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 昼食を済ませた三十分ほど後、私と颯くんは、とある画廊の前に立っていました。エントランスの屋根の下で傘を閉じ、少しだけ迷ってから備え付けの傘立てに預けます。

 銀座のちょっと外れにあるこの雑居ビルの最上階のお部屋が目的地になります。ゲームブックの元の持ち主は刈谷さんとおっしゃって、この画廊のオーナーさんです。


「こんにちは。先ほどお電話をした者ですが」


 扉を開けても人影はなく、ひとまず挨拶をしてみました。

 梅雨空から淡い陽が差し込む一室は、都心にあるとは思えない静けさをしています。部屋に入り、扉を閉めると、独特の油絵具のような香りが鼻を掠めました。

 部屋の床は良く磨かれた木の床で、中央には大振りの鉢植え。鉢には椿が植っており、白い花が何輪か咲いています。床の上にも白い花が落ちていて、まるで床の上に咲いているみたいです。……この季節に椿?


「あぁ、勧修寺さんとこの」


 部屋の奥から、品の良い男性が姿を現しました。白髪混じりで、ベージュのシャツ。ダークブラウンのスラックスをサスペンダーを付けて着用しています。


「対怪異浄化情報収集室から来ました、烏丸です」

「助手の梅小路と申します」


 刈谷さんは口元に少しだけ微笑みを乗せてこちらを見ました。


「そんな大層な名前の部署だったんだね。勧修寺くんはいつも、僕の所の、くらいしか言わないもんだから」


 そう言われると、なんとなく想像がつきます。先生はいつも、自然と何かをぼやかすのがとてもお上手です。

 刈谷さんが温かいお茶を淹れて下さり、私と颯くんは薦められるままにテーブルにつきました。

 刈谷さんのお話によると、あのゲームブックを中心とした怪現象が起きるようになったのは、ここ数年のことだそうです。ゲームブック自体が珍しい上に、装丁とイラストの美しさもあって、友人の画廊などに頼まれて貸し出したことが発端となりました。どうも、貸し出した先の画廊でボヤがあったり、お客さんが店先で交通事故に遭ったりというようなことが増え、これはこのゲームブックの仕業ではないのかと言う憶測が立ち始めます。そのくらいから段々と噂が立ち、物好きの目に留まりました。

 いつの間にか、刈谷さんのゲームブックは「呪いのゲーム」として一部界隈では有名な品物になり、勧修寺先生が親交のある蒐集家の方の手元へと渡り、今回の事態に至ります。


「あの本のことね、勧修寺くんは『興味深い!』ってなかなかの勢いで持って行ったけど……やっぱり、何か起きましたか」


 あの本から透き通った女の子が出てきました、とは口に出してもなかなか受け入れて貰い難いお話でしょう。ここは先生に習ってほんのりと事態をぼやかしながら、刈谷さんの話すあのゲームブックの曰くに耳を傾けることにします。


「あの本に出てくるヒロインの女の子、あれは……私の、亡くなった娘がモデルになってましてね」


 刈谷さんのお嬢さんは元から少し病気がちだったそうです。あの本の原画を描かれたのは幼馴染の男の子で、新しい絵を描き上げるたびに病室に通っては、ドラゴンとお姫様の可愛らしいお話を語って聞かせていました。

 娘さんが亡くなったとき、刈谷さんは知り合いの編集者さんに依頼して、彼の描いた絵を一冊の本の形に纏めて貰いました。出来上がった本はゲームブックの体裁をしており、これなら何度でもドラゴンとお姫様は仲良く遊んでいられると、喜んだのだそうです。


「それが、いつの頃からか夜な夜なひとりでに開くようになってしまってね。僕はそれでも一向に構わないんだけど、これがもし、娘の魂に関係した何かが起きてるんだとしたら……」


