そよ風みたいに

青樹空良

そよ風みたいに

 彼女がとても好きだった。

 初めて好きになった人だった。

 高校生の頃、いつだって彼女を目で追ってしまった。

 友だちと話しているときの笑い方がすごく好きだと思った。わざとらしい誰かに合わせたような笑い方じゃなくて、そよ風みたいに自然に笑っていた。それが、とても耳に心地よかった。

 聞いているだけで、いいなと思った。


『ねえ、今私のこと見てたみたいだけど、なんか変かな?』


 ある朝、視線に気付いた彼女が慌てた様子でこちらへ歩いてきて話し掛けてきたときには心臓が止まりそうになった。


『今日寝坊しちゃって。慌てて出てきたから、おかしいとこあるかと思って』

『……大丈夫だと、思うよ』


 いつも通り可愛いと言いそうになって、慌てて飲み込んだ。


『よかったぁ』


 彼女は見ていたことを責めるでもなく、ほっとしたように笑った。

 それが、彼女との最初の会話だった。

 それから彼女と仲良くなった。

 二人で休日に遊びに出掛けたりもした。デートと言ってよかったのかは、今でもわからない。

 とても仲良くなったけど、それ以上には何も無かった。

 好きだとか、そういうことは言えなかった。ちょっとだけ、そういう雰囲気になったこともあった。だけど、気の迷いかなって感じで無かったことのようになった。

 高校を卒業して、別の大学に行くことになると段々と疎遠になってしまった。

 初恋なんて、そんなものだ。




 ◇ ◇ ◇




 初恋なんてそんなものだ、と思っているうちに結構ないい歳になった。と、言ってもまだ二十代だし、焦るほどでもないとは思っているのだが、周りはそうは思っていないらしい。

 もちろん、彼女以外にもいいなと思える人はいた。だけど、付き合うには至っていない。それで、この歳まで来てしまった。

 今、足を踏み入れたのは婚活パーティーの会場だ。

 親に言われてしぶしぶ来ることになった。何度も言われて、今回初めて参加することになった。一度でも参加すれば、さすがに少しの間だけでも黙っていてくれるだろうとか、そういう期待からだ。

 この会場にいることは結構な苦行だ。

 ため息を吐きそうになって、息が止まった。

 男ウケしそうな清楚な服に身を包んだ彼女が、いた。

 こういう場所に慣れていないのか、きょろきょろと周りを見回している。

 同じような状況なのかもしれない。

 だけど彼女なら、こんなところに来なくても相手なんか大勢いると思うのに。だって、昔と変わらず、すごく可愛い。

 声を掛けるべきだろうか。

 だけど、こんな場所で?

 きっと迷惑だ。

 だというのに、


「あ」


 こちらを見た彼女が、小さく声を上げてパッと顔を輝かす。小走りにこちらへやってくる。

 それで、もうダメだった。


「久しぶり。こんなところで会えるなんて」


 少し息を切らしながら、彼女は笑った。離れていた時間なんか感じさせないみたいに、自然に。

 あの頃好きだった、彼女のままだった。




 ◇ ◇ ◇




「あー、疲れた」


 会場を出てすぐに、彼女は伸びをした。

 彼女が他の誰とも一緒にいないということは、マッチングしていないということで、ほっとした。会場のロビーで会った彼女と、なんとなく流れでお茶をすることになった。ラッキーだ。

