第4話 世界の果てで①

 森の中から巨人が身を起こしたような台地へ至り、私達はその光景を目にすることが出来た。


 深い森の向こう側、断崖の先にある真っ黒な大地。

 その広大な荒野を抜けた遥か先に火山がある。今も黒煙を吐き出し続けており、噴火口からは溶岩らしきものが延々と溢れ出していた。

 黒煙は、今はまだ山頂付近に溜まっているが、時が経てば風に流され、この森へ降り注ぐ事もあるのだという。


「ひっ!?」


 身体をビクリと跳ねさせて、メェヌが身を縮める。

 短く切り揃えた黒髪が浮き上がって見えるのは気のせいではない。


「大丈夫か」

「大丈――――ひっ!?」


 黒煙の中を泳ぎ回る、龍が如き稲妻がここからでもはっきり見えた。遅れてやってくる神々の怒声を思わせる響きに、連れていた下男達が揃ってひっくり返る。


「皆安心しろ。あれは舞い上がった灰や煤がこすれ合うことで生じる、ごく自然な現象だ。現地に居たならばともかく、ここまで飛んでくることはない」


 言うが、効果は薄い。

 迷信、妄想は人の世の常だが、これでは先が思いやられるなと息も落ちる。


 とはいえ、全く根拠の無い話とも言い切れない。


「呼吸を整えて、足元へ受け流すんだ。私や他の者ならばともかく、メェヌ、お前は精霊の影響を受け易い体質だ、無理に抗おうとすれば余計に酷くなるぞ」


 見よう見まねで背中をさすってやると、最初は強張っていた身体から徐々に力が抜けていった。

 異国でも同じような体質の者は居たものだ。

 その時、手際の良い者がよくこうしてやっていた。


「…………ちょっとマシになりました。ひっ、ぁ、ぅ……やっぱり駄目です」


 実害はなさそうだが、しゃっくりの止まらなくなった者のように落ち着かなくなっている。

 こうして遮るものなく直視してるのもいけないんだろう。

 思い、少し離れた所で同じ景色を見ていたエラお嬢様へ声を掛けようとしたが。


「あれが、世界の果てなのですね」

「そうなんじゃよぉ。見るだに恐ろしい光景じゃろう? 無理してあんな所へ行くことはない、ウチでのんびりと過ごしておればいいんじゃよ」

「ふふふ。お気遣いは嬉しいのですが、お役目は果たさなければいけませんから」

「そうかい? まあ、無理に引き留めるのも悪いからのぉ。辛くなったらいつでも儂を頼りなさい。いいね?」

「はい、ありがとうございます」


 鬱陶しいくらいの猫撫で声を発し、老齢の男がだらしなく表情を緩めている。

 傍らのエラお嬢様はいつも通りで不快そうにはしていないのだが、ここしばらくずっとあの調子だ。

 まるで孫に構いたがる老爺。

 最初はあんなにも威圧的だったというのに、今ではすっかり骨抜きだった。


「エラお嬢様。視察はこのくらいにして、一度キャンプへ戻ろうと思うのですが」

「けっ!!」


 声を掛けた途端、老爺の緩み切った顔が悪魔の様に歪んでこちらを威嚇してきた。

 明らかな敵意を受けつつも、優先すべきはお嬢様だ。


「少し予定を考える必要があるかもしれません。思っていた以上に、皆はあの火山を怖れています」

「かーーー、っぺ!」


 本当に、勘弁してくれないか。


    ※   ※   ※


 故郷である港湾都市を発って一ヵ月ほど、私達は王の勅書にて指定されていた、世界の果てへ最も近い村落へと辿り着いた。

 そこで出てきたのは先の男だ。

 齢は六十だか七十だか。

 貴族ではない。

 というか、その村落には貴族が居なかった。

 まあそこらにポコポコ居るものでもないんだが、彼は村の有力者を束ねる代表のようなもので、施政や税の徴収などを行う代官も遠慮する程度には発言力があるらしい。


「ふむ。なるほど王自らの勅令により、この村の東にある死の荒野を切り拓くと。ははは、似たような事を言っていた者もかつては居たがな、誰一人碌に働きもせず、迷惑を掛けるだけ掛けて消えおったわ」


