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 染井さんは想像していた通りの壮年の男性でしたが、ただひとつ、そのお顔には特徴的な箇所がありました。それは、顔の半分は覆うかという大きな痣です。

 画廊のオーナーの刈谷さんによれば、染井さんは主に木彫を制作しているそうです。それに、人嫌いなことで有名なのだそうで、その時点で急遽お会いする話が通ったことは奇跡に違いありません。


「画廊に置いて来た椿の件って聞いて来たんだけど」


 指定されたカフェのテーブルにつくと、早々に染井さんが話題を切り出しました。人嫌いという前評判通りに私たちと対面するのを好ましく思っていないのか、はたまた痣がある事を気になさっているのか、それとも一刻も早く戻って制作を進めたいのか、少しお急ぎのご様子に見えます。

 それにしても。


「染井さん、いま、椿の木彫を『画廊に置いて来た』と仰いましたね」

「それが何か」

「あれは、意図して置いて来たもの、ということでしょうか」


 今にも爪を噛み始めそうな表情で、染井さんは「そうだよ」と答えました。さっきからずっとですが、この先も視線が合いそうにありません。その様子はまるで何かに怯えているようにも思えました。


「何で」


 負けず劣らず愛想のない尋ね方をする颯くんに少しハラハラしますが、怒らせてしまうのではという予想に反して、染井さんはしんと黙り込みました。思考の中に深く潜り込んでいる様子に見えます。

 私は目線を動かしてカフェの窓を見ました。外は今日一日ずっと雨が降り続いたままです。いつの間にか暗くなり始めた外の景色はカフェのガラス窓が反射して、よく見ることができません。代わりに、窓に映った私たち三人の姿があり、私はそれをぼんやりと見つめました。


「……あれは……椿は、幼馴染なんだ。アイツだけだった、俺の事を怖がらずに居てくれたのは」


 雨の音に紛れ込ませようとするような、小さな声でした。颯くんが先を促すように頷いて、それから、染井さんは語り始めました。

 染井さんと椿さんは、入院中の病院で知り合いました。子供の頃、染井さんの顔の痣はもっと面積が広く、度重なる手術を経て、顔の大半が痣といった状態から今のお顔になったそうです。


「病室では絵を描くくらいしかする事がなくて。でも怖がって誰も近寄らないもんだから、見せる相手もいなくて」


 そんなある日、染井さんの病室に、病棟を探検していた椿さんが迷い込んで来ます。椿さんは染井さんの顔の痣を気にするどころか、「ドラゴンみたいでかっこいい」と褒めそやし、絵を描くようにねだりました。

 椿さんの絵を描いては、付随するお話を語って聞かせる毎日。それは永遠に続いて欲しくなる幸せな時間だった事でしょう。

 椿さんの事を話す時、染井さんはとても柔らかい表情をしています。本当に、心の底から彼女の事を愛しているのが伝わってくるようです。


「わかる、それ」


 唐突に、颯くんが口を開きました。


「……え?」

「俺にもいるよ、そういう奴」


 驚きました。颯くんにも、幼い頃からそんな風に大切に思っている存在が……いる、という意味に取れる発言なのですが。これは。偶に勧修寺先生が口にする「嘘も方便」というタイプのお話なのでしょうか。


「アンタが何を思って、どんな想いを込めてあの鉢植えの花を作ったのかは知らねぇが……そいつの事を大事に想うんなら、縛り付けるんじゃなくて、貰ったもんを上手く育てて、磨いて、そいつに見せてやる気持ちで生きて行くのがいいんじゃねぇかと……まぁ、俺の独断だけどな」


