第11話 祭りの陰で

 村で借りている家の中、蝋燭の灯かりを頼りに木板を睨み付ける。

 何度も表面を削って使ったのもあって、力の入る中央は窪みがち。

 欠けた端の部分を指の腹で撫でつつ、誰かが近寄って来たことに気付いて全て削り落とした。

 どうせ、内容は全て頭に入っている。


「あぁ、まだ起きてたんですか」

 顔を出したのはメェヌだった。

「おっ、当たった」

「はい?」


 いや何、猫は足音で対象を聞き分けると聞いてな、ちょっと予測してみただけだ。

 言うと妹分は心底嫌そうな顔をした。


「何ですかその気味悪い技能。全く、異国で何やって来たんだか」

「勉強だぞ。あちらは本当に凄かった。あぁ、お前みたいに精霊から愛された人間というのにも幾らか会った」

「へぇ、海の向こうにも精霊って居るんですね」

「向こうは向こうで呼び名は違ったがな。多分同じものだろう」


 さてと蝋燭を手に立ち上がり、妹分がいつもより華やかな服を着ている様を眺めた。

 月明かりも良いが、揺れる蝋燭の灯かりの中というのも悪くない。


 ふん、と腰に手をやるが、小柄さも相まって胸を張るほど愛らしく見える。

 まあその胸自体は不相応に膨らんでいる訳だが。


「村で作って貰ったものか。馴染んでいるんだな」

「誰かさんが崖の向こうから中々顔を出さないので、苦労してます」


 陣頭指揮を執っているのだから仕方あるまい。

 とはいえ今日は徴税官も去った後の収穫祭、お嬢様も参加していらっしゃるので、私が不在という訳にもいかず顔を出している。


「折角お祭りしてるんですから、こんな所に引き篭もってないで楽しんだらどうですか」

「あぁ、まあちょっとな」


 メェヌの視線が足元へ流れた。

 そこにはきっと、払い落した木屑が落ちている。


「何考えてます?」

「先々の事なら幾らでも」

「それで今を楽しめなくなったら駄目じゃないですか。ほら行きますよ、手を引いてほしいですか?」

「流石にそれは……おい待て待て蝋燭蝋燭っ」


 火を持ったまま歩き回るのは危ない。

 息を吹きかけ、机代わりの木箱へ置いて、引っ張るメェヌに連れられて騒ぎの元へと歩いて行く。


「エラ様が一緒の時はもうちょっと一緒に居て下さい」

「ん。まあ、そうだな」

「私が崖の方へ行ければいいんですが」


 それはまあ、火山しゃっくりがあるから仕方ない。

 ひたすら噴火しているからな、あそこ。

 精霊の動きに敏感過ぎるメェヌでは辛いだろう。


「なんですかその、火山しゃっくりって」

「びくびくしてるのが、しゃっくりの止まらなくなった人にそっくりだからな」

「踏みますよ馬鹿」


 踏んでる、もう足踏んでるからお前。


「なんというか……落ち着かないんですよね、あそこに行くと。焦るみたいな、息苦しさみたいな、なんというか、寂しさみたいな感じがして」

「それは、どういう感じなんだ……?」

「まあいいです。ほら、エラ様はあっちです。服を褒めたり、髪飾りを褒めたり、ちょっと二人きりになれる場所へ行こうって誘い出したりして下さい」

「前二つはともかく、後ろは無理そうだろ」


 やってきた広場は大きな篝火が焚かれていて、昼間みたいな明るさがある。

 演奏、踊り、詩、この土地独特なものに加えて、どうやら外からの露天商や吟遊詩人まで来ているらしい。

 こんな領地の外れにまで来るのは珍しい。

 大方、稼ぎ時の縄張り争いに敗れた者だろうが、村人にとってはまたとない娯楽だろう。


 その騒ぎの中心に、村の代表者であるサークレット親子と、エラお嬢様の姿があった。


 皆華やかな衣装を着ており、輝石や木彫りの装飾品を身に付けている者も多い。

 おそらくだが、村で結婚相手を見付けるいちばんの時期なのだろう。意気込んだ男達と、落ち着かず緊張している女達が居る。


「最初は色々と危惧したけど、直近の村との関係が良好で本当に助かってる」

「まあそこは、エラ様様ですね」

「お前も上手くやってるだろ」

「私は別に。おこぼれに預かってるだけですよ」


 捻くれた事を言うので頭に手を伸ばすと、素っ気無く払われてしまった。

 メェヌの黒髪が、篝火の光を受けて艶やかに輝いている。それを指を入れる資格を、兄はいつの間にか失ってしまったらしい。


「昔は喜んで膝上に乗って来たのに……」

「そうやって昔の事を無駄に掘り返すから嫌われるんです」


 なるほど、参考になる。


「ちょっと蹴散らしてきます」

「いやいいよ。お嬢様も楽しそうだし、あのままで」


 物騒なことを言い出すメェヌをやんわり止めて、広場を眺める。

 ご老体が何か冗談を言って、エラお嬢様が口元を隠しながら肩を揺らしている。ああいう上品さは村の女達にはないものだ。その上性格も歪んでおらず、真っ直ぐな方なのだと分かれば、寄ってくる男達が増えるのも分からないでもない。