 通された屋敷も独特な造りをしていて、ほぼ全てが一階建て。

 木を格子とした土壁の家屋。

 窓ガラスなどはなく、幾つかの重要そうな場所にだけ木窓が取り付けられている。地面には地味な色合いの絨毯が広げられており、椅子や机も盛り固めた土が主流だ。


「こちらにご迷惑をおかけするつもりはありません。ただ、適正な値段で物の仕入れをさせていただければ、それで」

「それが十分に迷惑と言っておる! 都や、お前達が来たという港であれば潤沢に何でも手に入ったのだろうがなあ! ここではパンの一切れ、酒の一杯、木の板一つとっても貴重品だ! それを余所者に容易く売るものか!」


 まあ随分と嫌われたものだった。

 とはいえ彼が言っているのは当然の話で、こんな最果ての地で、先に何もなく、特産品にも乏しい村へ行商がやってくるのは稀だ。

 個人が小銭を稼ぎに来ることはあっても、商会規模の行き来が無いことは道中でも確認していた。


 その上で、この発言は値を釣り上げるつもりで言っているのだろうと私は予測した。

 屋敷と称するのも馬鹿馬鹿しい、敷地ばかりが広い家。

 街中を歩いてみて気付いたが、子どもの数に反して明らかに若者の数が少ない。

 畑の半分近くは原野と化しており、温暖な気候を考えればもっと栄えていても良さそうなものが、どうにも寂れた印象が強い。


 彼としては故郷を維持するので必死なのだろう。

 新参が足元を見られるのは当然の話でもある為、私は最初この話を呑むところから始めるべきだと思っていたのだが。


「あの……ええと、ごめんなさい」


 エラお嬢様が、真っ正直に頭を下げてしまった。

 最初に彼女が元貴族であることは伝えている。老爺も声を荒げこそしたが、それは従僕である私に対してで、お嬢様に向けてではない。

 元、が付くとはいえ、貴族が平民に頭を下げる。

 それは途轍もない衝撃だったのだろう。

 貴族とは常に横柄なものだ。

 なのに年端もいかぬ少女ながら、明らかに貴人と分かるエラお嬢様が頭を下げた。


「そうですよね。勝手にやってきて、貴重な物資を、お金を出すから渡して欲しいなんて、身勝手な希望でした。私も今回、初めて故郷を出て、外で暮らすことの大変さを少しだけ学びました。御迷惑をお掛けしないよう努めますから、私達がこの村の近くで活動することは許していただけないでしょうか」


 こちらを囲むようにして座っていたお歴々が顔を見合わせる。

 舐められる危険もある状態だったが、どうやら彼らも貴族の看板には強気に出られない様子だった。


「そ、そうか。弁えていただけているのならば、良いのです」


 貴族の居ない村落。

 なるほど慣れていないのか。

 行動を起こしたくなるのを堪え、私はお嬢様に委ねることにした。


「本当ですか。ありがとうございますっ」


 両手を合わせ、にっこりと笑う灰色の髪を持つ少女を、彼らはじっと見詰めていた。

 まあ、早い話が毒気を抜かれたんだな。

 二、三言葉を交わし、渋々といった様子で切り出してきた。


「…………一応ではあるが、酒宴を用意しておって、ですな」

「歓迎して下さるのですか……?」

「貴族の方がいらっしゃるとあっては、無下にも出来んと、家の者が言って、おりまして」

 きっと過去、やらなかった事で嫌がらせなり損をさせられたりしたんだろう。

 だからか、温かい場所の割に家畜の数が減っていたのは。

 彼らにとっては貴重なものだろうが。

「でも、よろしいのですか? 先ほど、とても貴重なものだと仰っていましたけど」

「ああいや気にせんでください! 業突く張りの貴族様であれば、骨でもしゃぶらせておけと言っておったのですがな! その、聞けば苦労も為さっているのだとか」

「この村をずっと守り続けてこられた、貴方がたに比べるとまだまだです。それと、よろしければですが、もっと普通に話して下さい。今の私は、ただの元貴族です」

「はははっ、では宴といきましょうっ。あいや、いこうじゃないか!」

「はいっ」


 つまりこれが。


「そうなんじゃよぉぉ。若いモンはすぐ都市だ何だと言って簡単に故郷を捨ておる! それもこれも先王の時代に移住の縛りを緩めたのが原因でな? 儂の息子達も、領主の治める都市で結婚して、こっちには戻ってこんと言っておるのじゃ」

