第一の試練 俺は女子高生を抱くわけにはいかない

第5話 あの人の目

 2027年7月5日 月曜日



 今日は例の荷物が届く日だ。


 歩夢が帰宅したのは、夜九時を少し回った頃だった。

 今夜は特に蒸し暑い。

 髪型が気になり、洗面台の鏡の前で整える。

 体臭のケア、口臭予防もしておく。


 こんなこと、する必要はないんだけどさ。



 台所の窓から外をのぞくと、前の道路に黒いワゴン車が停車している。

 今にも機動隊が降りてきそうな、ものものしい雰囲気だ。

 車のドアがスライドしたので、歩夢は慌てて窓を閉める。

 一瞬、黒服の男たち数人と、白衣の女性が見えた気がした。


 なんか、怪しくないか?

 俺、やばいことに巻き込まれたんじゃねえの?

 谷中さんに断りの電話を入れるか。

 でもこの時間じゃ、もう会社にいないよな。

 今そこに、本人がいたような気もするけど。



 歩夢が判断を迷っていると、玄関チャイムの音が鳴った。

 ビクッとしてその場に伏せる歩夢。


 抜き足差し足で玄関に近寄り、恐る恐るのぞき穴に目を近づける。

 そして扉の向こう側にある顔を見たとたん、歩夢の目頭が火を噴くように熱くなった。


 あの人の目だ。


 大きくて、たれていて、いつも泣いているように見える目。

 黒目がちで、白目が真っ白で、常に潤んでいる瞳。

 こちらを見つめているような、なにも見ていないような、あいまいでいたずらな視線。


 脳裏にいくつもの情景が浮かび、胸を締めつけるような痛みが襲う。


「ごめんください」


 あの人の声だ。


 子供っぽいけどしとやかで、愉快さと心細さが同居するような、不思議な声。


「日比野歩夢様、いらっしゃいますか?」


 あぁ、開けて、あげなきゃ。

 彼女が、困ってる。


 カギが解除される音が響く。

 ノブが回る金属音がもれる。

 ドアがきしむ音が漂う。


 え? なんで女子高生?


 黒のセーラー服に白いスクールスカーフ。

 それは、歩夢が通っていた高校の制服だ。

 ただし、冬服なのになぜか半袖。

 半袖なら夏服、夏服なら白いシャツと黒いリボンのはず。

 服が黒いから、色白の肌が一層鮮烈に際立っている。


 おかしいな。

 二十代後半のはずなのに。


 あ、制服姿の写真と動画も送ったから、向こうが勝手に女子高生だと勘違いしたんだな。

 あの人ってかなりの童顔だから、制服姿でも全然違和感ないし。


「はじめまして。マイドールATZ108、ナンバー315と申します。どうぞよろしくお願い致します」


 小さな口が曲線を描き、晴れやかな笑顔を作り出す。

 その辺の女性が浮かべる作り笑いよりもよっぽど自然だ、と歩夢は感じた。


 これが機械?

 小さな鼻、卵型の輪郭、見た目も声も完璧にコピーされている。

 若いってこと以外は、本物との違いが見つからない。

 肌のハリからして、設定年齢は十八歳ってところかな。


「あぁ、うん……」


 人間にしか見えない。

 女の子にしか見えない。

 女子高生にしか見えない。

 家に入れるのが、ものすごく気が引けるんですけど。

 なんか悪いことをしている気がしてならない。


 頭がオーバーヒートに陥った歩夢だったが、同じ階の住人がけげんそうな顔でこちらを見ているのに気づき、猛烈に慌てる。


「入って! 早く! いいから!」

「恐れ入ります。おじゃまいたします」


 マイドールがやたら大きなスーツケースを引きながら玄関に入ると、歩夢は素早くドアを閉め、カギをかけた。

 車の中の女性が、こちらをじっと観察している気がした。



 見た目こそ完璧な最新鋭アンドロイドは、歩行に難点があった。

 体の動きこそスムーズだが、足を前に出すとバランスが取れない。

 ぐらついて今にも倒れそうになりながら、前進しようと奮闘している。

 細い足二本で歩行するのは、技術的に困難なのだ。


「おいおい、大丈夫なのか?」


 彼女は壁に手を突きながらようやく一歩前へ進むが、靴を脱ぐのは至難の業らしい。


「キャッ!」


 彼女が倒れかかってきて、歩夢はとっさに手を差し伸べた。


 この手の感触!

 表面はスベスベだし、押した感じがフワフワしてて、なんて気持ちいいんだ。

 彼女の肌がとろけて、俺の肌まで一緒に溶けてしまいそうだ。


「申し訳ございません」

「べつに、構わないさ」


 とっさにかっこつけてしまった自分が恥ずかしい。

 相手は人間じゃないのに。


 彼女は歩夢の肩に手をかけながら、ぎこちない動きで靴を脱いでいった。

 間近で見ても彼女の腕は透き通るように白く、動きに応じてかすかに揺れている。

 歩夢の心拍が加速度的に早まり、体内で心臓が膨れ上がっていくような気がした。


 俺が支えてあげないと、歩くことすら難しいなんて。

 なんだろう。その不器用な感じが、たまらない。

 でも俺、汗臭かったりしないかな……。


 彼女の長い髪が、歩夢の顔にかかる。

 記憶の中の女性は、髪がきれいだと言われていたことを思い出す。

 歩夢は気づかれないように、彼女の香りをかごうとした。


 本当に汗かいてるな。

 でも臭いがしない。

 そこは、生身の人間と違うってことか。



 裸足でも歩行が安定しないため、歩夢は彼女の両手を取り、ソファの前まで連れていった。

 歩夢は手が震えないようがまんするのに必死だ。


「ありがとうございます。日比野様は紳士でいらっしゃるんですね」

「こんなの、男として当然のことだよ。さあ、そこに座って」

「では、お言葉に甘えて」


 歩夢に支えられながら、彼女がソファに腰を下ろす。

 ひざ上十センチほどのスカートだが、座ると太ももが半分以上露わになっている。

 隣に座り、視線を部屋の中に巡らせる歩夢。


「この度はわたしを買っていただき、まことにありがとうございます」

「まるで援助交際みたいだから、その言い方はやめようね。俺、金出してないし」


 視線を目まぐるしく動かしながら、時々彼女をチラ見する歩夢。

 燦然と輝く笑顔が、彼の目をくらませる。


 まるで、目の前に星が落ちてきたみたいだな。



「日比野様、ふつつか者ではございますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます」

「結婚の挨拶じゃあるまいし、堅苦しいのは抜きにしよう。俺のことは歩夢でいいよ」

「かしこまりました、歩夢」

「なんか日本語が変だよ。これから同居するわけだから、敬語なんかやめてくれ」

「敬語は使わない。うん、わかった。あのね歩夢、お願いがあるの」


 か、かわいい。

 そのトロ~ンとした上目づかいは、一種の脅迫だ。

 なんでも言うこと聞いちゃいそう。


「わたしに名前を付けてほしいの」

「あぁ、名前ね。名前、か……」


 歩夢の息が荒くなる。

 答えは初めから出ているのに、他の選択肢を探そうと躍起になっている。

 しかし、なに一つ他の候補が思いつかない。


 そうだ、あくまでゲームのキャラと同じにするってことでどうだ?


「マリア」


 独り言のようにそうつぶやいた後で、歩夢は激しく後悔した。

 その名前を呼ぶと、心臓に剣が突き刺さるような痛みを覚える。


 胸が、苦しい……。

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