 が、その筆頭であるグィンは、彼女の近くに居る女達がしっかり追い払ってくれていた。


「なんだか、夢みたいな光景だな」

「まあ、分からないでもないです」


 屋敷に居た頃、エラお嬢様はいつも独りだった。

 私達も幼い頃から働かされていたので、彼女と一緒に居られる時間はそう長くなかった。

 こんなに笑い続けている様を見るのは、本当に奇跡の様で。

 目に焼き付ける想いで祭りの景色を眺めていた。


「すまない、大将」


 そんな俺達の背後から、傭兵団の団長ベルヴァが声を掛けてきた。


「どうした」


 彼には私達の不在中、キャンプで奴隷達の管理をして貰っていた筈だ。

 陽は落ちて久しい。

 気楽に行き来できる距離でも無い筈だが。


「ちょいと判断を仰ぎたいことがあってな。今からキャンプに来れるかい」

「何があった」


 問いかけに彼は周囲を探り、やや声を低くして答えた。


「密輸団を森の中で捕らえた。その処理と、荷物についての判断が欲しい」


    ※   ※   ※


 楽しんでいろと言ったのに、メェヌも一緒にキャンプまで付いてきた。

 歩けば三刻半程だが、馬を飛ばせば一刻と掛からない。とはいえそれなりに疲れる道程だ。


「精霊憑きってのは凄いな。おっと、精霊憑きって呼び方は嫌か?」

「別に気にしてません」


 馬は一頭しか用意していなかった。

 流石に私も夜道を飛ばすことは出来なかったので、最初からベルヴァに同乗していくつもりだったのだが、メェヌはなんと自力で馬と並走してみせたのだ。


「それで、密輸の犯罪者はどこに捕らえてるんです?」

「連中はあっちだ。ほら、灯かりがあるだろ」


 キャンプの中心部で繋がれた男達が十数名。

 厳戒態勢だな。

 休みの傭兵も叩き起こして、キャンプ周辺を警戒させている。


 こちらでも酒宴程度なら許すと言ってあったんだが、とんだ邪魔者が入った訳だ。


「まああっちは後で良いです。それよか、回収した荷物が問題でね。こっちはウチのもんにも近寄るなと言ってありやす」


 天幕前の篝火から一本薪を拝借し、雑な灯かりとして中へ入っていくベルヴァ。

 道中でもとにかく見てくれの一点張りだった為、私もメェヌもブツの正体は知らない。見張りの小僧が手槍を持って警戒しており、天幕を囲むように五名の傭兵が集まっている。

 それでいて、声が届かないよう離れて立っている、か。


「コレだ」


 やけに分厚そうな麻袋の口紐を解き、灯かりに晒す。


 首を捻るメェヌ、対し、私は思わず唸った。

 なるほどコレは扱いに困る。


「なんですこれ。黒い、石?」

 声を抑えて答える。

「黒曜石だ」


 天幕の中を見た。

 大小十以上もの麻袋、その大半が同じ中身か。


「こくようせき、ってなんです?」

「宝石の一種だよ。どちらかと言えば水晶に近いのか? まあ私も物自体にはそう詳しくない」


 割った断面が極めて鋭くなることから、太古では短剣とされたり、鏃に利用されて来たというくらいか。


「簡単に言うと、これは近隣では北方の国でしか産出されていないものなんだ。そして、南方の国では黒曜石が宗教的に重要なものと考えられていて、つまりは需要が高い」


 だから北のものを南へ運び、商売する商人が居る訳だが。


「村のご老体が話していた武勇伝を聞いただろう? あれは、私達のブレイダルク王国と、その北の国との戦争での体験談だ。昔から仲が悪くて、よく戦争をやっている」


 それだけで合点がいったらしいメェヌが、殊更皮肉げに哂った。


「あぁ邪魔してるんですね」