「まあ、こんなにも素敵な村なのに、勿体無いことをしますね」

「そうかい? そうなんじゃよ! ここは儂らが代々受け継いできた土地でのお!」


 こうなって。


「おおおおお! なんと悲痛な決意か! 家族を奪われっ、故郷を捨てねばならなかったなどと……お役目などいいから、まずはゆっくり休みなさい。どうせ前に来た者も碌に働いとらんかった! 儂は奴の書記をやらされとったからな、上手い誤魔化し文句には覚えがあるぞ?」


 更には。


「そこでじゃ! 儂らはさっと物陰に隠れて敵をやり過ごし、こちらを探して右往左往する連中を背後から一網打尽にしてやったのよ! ははははは!」

「まあ凄いっ。戦いがお上手だったのですね。あぁ、見ればとても逞しい腕を為さっていますね」

「うむ。槍の扱いに関しては多少の覚えがあってのぉ」


 こんな感じですっかり溶け込んで。


「…………そうか、キサマがカーリという若造か。ほうほうほう、なぁるほどなあ」


 なぜか私は敵視されることとなり、現在に至る。


    ※   ※   ※


 キャンプへ戻り、視察中に届いていた物品の目録を確認していく。

 広げた天幕や馬車はこちらが現地へ持ち込んだものだ。

 先だって知れていた通り、こんな最果てでは車輪一つ購入できるかも分からない。


 工具の類、それも計器となれば職人の手が必要になる。

 他にも現金よりは物々交換、港から持ち込んだ大量の塩など、こちらではかなりの希少品だろう。

 それらを運ぶ為に港湾都市から一ヵ月もの距離を運搬してきたのだ。

 道中の税も相当なものにはなってしまったが。


「おう大将、斥候がいくらか肉を確保してきたぞ。今夜も派手にいくかい?」


 焼けた肌の男が入ってきて、景気の良い事を言ってくる。

 腰には剣、やや細身だが、目端の利く男で腕も立つ。


「いつまでも祭り気分では困る。ベルヴァ、肉は可能な限り保存食に加工してくれ。幾らか食う分には構わないが、明日からは本格的に調査を始めるんだ」

「あいよ。ま、大将と姫さんには、良い所を残しといてやるよ」


 彼は私の雇った傭兵団の団長だ。

 長旅には護衛が付き物、というだけでなく、長期的な目でも手足となる人間は必要だったからな。


「あぁ、お嬢様はまだアレか?」

「もう終わる頃だろ。嬢ちゃんが急かしてたからな」

「メェヌか」


 私ではお歴々が敵意をむき出しにする。

 ベルヴァも荒くれ者を相手にするのならともかく、交渉事は一部の団員へ放り投げているからな。

 エラお嬢様が上手く間に入って下さるのであれば非常に助かる。


「おまたせ、カーリ」


 少しして、愉し気な様子のお嬢様がメェヌを伴って天幕へ入って来た。


「いえ。ありがとうございます。お嬢様のおかげで、村とも良好な関係を築けました。最初の一歩は大成功ですよ」


 本心からそう思う。

 下手をすれば本当に村からの補給もないまま森で生活することになっていた。ここらは緑が濃く、獣が捕れるとはいえ、都市育ちの二人にはキツいものがある。

 適正な取り引きを約束してくれたことで物資の購入費用も安く済むだろうし、何より余計な問題が発生しないのはありがたい。


 加えて、あの爺さん、腕っぷし云々は嘘ではなかったらしく、村の者でも怖がって近寄らない森をかなり詳しく知っていた。

 その地図を簡易ながら描いて貰い、今こうして机に広げている。


「早速ですが、今後についての打ち合わせをしましょう。道を作る、その大前提について、知識は共有しておいた方が良いでしょうから」


 私、カーリとエラお嬢様。

 そしてメェヌ。

 雇い入れた傭兵達と、その頭であるベルヴァ。


 一先ず、この人員でやれることをやっていこう。





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