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 対怪異浄化情報収集室は、勧修寺先生、颯くん、私の三名が主に活動をしている部署ですが、外部向けの窓口としてや、他の部署との連絡調整役として活躍して下さる方がいます。

 私は、雑然とした社員食堂の中に目を凝らしました。

 皆思い思いに思い休憩を過ごしに来ている中、食券を買う列にも、ご飯を受け取るカウンターにも、その方の姿は見当たりません。もしかしたらもう召し上がっているか、それとも今日は外食されている可能性も。となると、少しばかり面倒なのですが。

 背伸びしてテーブル席をつぶさに見ていく私の肩を、誰かがぽんと叩きました。


「はいっ……あ、あれ?」


 振り返れば、ぷにゅりと頬に何かが押し当てられて。


「えと、あの……」


 私の肩の上で人差し指を突き出しているのは、まさに今、私が探していた方です。

 水たまりの波紋を抽象的に描いた模様の黒ベースの着物に、紫陽花模様の帯。

 真鍮製の蛙の帯留が実は大変可愛らしいのですが、どれもモノクロの色遣いのため、とてもシックで大人びた印象を受けます。


「入らんのか、梅小路」


 胡桃沢くるみざわともえさんは私の頬に人差し指を突き出したまま言います。


「いえ、ひょの、実は」


 しゃ、喋り難いです。ふふ、と声に出して笑った胡桃沢さんがやっと指を退けながら、「当ててやろうか」と呟きました。


「私を探していたんだろう?」

「はい! その通りです」


 流石、話が早いです。さっそく応援要請を致しましょう。


「実は、勧修寺先生が呪いのゲームブックを入手されまして」

「……またアイツか……」

「それで、ゲームが開始されたら先生に付随する時間の流れ的なものがおかしくなっているんです」

「……セオリー、だな」

「つきましては、元の持ち主の方にお話を伺いに行く間、大変恐縮なのですが、勧修寺先生に付いてて頂けないでしょうか」


 胡桃沢さんはゆるゆると首を振りました。艶のある長い髪が揺れて、こんな時なのにその美しさに目を奪われてしまいます。

 そう言えば、胡桃沢さんは一体おいくつなのでしょうか。勧修寺先生とは大学で出逢ったというお話でしたが、聞くところによると、その時すでに勧修寺先生は大学六年生の状態。胡桃沢さんも勧修寺先生も、このお仕事は長いのでしょうか。

 いつも素敵なお着物をお召しなこと、賭け事がお強いこと、辛いものが得意なこと。仲良くして頂いて、覚えたことはたくさんある様ですが……改めて考えると、私は周りの人達のことをまだあまり知れていないのだと分かります。


「事情は分かったが」


 にこりと微笑んだ胡桃沢さんが食堂を指差しました。

 いつでも凛として、芯の強い胡桃沢さんは、東京へ出てきてからの私の憧れの女性でもあります。


「まずは、昼ご飯だな。何か適当に見繕って持って行くぞ」


 確かに。食べられる時に食べておくよう、颯くんからもよく言われます。私達の部署は突発事項が多いので、ご飯を食べはぐれる事は割と発生しがちなのでした。

 それに、すぐにでも元の持ち主の方の所へ伺おうとしていましたが、きちんとアポイントを取った方が良いかも知れません。冷静でいるようでいて気持ちが先走っていたのだと自覚します。


「はいっ!」


 私はさっそく食券機の列に並ぶと、勧修寺先生と颯くんのお二人は何が好きだったかを思い出しながら、メニュー表に視線を走らせるのでした。


 *


 事務室へ戻ると、部屋の扉のあたりで颯くんが何やら術式を展開している所でした。こちらはいつも施している干渉禁止の札と、それから。


「結界、張るんですか?」

「出かけてる間に怪異が暴走でもしたら困るからな」


 な、なるほど。ありえない話ではありません。

 私はまだ全然上手に展開できないのですが、颯くんによれば、結界を張る時は対象を透明なケースの中に収めるようにイメージする、のだそうです。

 颯くんは、廊下に面した壁の突き当りと、反対に位置する角に配置した結界札、それと、部屋の奥の壁二箇所に配置された結界札をそれぞれ順に作動させると、素早く印を切りました。


「固定」


 ピシリ。例えるならば一粒の氷。大きな池を覆う分厚い氷の膜を構成する、その最初のひとかけらになる小さな点が、発生したのが分かりました。


「展開」


 その一言で札に込められた術式が作動されます。パンッ、と音を立てて合わせた手のひらを横にスライドする動きと一緒に、結界札と同じくらいの大きさのスペースがパタリ、パタリ、と横に伸びていき、それはパタパタパタと音を変えながら次第に速度を増して、対象を水平に囲います。


「包囲」


 水平に伸びていた領域が繋がったあと、更に、颯くんの結界は上下へと範囲を広げていきます。はじめはパタリ、パタリ、だった音が、今はもうカラカラカラと小気味良い音に変わり、あちこちから何重にも連なって響いてきます。透明の壁が対象範囲を勢い良く包み込んでいく様子がよく分かりました。


「展開、包囲、包囲…………固定」


 必要な箇所に細かな修正を加えながら広がり続け、全てを覆い尽くしたところで、颯くんの結界が完了しました。いつもながら惚れ惚れする手際の良さ。美しく強固な透明の壁は、なんとも頼りになりそうです。


「……凄いです、颯くん」

「相変わらず見事なもんだな、颯少年は」

「少年じゃねぇし。こんなもんは朝飯前……いや、昼飯。……腹減った」


 颯くんの言葉を受けて、私たちはこの後の作戦を練りつつ、お昼ご飯を摂ることにしました。ずっとゲームブックに向き合ったままの勧修寺先生も含めて、ミーティングテーブルにお昼ご飯を広げます。

 胡桃沢さんチョイスのおむすび定食に齧り付く颯くんの横顔を盗み見しながら、私はほんの少しだけ、胸の中で何かがざわりと動くのを感じました。

 先ほども申し上げましたように、私から見て胡桃沢さんはとても素敵な憧れの女性です。その胡桃沢さんのことは、もちろん颯くんも大変に信頼を寄せている事が側から見ていても伝わってきます。私よりも付き合いの長いお二人のことですから、仲が良いのも、お互いに理解し合っている項目が多いことも、当たり前のことなのですが。……それにしても。この感情は、一体何なのでしょうか。

 よく分からない何かを飲み込む様に、私はお皿の上のにんじんソテーをやや乱暴に口に放り込むのでした。

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