「もっといやらしい。運ばせないのではなく、高い税を取っている。関所や都市を通るだけで値段は跳ね上がり、目的地へ到着する頃には金と変わらない額で取引されるなんて話もあるほどだ。実際に戦争が始まって供給が途絶えたりしたら、もっと凄い事になるかもな」

「それって南の人は完全にとばっちりですよね。第一、それでも運ばれ続けるってことは利益になるんですし、密輸なんかも考えると北の人って得してません?」


 最近では南から買い付けにやってくる商人の方が多いとも聞く。

 北は不凍港が殆ど無いし、海を南下するならこちらの港を利用せざるを得なくなる。当然、そこでも関税を取られてしまうときた。加えて私掠船はいつだって南下する北の船を狙っている。

 改めて考えると、定期的に戦争を吹っかけられるのも当然なほどの嫌がらせっぷりだな。


「欲しがる連中の間に領地があると、それだけで財政は潤う。思い付きで始めたことに利益が絡むと、止めるに止められなくなる例だ。ここの領主が下手な商売を続けられるのも、黒曜石の関税のおかげもあるだろうな」


 このキャンプがある森は、東の断崖に沿って南北へ伸びている。

 火山を怖れる地元の人間は近寄らないし、危ない獣も少ないと来た。

 確かに密輸の経路としてはうってつけだ。


「で、それでどうして呼び出したりなんて?」


 それには幾つか理由があるだろう。

 まずは荷物と輩の処理、そしてその後について、だろう。


 ベルヴァはよく知らせてくれた。そのまま彼が隠して都市にでも運び、売り捌いてもちょっとした金にはなる。あるいは、と。


「連中をどう扱うかで、ここでの状況が大きく変わるからだ。一番儲かる方法を取るなら当然、ここで連中と手を組み、食料や水を提供する代わりに幾らかの金を要求する」


 継続的な収入。

 正直に言えば喉から手が出るほど欲しかったものだ。


 上前を跳ねられる連中からすれば業腹だろうが、断崖側の拠点を安定的に使用できるとなれば旨味もあるだろう。

 犯罪奴隷を扱う関係上、傭兵も多く、紛れ込み易い。

 領主の動きを調べて情報を売ってやってもいい。


「そうしますかい、大将」


 ようやく、といった様子でベルヴァが訪ねてくる。

 無論そうなると、ここまで場を整えてくれた彼にも相応の金を渡す必要がある。

 傭兵達を丸め込み、奴隷達を黙らせるのは彼だからだ。

 雇用主を出し抜くより、信用を得つつ収入を増やせる、悪くない考えだと思う。


「それって犯罪ですよね……」

「まあ、そうなるな」


 実行者は当然だが、見逃して金を取っていたなら、発覚した際に咎を受ける。

 村ぐるみで協力していたなら、そのまま全員が犯罪奴隷行きだろう。

 おそらくだが実際にそうしている村もある筈だ。強かに生きなければ、こんな最果ての村は容易く消し飛ぶ。

 避けて通っていたことを考えれば、私達が通っているあの村は無関係と考えられるが。


「二人には正直に話すが、金が心許無い」

「えぇ知ってます」


 当然ですね、という反応に苦笑いする。

 考えるまでも無く、我らがファトゥム家には収入が無い。

 領民はおらず、出入りするのは面倒を見るべき奴隷と雇った傭兵のみ。

 税を取り立てようにも作物の一つも育っていないのだから。


 今はまだ、出発前に用立てた資金が残っている。

 馬鈴薯の畑を徴税官が目こぼししてくれたおかげで、多少は楽になった面もある。だが全員を食わせるには遥かに足りず、それだけを食っている訳にもいかない。壊血病を始め、食べるものの偏りが産む最悪な病を海の上では散々味わった。


