートリアさんの慌てて取り繕うような態度に、俺は昔のネバーランドを思い出していた。
俺が初めて遊具を作った最初期の子供達は、こんな感じだったなぁ……
おっかなびっくり近付いて、「爆発しない?」とか言われて……
まあ、ここまでネガティブではなかったけどな。
「いえ、ありがたくいただきます」
「え、あ、はい。お口には、合わないかもですが……」
干し肉を受け取って囓る。
やや血の臭いがする、あまり味もない肉。確かに美味しいものではなかったが……ん?この微妙に質の悪い感じ、もしかして──
「もしかして……手作りですか?」
「はぅ、す、すみません、本当に粗末なもので……」
「ああいえ、責めているわけじゃないんです。むしろご立派ですよ、現地調達なんて中々出来ることじゃないですから」
「そ、そうなんでしょうか……」
「そうなんです──まあそりゃ足りないよなぁ」
戴いたのは干し肉1つのみ。【空腹】は消滅したが、すぐに再出現するだろう。
「それはいいとして……ラートリアさんはこれからどうします?」
「これから……?お迎えではないのなら、まあまずはこの森から出ないことにはいけませんよね……ああ、迷子になるなんてなんと情けない……」
「実を言えば迷子なのは俺もだったりするんですよねぇ。というわけでしばらく協力して出口を探しませんか?まあできることは戦闘ぐらいでラートリアさんほど貢献はできませんが」
「そんな滅相もありません!私は劣悪な料理を作るのと、下手な罠を張るのと、手慰み程度の演奏しかできませんよ!?」
「俺よりできること多いんだよなぁ……」
「お願いします。ここで会ったのも何かのご縁ということで、見捨てないで貰えると──」
「見、捨て──」
ちょっと強引に、アバターの見た目を前面に押し出して上目遣いをしてみる。
おや?ラートリアさんが目を見開いて何か呟いたようだが……
「……やはり私は、見捨てることが出来ないようです、ゲルマン」
「へ?」
「その、こんな私程度では力不足ですが、その、私でよければ精一杯手伝わせていただきます」
「あ、ありがとうございます!」
こうして俺はしばらく、ラートリアさんと行動を共にすることになったのだった。
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