 さっきはすぐに司会者に席につくように言われたので、話しているどころじゃなかった。

 近くにあった喫茶店に入ってコーヒーを一口飲んでから、


「ねえ、番号、何番書いたの?」


 彼女は言った。誰か気に入った人がいたら書く番号のことだ。お互いに書いた番号が合っていればカップル成立するという、アレだ。


「書かなかった」

「え? 嘘、それでもよかったんだ。絶対書かなきゃいけないと思ってた」


 正直に答えたら、彼女はびっくりしたような顔をした。


「いいと思う人、いなかったの?」

「元々、そういうつもりで来たんじゃなから」

「そうなんだ」

「親に言われて、仕方なく来ただけ。マッチングなんかしたら面倒だなって悩んじゃった」

「嘘。一緒だ」

「え、そうなの? なーんだ」


 彼女は笑った。すごく、ほっとした。

 ほっとしたし、この先のことを考えてしまった。今更どうなるものでもないのに。

 だから話題を変えるように聞いた。


「じゃあ、番号は適当に書いたってこと?」

「とりあえず埋めなきゃって、五十六番とかいない番号書いちゃった」

「今日、三十人くらいしかいなかったよね。五十六番ってなに?」

「なんとなく、フィーリングで。語呂合わせ? こんなところに来るくらいなら家でごろごろしてたかった、みたいな」

「それ、書いてないよりひどくないかな?」

「そうだったかも」

「運営の人、絶対困ってたよ」

「だね。だから、もう慌てて出てきちゃったけど」


 二人で顔を見合わせて笑ってしまう。運営の人だって仕事だから笑い事じゃないのに、なんだかおかしい。

 笑いが収まった彼女がこちらを向く。

 どきりとしてしまう。

 高校生の頃からこんなに時間が経っているのに、まだ彼女のことが好きみたいだ。

 初恋はしつこい。


「ねえ、本当にいいと思う人いなかった?」


 彼女が首を傾げて聞いてくる。

 ぐっと、言葉に詰まった。


「そっちこそ」


 答えに詰まったときは、そのまま返すに限る。

 彼女はちょっと困ったような顔になった。


「私、かぁ。そうだな……。番号、書けなかった人なら、いた」

「え?」

「書いても他の人が来ちゃうだけだし」

「どういうこと?」


 彼女の言っていることがわからない。


「だって……、これ言っていいのかな。引かない? もう時効かな」

「?」


 今度はこっちが首を傾げた。


「今、目の前にいる人ならいいなって思った」

「わ、私?」

「うん。でも、あれって男女でカップル成立する前提でしょ? その番号書いちゃったら同じ番号の男性が来ちゃうだけだから、それは困るし。私、男には興味ないんだ」

「え、ええと? じゃあ、なんでそんな男ウケしそうな服着て……。それに、男からモテそうなのに」


 混乱する。

 彼女は何を言っているのだろう。


「ああ、これ? お母さんが用意しちゃってたの。喧嘩になるのも面倒だから着てきたんだ。私の趣味じゃないよ。私が好きなのは……」


 一旦言葉を切って、彼女が私を見た。


「高校生の頃、ずっと好きだったの。やっと言えた。言っちゃった」


 彼女が何かをやり遂げた後のように、ほうっと息をつく。

 彼女は私のことを真っ直ぐ見ている。


「……それは、もしかして、告白?」

「そう、だね。ごめん。気持ち悪い、よね?」

「ううん、違う」


 私はぶんぶんと首を横に振る。

 これは現実だろうか。

 今日だってずっと彼女を見ていた。私だって、男になんか全然興味がない。


「私、も、ずっとスキ、だった」


 言わなくちゃと、思った言葉がカタコトになる。


「え、嘘」

「時効、かな……」


 さっき彼女が言ったことを私も口に出す。


「ウソウソ! 時効じゃない!」

「でも、好きだった、って。過去形だよ」

「違うよ。今日、会場で再会できてすごく嬉しかった。周りなんか全く見えなくなって、早く終われって、そしたらまた話せるって、そればっかり考えてたよ」

「私も……。でも、まさか、本当に、私のこと好き、だったの?」

「うーん。それ、ちゃんと気付いたの高校卒業してからだいぶ経ってからなんだよね」


 彼女は言った。

 正直、私はまだ信じられない。


「だって、女同士でしょ? 思春期のって、自分で思春期とか言うのも恥ずかしいけど……、思春期の気の迷いだったかもとか思うよね」

「……」


 それは私も同じだ。同性を好きになるのは思春期の気の迷い、とか言っている人はネットでもよくいる。疑似恋愛みたいなものだって。わたしもそれなんじゃないかって、悩んだこともある。

 でも違う。ずっと忘れられなかった。

 やっぱり、あれは恋だった。

 私は彼女の言葉の続きを待つ。


「で、大学のときに男と付き合ってみたんだよ」

「え」

「ううん、大丈夫だから!」


 彼女が慌てて顔の前で手をぶんぶんさせる。コーヒーがこぼれそうで危ない。


「そういうことする前に、ちゃんと別れたから! キスとかされそうになって、絶対違うと思って顔、押しのけちゃった。だから、なんにもしてないんだよ。むしろ、あの、高校生の時のデートの方がずっとよかったというか……」

「高校生の時のデート……。それって、私との?」


 こくり、と彼女が頷く。

 彼女もちゃんとデートだと思ってくれていたんだと思うと、自然と顔が綻んでしまう。そう思っていたのは、私だけじゃなかった。ただ友だちと遊びに出掛けていただけ、と言われればそれまでだから。


「でも、あの時は二人ともデートだってちゃんと口に出したことなかったでしょ? だから、今度こそちゃんと誘いたいなって思うんだけど、いいかな」

「ちょ、ちょっと待って、心の準備が……」

「じゃあ、準備ができたらいいんだね」


 そう言って、彼女はそよ風みたいに笑った。

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