第5話 世界の果てで②

 「道を作るには何が必要になると思いますか?」


 地図を前に、まず私はそう切り出した。

 物心ついた時から傭兵稼業だと言っていたベルヴァは諸手を挙げて降参、メェヌは考え込んでいるが答えは見付からず。


「目的地、でしょうか」


 私が想定していたよりも数段先の事を言われて、つい笑みが浮かぶ。


「あら、違った?」

「いいえ、正解です。そう。道とは場所と場所を繋ぐもの。目的があるから人が行き来する。それでこそ道は道となり続けます」


 この場合の目的地は決まっている。

 約束の地カノア。

 私達の民族が潜在的に求めている、かどうかは別として、古くから誰しもが言い伝えられてきた、やがて至るべき場所。


 そこへの熱意については、今の私達のような、立場を失った者を追いやる手段にされている時点で知れようもの。

 少なくとも国策として打ち出されたものではない。


「少し寄り道になりますが。私達も立ち寄ったあの村、あそこにも手前の村から続く道がありましたよね。あれは、村と村とを行き来する目的があったからです」


「ええと、絨毯と、麦を運んでいるのよね?」

「はい。税として村で生産されたその二点を納めるよう、領主から言われているそうです」


 税率はかなり高い。

 土地が温暖である為、飢えて死ぬ者は滅多に出ないそうだが、村のお歴々ですら苦しい苦しいとしきりに漏らしていた。

 ここ半年で一気に重くなったという話だ。


「まず、この税を徴収する為に、領主の治める都市から徴税官がやってきます。荷馬車を使用する訳ですから、当然道は多少の広さがなければいけない」


 その恩恵には私達も預かって来た。

 村までの道が人が通るだけの狭さであれば、荷物を全て背負ってこなければいけなかった所だ。


「このように、道とは目的、目的地があって初めて作られ、成立していくものです」


 では、と。


「私達はあの火山の向こう、約束の地を目的地として道を作っていく訳ですが、とても単純で大きな問題があります。それはなんでしょうか?」


 今度はお嬢様も首を捻っていた。

 答えたのは、傭兵として戦場を駆けてきたベルヴァだ。


「補給地点が無い。地理の把握もそうだが、一直線に山を目指したって、途中で食うにも飲むにも困っちまう」

「その通り」


 しかも道を通すのが、村では死の荒野だなんて呼ばれているあの真っ黒な溶岩地帯だ。火口からは今も溶岩が流れ出し続けており、そこには水場があるのかさえ分かっていない。

 流石にあの爺さんも崖を飛び降りて大冒険、とはやらなかったらしいからな。


「このキャンプから村までは歩いても三刻半ほど、馬だけなら一刻かそこらで辿り着けます。だから、現地で水さえ確保できれば後の物資は村から補給を受ければいい」

「だけどこの先にはそれがない、ということね」

「はい。水源、すべてはそれに尽きます」


 水が無ければ人は三日で死に絶える。

 人が行き来する目的地、それは常に水と共にあった。


「なので分かるとは思いますが、この事業の最も致命的で、破綻している原因が、まさしく水なのです」


「それは……あぁ、あの黒い大地には」


「はい。水なんてどこにも見当たりません。食料となる獣が居るかどうかも不明、ましてや拠点として機能させるなんてとてもとても」


 考え込むお二人には悪いが、これにはもう水源を発見する以外の解決策が無い。

 けれどおそらく、あの溶岩石に覆われた大地に湖なんて見付からない。


「運ぶ、というのはどうなのですか」


 メェヌの提案にベルヴァが口端を広げる。

 傭兵なんてやっていれば、それがどれだけ無謀か分かるんだろう。


「一時的になら可能だ。だが、拠点を維持するとなればかつてのファトゥム家にだって困難だろう。水は重い。規模にもよるが、その先へ続く開拓を支えるとなれば、それなりのものでなければ話にならない。となれば、毎日百人以上で水や食料を運ばせ続ける必要も出てくるだろう。しかも、その距離が伸びれば伸びるほどに、運び込まれる物資は減っていくんだ」

「え、どうしてですか?」


 メェヌの疑問も尤もだった。

 この辺り、意外と理解が及ばないものだ。


 十万の兵を養える食料を生産出来る拠点が後方にあるから、最前線まで運ばせれば十万の軍隊を維持出来る。そんなことを本気で考えている将帥だって居るくらいに。


「運ぶ人自身が物資を消耗するからね」

「そうです、お嬢様」


 荷馬車を使うのなら、御者と馬だって食べて飲む。

 距離が広がるほどにそれは肥大化し、ある地点を越えると運んでいた物資そのものが消失する。


「馬車限界、と呼ばれているものです。距離などは地形や天候などで左右されますが、凡そで五日を越えると、補給として成立しないほどの量になってしまうとされていますね」


 これには物資の劣化も含まれる。

 水は腐るし、食料も同様。

 備蓄倉庫なら風通しを良くした日陰に設置出来るが、馬車は日中ずっと陽に晒されている。

 届くは届く、けれど、採算を考えるとどうあっても破綻しか待っていない。


「十名が生活する為に、百人の補給要員を雇い入れる。しかも購入した物資は大きく目減りして、届くのは半分以下。正確に計算した訳ではありませんが、そんな状態を一年維持するだけで並の貴族なら破算します」