 いいえ、これはきっと本当の事を話しています。颯くんの表情は、目の動きは、とても嘘を吐いているとは思えません。

 私は手足が冷たくなるような、酸素が足りていないような、そんな心持ちになりました。テーブルの上の湯気の消えたお茶のカップに手を伸ばして、中身をふた口程飲みます。


 ……喉が、渇いていたみたいです。


 颯くんにはお姉さんがいますが、かつては、お兄さんも居る三人兄弟でした。

 そのお兄さんは颯くんが幼い頃に亡くなっていて、颯くんがその事故のきっかけになってしまったというのは、お姉さんから伺って知っています。

 冷静になって考えてみれば、先ほどの颯くんの発言内容はお兄さんについて語っている可能性が大きいように思えます。……私は少し、落ち着いた方が良いかも知れません。


「さぁ、そうと解れば浄化室に戻りましょうか」


 呪物と呼ばれる物を浄化して、それに囚われてしまった人の想いや念を本来的にあるべき場所へ還す。その手伝いをするのが私たちの役割です。

 二人は少しの間きょとんとした目で私を見ましたが、それもそうかと頷いて、そうして席を立ったのでした。


 *


 シャラーー……ーン……

 リィー……ーーン……


 事務室の中に、澄んだ鈴の音が響きます。

 染井さんの所から戻ると、時刻は深夜と呼んで差し支えない時間帯になっていました。情報の整理や様々な準備をしているうち、ずいぶんと遅くなってしまったようです。


 シャララ……シャラン……


 これは颯くんの操る水琴鈴の音で、この音を使役して人の想いや念を顕在化し、撚り、綯うことで、怪異を静めていく事になります。

 私は部屋の隅に立って、何かが起こったらサポートしなければと、一応の警戒をしつつも見学をしているというのが本当の所です。


 シャラーー……ーン……

 リィー……ーーン……


 ふわり。

 鈴の音に反応してゲームブックから、そして立ち尽くしたままの女の子の姿からも、細い糸にも煙にも似た空気の流れのようなものが現れ始めました。


 シャララ……シャラン……


 ゆらり。

 細く穏やかな流れは次第にその数を増やし、波となって空間にふわふわと浮かび上がります。

 バラバラに立ち昇っていた糸状の思念の流れは鈴の音に誘導されるまま穏やかに、流れる方向を合わせながら、撚り集まり、螺旋状に綯われ、ひとつの大きくて美しい流れとして編み上げられていきます。


「……けまくもかしこき 伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ

 筑紫つくし日向ひむかたちばなの …………」


 低い、でも朗々とした声。颯くんが祝詞を唱え始めると部屋の空気がしんと張りつめて、新しい何かが満ちていきます。それは例えば最初の雪の日の朝や、夜が明ける前のわずかな時間を連想させる、とても清浄な気配です。

 左手の手のひらを何かを受けるようにそっと差し出すと、そこへ念のうねりが集まりだし、颯くんの左手が光を帯びるのが見えました。私はあらかじめ渡されていた小瓶の蓋を開けます。


「……はらたまきよたまへと もうす事をこしせと

 かしこかしこみももうす……」


 シャラーー……ーン……

 シャララ……シャララン……シャラァン……


 祝詞を唱え終わるのに合わせて、颯くんの左手の上あたりにふんわりと浮かんでいる光の塊を、小瓶の中にそうっと掬い入れました。蓋を閉めると颯くんがふうっと軽く息を吹きかけます。

 瓶の中身は一瞬だけ強く発光してから、ことん、と小さな音をたてました。覗き込めば、飴玉かビー玉にもよく似た不思議な色合いの塊がひとつあるのが分かります。そしてこれはもう、光り出すこともないのでした。


 水琴鈴と祝詞を用いて対象物を浄化しつつ、小瓶の中へ納めるまでが私たちの領域になり、これを本格的に祓うのは颯くんのご実家、烏丸神社にいらっしゃるお祖父様の役割になります。でも、怪異を無効化し、無力化したうえでパッキングするのがいかに難しいことか、傍で見ていても分かります。


「あぁ……」


 不意に声があがり、私はハッとして振り返りました。つい、浄化のほうに夢中になっていましたが、勧修寺先生が椅子に座ったまま、ミーティングテーブルに倒れ伏している姿が目に入りました。た、大変です。


「先生っ、無事ですかっ!?」

「おい、しっかりしろ先生っ!」

「双樹! 戻ってこい!」


 この時間までずっと飲まず食わずでゲームブックに向き合っていたのですから、その疲労も大変なものでしょう。

 思わず駆け寄った私たちの顔を見回す先生の顔はどこか恍惚として、薄らと無精髭が生えています。


「夢のような体験だったよ」

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