 なるほど、確かにそうです。亡くなった娘さんが、亡くなっても尚なにかに巻き込まれているのだとしたら、それは避けたい話です。


「原画を描いた男は、いまは何処に」

「残念ながら分からないんだよ」


 今回は手掛かりを得るのが難航しそうです。

 お茶を淹れ直してくる、と刈谷さんが席を立ち、私と颯くんは顔を見合わせました。


「由来からすると、そんなに凶悪な呪がかかりそうには思えませんね」

「原画を描いた男とやらに、よっぽどの事情があるか……よっぽど、その女に執着があるんだろうよ」

「執着って」


 いささか言い過ぎなのでは、と私は少し笑いそうになりましたが、颯くんの表情はとても真剣でしたので、慌てて笑みを引っ込めました。


「計り知れないもんだよ、人の心ってやつは」


 つきり。心臓の辺りがわずかに痛みました。颯くんは、計り知れない程の感情というのを持ったことがあるのでしょうか。それは例えば今回のような、誰かに執着して永遠にあってほしいと願う、そんな感情なのでしょうか。

 知りたいようで、知りたくない。おかしな思考になりそうで、私は椅子から立ち上がって、先ほど見ていた椿の鉢植えに近寄ってみます。

 落ちている白い花を拾い上げようと手を伸ばした所で気が付きました。


「……この花、」

「あぁ、それは木で出来てるんだよ。木彫の椿」


 ポットを手に戻って来た刈谷さんが、こちらを見て言います。確かに、パッと見では全くわかりませんでしたが、これは大変精巧に作られた木彫です。


「何年か前にここでグループ展をやった人達がいてね。その中の作品なんだ」

「それでは、こちらはギャラリーで買取を?」

「それが、撤収作業が済んだ後に、これだけがぽつんと置かれたままでね。引き取りに来るかも知れないし、ちょうど良いから飾ったままにしてるんだ」


 ちょうど良い、とは。私の感じた疑問に答えるように、刈谷さんは言葉を続けます。


「娘の名前、椿って言うんだ」


 *


 そこからは話がとんとん拍子に進みました。

 ギャラリーを利用したグループ展の関係者へ連絡を取り、その伝手をたどってあの椿の鉢植えの作者の方を割り出し、夕方には連絡をつける事が出来ました。


「たぶんこの男が諸悪の根源だろうよ」

「諸悪、なのでしょうか」

「少なくとも、こっちは迷惑してんだ」


 確かに、勧修寺先生は身動きが取れない訳ですし、今回は胡桃沢さんも大幅に巻き込んでいる状態で、それに伴って停滞する業務も数多くあります。私たち浄化室は元から人数も少ないですから、迷惑と言ったらそうなのかも知れませんが。


「……少し、言葉が強くないでしょうか」


 つい不満を漏らすと、前を歩いていた颯くんが振り返りました。ビニール傘越しの表情が、はぁ、と小さくため息をつきます。


「やっぱアンタは向いてねぇかもな」

「そ、そんな事ありませんっ」


 私はずっと、颯くんからこの仕事に携わる事に関して異を唱えられています。確かにこれは危険と隣り合わせの仕事で、おまけに指がほどける呪を宿したままの為あらゆる呪の影響を受けやすく、この半年の間にも何度か危うい事態に陥ったことは事実です。他にも、依頼者の感情に寄り添い過ぎるとか、技術がない癖に向こう見ずな作戦を取るとか……色々と、颯くんにご心配をおかけしているのは自覚しています。でも、それでも。

 北陸の実家であのまま適当な有力者の家に嫁に出される日を待ち続けるだけの日々には、戻りたくありません。自分の手足で、自分の人生を生きて行きたい。強く、自由でありたいと、そう願う気持ちを止めることは出来ませんでした。

 それに……これは最近気が付いたことですが。颯くんのことを大切に想う気持ちが自分の中に芽生えたことも、自覚してしまうとこの職場で頑張りたい理由にもう少し比重が加わります。


「どーだか」


 意地悪な笑みを口の端に浮かべた颯くんが再び前を向いて歩き出して、それから目的地に到着するまで、振り返ることはありませんでした。

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