 だから軍隊は物資を運ばせるのではなく、現地で奪い、あるいは徴収する。

 人が生活している場所には、常にある程度の備蓄があるものだからだ。


 出来るのなら私達もそれに倣いたい。

 問題は、行く先々には人の住む地は無く、入手できないことだ。


「水源の確保、それが出来ないことには、この事業は一歩たりとも前には進めないのです」


    ※   ※   ※


 仕事を終えた傭兵達が思い思いの場所で騒ぎ始めている。

 既に陽は落ち、篝火が周囲を照らしているだけ。

 星空だけはうんざりするほど綺麗で、けれど胸の内は全く晴れ渡らない。


 分かり切っていた壁だ。


 調べれば調べるほど、この事業が成功する筈のないものであると理解出来る。前任者が居たのは三十年近く前だそうだが、禄に手も付けず遊んでいたのも、分からないでもない。

 投げ出したくなるほどの不可能。

 一人これを任されたのであれば、私だってどう誤魔化すかを考え出す。


 けれど。


「まだ少し、空でも飛んでる気分だわ」


 空を仰いでいた私へ並ぶ、灰色の髪を持つ少女。

 エラお嬢さまは、心の底から今を愉しむみたいに笑っている。


「狭い窓からずぅっと海を眺めてた。カーリが教えてくれた外の世界、お仕事の失敗とか、庭で見付けた虫の抜け殻とかも、私にとってはずっと遠くの世界だったわ」


 一ヵ月の旅とて容易いばかりではなかった。

 なのに彼女は今も笑顔で私の傍に居てくれる。


 最初は妙に距離を取られたり、気付いたら見詰められていたりと大変だったが、それも流石に長くは続かない。


「抜け殻は、そういえば持ち込もうとして叱られたんですよね」

「えぇ、カーリってば、頭にたんこぶを作って泣いてたわ」

「幼い頃です、ご容赦下さい」


 昔を知られているというのは厄介だ。

 格好を付けていたいのに、情けない記憶ばかり思い出す。


「今日だけで、また沢山のことを知ったわ。火山と、そこから流れる溶岩と、黒い煙の中を泳ぐ雷。森の中を歩いていると、苔に足を取られること。木々や植物の隙間を抜けていく時はドキドキしたけど、この先に何があるんだろうって胸が高鳴ったの。港から見る海とはまるで違う、こんな世界があったなんて知らなかった。お爺様のお話も、戦いの話はちょっと怖いけど、本当に色んなものをご覧になって来たんだって思ったわ」


 半年前、家族が死んで、初めて牢獄から解放されたエラお嬢様。

 何もかもが珍しくて、何もかもが輝いて見えるというのは、それだけ彼女のこれまでが暗く狭い世界にあったということだ。


「楽しいですか」


「ええっ。楽しいわ。それも、カーリとメェヌが居てくれるからだけど」


 その一言だけで、ここまで来た甲斐があったというもの。

 解決の兆しはまだまだ遠く、どれだけ続けていけるかも分からない。

 それでもやろう。

 彼女が楽しいと言ってくれている内は、私も全力を尽くすのみだ。


「そういえば、メェヌは?」

「傭兵達と一緒ですよ。どうにも、彼らに気に入られているようで」


 メェヌの体質は平穏な都市部では怖がられる。

 精霊なんて平時から接するものではないからな。

 けれど降り注ぐ矢の一本で死に絶える傭兵にとって、精霊の加護は構える盾と同じくらい頼りにされる。


「あいつはあくまで引き寄せやすくて、影響を受けやすいってだけで、呪い士みたいにどうこう出来る術は持ってませんが、傭兵達は縁起ものを好みます」


 それでいて当人が真面目な働き者で、皮肉や冗談も通じる。加えて傭兵相手にも物怖じしないから、余計に喜ばれるんだ。

 素直で聞き上手なエラお嬢様が、村のお歴々の心を掴んだように。


 正直に言って、私はその手の事が苦手だ。

 最悪実力行使で上下関係を作り、恐怖で縛るつもりだった。

 傭兵というのは、言ってしまえば村や町でのはぐれ者がなるものだ。野盗紛いの連中だって多い。騎士のような忠誠も、規律も、本来彼らにはない。

 だがどうしてか、ここまで良好な関係を築けている。

 ベルヴァが予想していた以上に部下を纏め、彼自身も理性的であるのが大きいとはいえ、だ。


「明日からは水源を探すのよね?」


 一際大きな笑い声が弾けた後、夜風と共にエラお嬢様が問うてきた。


「はい。出来るのなら、溶岩地帯に近い地点で水源を確保し、拠点化していくつもりです。目指す場所がはっきりしないまま道を均し始めても無駄になりますから、作業そのものはまだ先になるでしょう」


「私はどうすればいい? 一緒に行っても、邪魔にならないかしら?」


 頷く。


「ならば明日は、私と一緒に断崖まで行ってみましょうか。水源の捜索はベルヴァ達に任せるとして、あの溶岩地帯へ降りていく道も探さないといけませんから」


 お嬢様の顔に滲み出す、笑顔を目に焼き付けて。


「うんっ。ありがとう、カーリ。がんばるわ!」


 最初の夜は、笑い声と共に更けていった。





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