幕間2

幕間2-1

「はぁあッ!? 酔った勢いでキ……!!」


 声がデカい。と制する前に手のひらを口元に当ててくれたのでジロリと睨むだけにする。普段そんなに見開かない、どちらかと言えば顰めてる方の多い目が、まるで溢れ落ちんばかりになっている。そんな顔しなくたって。いや、するか、普通。睨まれるのは自分の方が相応しい癖に、本当の本当にどこまでも身勝手なのだと思い至って頭を抱えた。そのままカウンターに額が着く。

 酔った勢いを言い訳にするのは物凄く情け無くてダサくてポンコツだ。その上、やっと謝ることが出来たと思いきや相手は怒るどころか盛大に取り乱しながら半ば受け入れる方向性の発言があり、そこでまた口元が緩んでしまった自分の不甲斐なさ。この感情をどこにどう向けたら正しくなれるのか分からない。それでまぁ、今日は身近な大人で一番参考になりそうな人物の意見を聞いてみるべく胡桃沢さんを呼び出したのだが。


「しかしなぁ。颯少年はともかく、梅小路は下手するとその手の経験全くないぞ。どうするんだ?」


 カラン、とグラスの中の氷を鳴らしながら胡桃沢さんが聞いてきたので顔をあげて様子を伺う。濃紺の地に将棋の駒の模様の付いた薄手の着物。帯は象牙色で夏の装いというやつだ。

 その手の経験が全くないという事もないのでともかくはともかく。


「ど、どうって……」

「北陸は名家の箱入り娘を傷物にしたら、ご立派なご両親が黙っちゃいないだろうねぇ」


 傷物にした覚えはない。覚えはないが、自分の感情と相手が、そして更にその家族がどう感じるかは確かに別物なわけだから、それ相応の対応力というか、処世術みたいな物を身に付ける……とか?


「要するに、傷物になってなきゃいいんだろ?」

「簡単に言うがなぁ。傷物じゃないとなるとまず相互理解と認識の擦り合わせ、それから方向性の決定、更には社会的な安定だの将来性だのと必要なものが増えるが」


 確かにぐだぐだと余計なものを欲しがるのは偉そうな奴らの性質だ、とは実際に働いて目にしたアレコレで理解している。令和の世の中でもっていまだに形式やルール、肩書きや来歴を重んじるタイプが割に多いのは、それを逆手に取って身動きを取り易くすれば良いのだと入れ知恵した張本人はいま隣で鰻巻き卵を頬張っている。おかげで実家絡みの大学にもきちんと潜り込めた訳で、そうなると確かに幾らか風圧が弱まるのは釈然としないながらも体感した事実だ。

 それでも時々、面倒で気に食わなくてどれもこれも投げ出してやりたくもなる。けれど。梅小路翠子の真っ直ぐで、熱に浮かされたように潤んで、途方もなく綺麗な瞳を思い出す。


 ——私を『祈里の扉』に、つまりは彼らの所へはやりたくないと、そう思ってくれたんだと思います。


 大事に思う相手が大事にしているものは自分にも大事。つまりは無理なんかじゃない。無理だと思えないからタチが悪いんだよ、ほんと。何年ものだと思ってるんだよ。


「箱入りなんだろ? それが必要ならやるしかねぇ」


 途端、バシバシとアホみたいな力で肩を叩かれて辟易する。うるせーよ。いや、声は出てないけど、アンタ服が服だから余計にこう、布があるから、空気が余分に動いて風が……


「すみません、酒ください」

「ボトル出してくれるか?」


 笑いを堪えた店員がカウンターの上にボトルと氷と水を並べて去り、胡桃沢さんがほとんどオートで水割りを作る。


「例えばそのスラム街みたいな服をどうにかしてみたらどうだ」

「……スラム街じゃねぇし」

「そもそもTシャツで霞ヶ関歩く時点からしてなぁ」


 和服のヤツに言われたくねぇ、という言葉はこの際飲み込む。例え将棋の駒でも髑髏柄でも、和服は和服だからな。


「とにかくまぁ、否定はされなかった訳だし、勢いは無いよりあった方がいいから。あと一遍素面できちんと言え。それだな」


 うん、うん、とひとりで勝手に何事かに納得している胡桃沢さんの意見は自分でもそれなりに腑落ちする所があった訳だから、今日のこれはまぁそこそこ参考になったのかも知れない。明日から何着たらいいんだ。シャツとジャケット? それじゃ八神か。

 皿に残った枝豆をちまちまと片付けながら頭の中で自分のクローゼットの中を端から順に並べていると、お冷を飲み干した湿り気のある声が、なぁ、と聞く。


「普段これだけ目に見えない輩に振り回されてるってのに、愛は信じんのか」


 愛の逃避行とか、あるだろ? と現実的ではない言葉が飛び出し始めた辺り、この人も酔いが回って来たはずだ。自覚してるからお冷も飲むわけで、となるとこの会はここでお開き。伝票を探す。既に支払い済みを示す目配せを店員が送ってきて、またしても先回りされた俺はいつまで経ってもこの人の中では少年呼ばわりされ続けている。

 身支度を済ませて立ち上がる。そう言えばさっきの問いに答えてなかった。振り返って見ると夏羽織に腕を通した通常運転の胡桃沢さんが立っていた。だから、つまり。


「信じないも何も、俺には両方存在してっけど」

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