第4話 契約の成立
興奮で頭から湯気が出そうな歩夢。
その様子を眺めて、谷中は満足げだ。
「お客さんの中には、かなりマニアックな注文もあったりします。ここでは言えませんけどね、例えばぁ……」
「言えないと言いながら言いかけていること、言いたくても言わないでおいてもらえますか」
「そうですか~? 再現していることは他にもたくさんあって、呼吸だってするし、ため息や吐息なんかも吐きます。汗や涙、唾液や血液などの体液も流れるし、女性型なら膣分泌液まで出しちゃいます。いわゆる愛液ってやつですねっ。ヌルヌル、ビショビショって」
この人、よくそんな話して平気だな。
女のくせに恥ずかしくないのか?
研究者って、こんな風に感覚がマヒしちまうもんなのかな。
「あら、顔が真っ赤ですが、どうかされましたぁ?」
こいつ、わかっててわざと言ってるだろ。
俺が胸元を気にしてるのも気づいてるみたいだし。
自分の胸をジロジロ見られて笑っていられるなんて、女ってホント、おっかねえ生き物だな。
「あのちなみに、それを買った人って、どういった目的に使うんでしょうか」
「ご想像の通り、性のはけ口にするケースは多いです。ですが、亡くなった妻や恋人の姿にしたい、と希望するお客様も、少なくないんですよ」
「なるほどね。失った人を取り戻せるなら、いくら払っても構わない。世の中にはそういう人もいるだろう。そんなことしたって、しょせんは偽物にすぎないのに」
「厳密に言えばそうですが、それでも本気で好きになっちゃうお客様が少なくないんですよ。マイドールを恋とか、愛とか、そういったものの対象にするんです」
「恋? 愛?」
「まあ、恋と愛の区別は難しいですけどね。日比野さんは、どう思います?」
なぜか挑戦的な谷中の視線に、歩夢は思わずムキになった。
「そうですね。例えば、恋は相手の欠点が見えなくなる、愛は相手の欠点を好きになる、ってところでしょうか」
「なるほどー。かなり似てるけどっ」
「恋は束の間の妄想、愛は作り上げた空想、という意味です」
「なんか余計わかりづらくなったような……」
「恋とは錯覚を盲目的に信じ込むこと、愛とは理想像を自発的に追い求めること、なんですよ」
「ん~、なんだかよくわかんないけど、人は古来より、存在しないものを追い求める生き物ですよね。その妄想やら空想やらを、弊社のマイドールが見事に実体化してご覧に入れますよ」
「寂しい人の弱みにつけ込んで高値で売りつけるなんて、やり方が汚いんじゃないですか?」
「うっ……えーっと、使い方は簡単ですが、大事な点だけお伝えしておきますねっ」
谷中は歩夢が口を挟めないほどの早口で、注意点を説明していった。
「マイドールは小型電気自動車並みの電力を消費します。急速充電はコンセントを用いますが、普段のエネルギー補充は体内の超小型コージェネレーションシステムにて行います。人間と同じように口から食料を摂取して、メタン発酵によりバイオガスを発生させて燃料にするんです。残りかすとして堆肥と液体肥料が出ますが、肥料が不要の場合はトイレで排出して流します。これも、動きとしては人間の排泄行為にそっくりです」
「食事もするし、ウンコもオシッコもするってこと? 人間と変わんないな」
「ですね。ちなみに男性が発射する精液の成分、例えば精嚢の果糖、前立腺液のクエン酸、それに精子のタンパク質などが燃料の材料として極めて効率的です。どうせ女性型を選ぶんでしょうから、膣内へバンバン射精しちゃってくださいねっ」
おいおい、この人大丈夫なのか?
もしかして、欲求不満?
女性は三十五歳以降、卵子の力が弱まって妊娠の可能性が下がる。
その一方で男性ホルモンの量は増えて、性欲を高めるテストステロンが増加する。
この矛盾が女性の心を乱すのかも。
でもそれだけで、ここまでしゅう恥心を失うはずはないな。
「そういう説明、なんか悪意を感じますね」
「どんでもなーい。日比野さんが味わうめくるめく生活を想像すると、楽しみで楽しみで~」
「俺は、機械となんかエッチしませんからっ」
「まあ使い方はお客様にお任せしますけど。ちなみに処女の状態でお届けしますので、初夜は出血を伴います。と言っても標準的な性行為はプログラムされていますので、たとえ未経験の方でも、マイドールがきっちりリードしてくれますからご心配なく」
「けっ、経験ならありますよ。失礼な……」
ウソだ。
俺は女性を抱いたことがない。
キスすらない。
その他もろもろなんにもない。
「なお、節電のため夜中は省エネモードに入ります。これもまた人間の睡眠に近いものです。ですのでいちいち電源を切る必要はありません。首の後ろに電源スイッチがありますが、普段は触らないでください。押すと完全に停止してしまい、再起動には時間を要しますから」
「要するに、押しちゃダメってことね」
「では、無料モニターに参加する契約書にサインを」
「無料モニター? やっぱアンケートとかあるのかあ」
「商品がどのように利用されたかをチェックさせていただき、今後の商品開発にフィードバックいたします」
「それって、エッチしたら記録されるってことじゃないですかっ」
「これまでのデータでは、男性が女性型マイドールを購入した場合、百パーセントの方が膣内に射精しています。どうせみんなやってるんですから、ちっとも恥ずかしくないですよっ」
「マジで絶対エッチしないから」
「はいはい。では書類の小さな文字は読み飛ばして、さっさとサインしちゃいましょっ。さあ早く、早く~っ」
そういえば、商品を受け取るかどうか考えるために来たのに、いつの間にかアンドロイドと寝るかどうかって話にすり替えられてるぞ。
まんまと契約書にサインしちまったじゃねえか。
小一時間の説明が終わり、谷中は歩夢をエントランスまで見送った。
微笑んでいるのかにらんでいるのか、極めてあいまいな表情で。
歩夢は移動中も帰宅後も、アンドロイドを誰の姿に似せてもらうか、ずっと思案していた。
男はありえない。
人気の女優?
はやりのアイドル?
それとも、同級生のあいつ?
しかし彼の心には、ずっと一人の女性が君臨していた。
いくら消し去っても、どうしてもその姿がよみがえってくる。
女性が三十五億人いたって、選択肢は初めから一つしかなかった。
歩夢が寝室の押し入れを開く。
上段は布団や衣類だが、下段には段ボールが整然と積んである。
彼はその中から一つの箱を引っ張り出した。
ガムテープをはがしてふたを開けると、化石の標本やら天体図やら、古びた物が並んでいる。
そのどれもが、捨てようとしても捨てられない思い出の品だ。
彼の視線が、一枚のメモ紙に止まる。
次に見たのは、白いメモリースティック。
歩夢は居間の小さな机に置いたノートパソコンに、手を震わせながらメモリースティックを差し込んだ。
そして何度も深呼吸しながら、十枚の画像と二つの動画データを選択する。
アドレスに会社名が入ってないな。
今さら細かいことを気にしてもしかたねえか。
あーあ、送っちまった。
俺、なにやってんだろ。
いったいなにを、期待してんだよ。
踊るように揺れる長い髪。
白いほおを伝う透き通った涙。
歩夢の脳裏を、記憶の断片が駆け巡る。
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