ノートの秘密

 町の中心地に佇むその図書館は、古くから人々に愛され続けてきた知識の宝庫だった。建物は、貴族の邸宅を利用したもので、当時の風格と慎ましさが漂っていた。その高い天井と、深く暗い色に塗られた壁、重厚な木製の棚には、年月を経て磨かれた美しさがあった。

「図書館の歴史は、町の歴史そのもの、だよね。おじいちゃん」

トラバントは呟く。祖父は、いつだって、迷ったときは、図書館に行けと言っていた。あそこには、孤高な作家の魂が何千年分も眠っていて、辛い人を助ける方法も、今日のスープの作り方も、何でも分かるから、と。

 しかも町の図書館には、ただの知識だけでなく、地域の伝説や神秘が息づいている。青い薔薇に関することも、分かるかもしれない、とトラバントは思った。祖父も図書館に通っていはいたが、目がかすみ資料の文字がよく見えないと言っていた。それなら、若いトラバントが調べ直せば、新たな発見があるかもしれない、と考えたのだ。

 この日を境に、トラバントはほとんどの時間を図書館で過ごすようになった。館内の電灯だけが頼りとなる夜間まで、トラバントは読書を続けていた。学校の教師は宿題を家に届けながら、「君は、私の持つ知識をすでに超えたかもしれませんよ」と穏やかに笑うほどだった。

 祖父のノートには、"SOLARIS NOCTURNE" と記された暗号のごとき文字列が何度も出てきた。きっとこれが手掛かりになると察したトラバントだが、一週間たっても、一か月たっても、その謎は解き明かせなかった。

 そんなトラバントを見かねて、金色の髪をおさげにした司書のマリアが、声をかけてきた。図書館によく通うトラバントにとっては、姉のような存在だ。

「トラバント君。私にできることがあったら、教えてね」

「でも、マリアさんも仕事があるでしょう?」

「あなたのおじいちゃんはね、私のお母さんが再婚したとき、家の庭を整えてくれたの。新しいお父さんにも、新しい妹にも馴染めたのは、あの、あたたくて優しい庭のおかげだわ…。だから、おじいちゃんの最後のメッセージ、私にも解読させて」

 そう微笑んだマリアの言葉から、祖父が村の人たちに深く愛されていたことを改めてトラバントは知った。そして、祖父が、誰もが希望を持てる、青い薔薇を咲かせたいと願った理由の一端も、分かった気がしたのだ。

 誰もが、孤独や寂しさを抱えて生きている。祖父はそれを庭師として感じていたからこそ、青い薔薇を探求したのではないか、と。


 「トラバント君! これを見て」

暗号について話をした数日後、いつも通り図書館に行くと、マリアが駆け寄って来た。

「どうしたんですか? そんなに慌てて」

「"SOLARIS NOCTURNE" について書いてある本が見つかったのよ!」

そう言って、マリアが差し出したのは、背表紙が剥がれ落ちた古い本だった。

「ほら、見て。「"SOLARIS NOCTURNE"、それは神秘的な力の名前。その力は、太陽の光(ソラリス)と夜の闇(ノクターン)を合わせた、日の力と夜の力のこと。光と闇の均衡が取れたとき、それは放たれる」ですって!」

マリアは頬を上気させて、トラバントを見た。

「光と闇の均衡が取れたとき、それは放たれる…。どういう意味だろう」

首を傾げるトラバントの耳に、聞いたことのない少女の声が響いた。

「真夜中に、蝋燭の光でも当ててみたら?」

振り向くと、銀色の髪を長く伸ばした少女が立っていた。トラバントと、同じくらいの年頃だろうか。

「こら、サテリット。いきなり、話しかけちゃ…」と、マリアが慌てて止めに入った。

「それも、そうね」と、大人びた口振りの少女は、トラバントをまっすぐに見つめた。

「私はサテリット。マリアおねえちゃんの妹で、この図書館の見習い司書。あなたは?」

「ぼ、僕はトラバント。庭師のおじいちゃんの孫で、青い薔薇の作り方を探していて…。君、学校にはいなかったよね?」

疑問に思ったトラバントに、マリアが代わりに答えた。

「サテリットは病気がちでね。外出できるようになったのも最近なの。でも、野良仕事はできそうになくて、私と同じ司書になるため勉強中なの。元々、本が好きだったしね」

「本が好きなんだね…。僕と一緒だ!」

トラバントは嬉しそうに微笑んだ。だが、サテリットは、困惑したような顔をしている。今まで、サテリットは家にこもっていたせいか、トラバントのような、身内でない人とのかかわり方が分からなかったのだ。

「でも、たしかにサテリットの言う通りかもしれない。夜の間も薔薇に光を与え続けることが、青い色素の生成に重要なのかも。一度、試してみるよ!」


トラバントは、早速、家に戻った。残されたサテリットは姉のマリアに呟くのだった。

「あの人、不思議な人ね」

「サテリットも、そう思う?」

「外に出ないせいで白すぎる私を見て、村の子は「怠け者」とか「お化け」

とかって言うもの。でも、あのトラバントは、そんなこと言わない…」

「トラバント君は、優しい子よ。…サテリットと同じくらい、ね」

マリアはそう伝えて、サテリットを抱きしめるのだった。トラバントの祖父のおかげで仲良くなれた、血のつながらない新しい妹のことを。

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