 維持費はどうしても掛かり続け、じわじわと首を絞めてくる。


「犯罪奴隷は、まさしく王の差し向けた、遅効性の毒ですね」


 ベルヴァの物言いに笑ってしまう。

 私自身のやり過ぎが絡んでいるので、そこを突かれると厳しいものがある。


「とはいえ、労働力も無しに三人で乗り込んだ所で、景色を眺めて終わるだけでしたから」

「……ですが」

「あぁ」


 言い募るメェヌの頭に手をやる。

 村では逃げられたが、今度は受け入れてくれた。

 艶やかな黒い髪が指の間を抜けていく。

 それだけで兄貴分として十分な満足感を得られた。


 対し、じっとこちらを見上げてくるメェヌの瞳は本物の猫みたいに仄かな光を帯びている。綺麗だな、と素直に思った。


「ベルヴァ。連中は拘束したまま、この押収物も領主へ引き渡す。密輸団とは取引しない」

「……それでいいんで?」


 問いかけに、まだ港湾都市で書類漁りをしていた頃を思い出す。

 あの時、エラお嬢様は確かに仰ったのだ。


「『ファトゥム家は裏切り者の家系、そう呼ばれることは仕方ないとしても、これ以上罪を重ねたくはない』。それが主の方針であるのなら、家臣一同殉じてみせるのが忠義というものでしょう」


 そんな彼女を好ましく思う。

 村の人々に受け入れられたのも、私達がこうしているのも、エラお嬢様あってのものだ。


 今更になって土台へ文句を言うのなら、最初からこんな無謀な事業に同行していない。


「ま、俺は金を貰える内は働かせて貰うよ。雇い主の方針にも従うさ」


 唆したような立場になってしまい、肩を竦めるベルヴァ。その背中をメェヌが分かったような顔をして叩いた。


「そんなこと言って、さっきちょっと嬉しそうに笑ってたの、私の眼には見えてましたからね」

「おっかねえ。なんだその眼、便利すぎだろ」


 本来は黙っている事も出来たのに、彼も傭兵団を率いているにしては中々にお人よしではないだろうか。

 なんだかんだと私の話す事をしっかり理解してくれるし、ややも非常識な奴隷の扱いにも順応してくれる。

 経歴の詮索なんてしないが、好き放題やる傭兵共をどうするか、なんて悩みが無くて良いのは、本当に助かる話だ。


「連絡は明日でいいだろ。おそらく領主の使いが引き取りに来てくれるだろうから、それまでは警戒を続けてくれ」

「あいさ」


 それでもう一つ問題があるんだが、と私はメェヌを見た。


「……戻りますよね、村まで」

「残念ながら、帰りの便はねえですよ」


 ベルヴァはここの警備を固めるのに残す必要がある。

 となれば行きと同じ方法は使えない。

 夜道を馬で駆けるのは結構危険だ。多少月明かりはあるが、余程慣れていないと転倒して大怪我なんてこともあり得る。

 なので。


「ゆっくり帰ろう。付き合ってくれるか、メェヌ」

「仕方ないですねえ。ま、今の話の後でエラ様だけ放置するとか許しませんから」


 夜目が効いて、ちょっとだけご機嫌な様子のメェヌが一緒なら、三刻半の夜道も楽しめるだろう。

 到着する頃にはすっかり深夜だ。

 今から向かうことにどれだけ意味があるかは分からないが、行きたいという想いがあるのだから行くしかない。


「久しぶりに肩車してやろうか?」

「そういう子ども扱いはいいです。馬鹿じゃないですか」


 先はまだまだ見えてこない。

 収入という大きな課題をどう越えていくか。


 けれどしっかり道を見通す妹分が居て、向かう先を月灯かりのように照らしてくれる主が居るのだから。


 宴もすっかり終わった夜道を、私達は誰よりも浮かれて歩き続けた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る