プロローグ・後

「一時はどうなるかと思いましたけれど、本当に良かったです」

「何が”良かった”だよ。結局バタバタしただけで、たいした稼ぎになってねぇんじゃ、骨折り損だ」


 稼ぎ、とは言いますが……私達の所属は国直轄の機関です。実績がなければ取り崩し、という事態はあるのかも知れませんが、金額についてはそれほどシビアな問題でもないのでは……と思うのですが、その辺りはどうなのでしょうか。

 確かに、今回の請求金額にはいつも颯くんが行うや、颯くんのご実家で対応して下さるの料金は含まれてはいませんでした。それでも、三名分の出張料やら鑑定料やら諸々手続きの料金などを含めますと、私にしてみたら結構ないい金額が発生しているように思えます。そもそも、公的機関によるサービス(と言って良いのかどうかも微妙ですが)なので、きっと民間の業者様よりはお安くなっているのだと思うのですが。こういうのって、そもそも、相場とかはあるんでしょうか。

 今度、その辺りの処理をなさっている胡桃沢さんに、詳しくお話を伺おうかと思います。


「そしたら、梅小路うめこうじさんはさっそく今回のデータを纏めて貰えるかな」

「はい、承知しました!」



 対怪異浄化情報収集室、略して浄化室、というのが私こと梅小路うめこうじ翠子みどりこの所属している組織の名称となります。

 例えば、今回のような人の情念が巣喰ってしまった品物で、所有者に害をもたらしたり、あるいはそれを中心として良くない事態を引き起こしたりする物のことを、私たちは「呪物」と呼びます。しかしながら、そう呼ばれるようになるまでにも様々な過程がありまして。

 単に、大好きな方から頂いた嬉しい品物であればそれは「お守り」になり、苦手な方や、あるいは故意に怨念の込められた品物だと「呪物」になり得ます。

 大好きな方から頂いた品物や、霊験あらたかとされるアイテムが傍にあると、不思議とやる気が湧いてきたり、調子が良いような気になるものです。逆に、自分を良く思っていない相手から頂いたものは、傍にあるだけで監視されているような気持ちになったり、何となく気が重かったり、それが手元に来てから上手くいかないことが増えたような気持ちになりがちです。

 基本的に人の心と体というのは連動しています。

 私たちは、負の感情を含むアイテムやその場所が引き起こす怪異を紐解き、しゅとなってしまったその想いを浄化し、情念や思念の類をあるべき場所へと誘導することを、生業としている部署なのです。

 こちらに配属されて約半年。颯くんに付いて祓う方法を教わり、勧修寺先生から必要な知識を教わって、日々過ごして来ました。まだまだ学ぶことだらけの毎日。

 大変なことは多々ありますが、北陸の実家で、決められた家に嫁に出されるのを待つだけだった状態よりも、遥かに充実していることに間違いはありません。

 私は鞄から本日の資料の入ったデジタルカメラと書類ケースを取り出すと、よし、と気合を入れて腕まくりをしたのでした。


 *


 報告書の提出を終えて事務所へ戻ると、不機嫌そうな顔をした颯くんがまだ残っていました。勧修寺先生の姿は既になく、そう言えば業務後に内密な打ち合わせがあるのだと仰っていたように思います。


「おい、アンタ」


 ギ、と音を立てて傾けた椅子の上で億劫そうにバランスを取りながら、颯くんが唸りました。終業後になるとは言え、デスクに足を投げ出さんばかりの態度です。着ている服の柄も相まって、知らない人が見たら非常にガラの悪い青年のように思えてしまうでしょう。ですが、私はこの方がそうではないと分かっています。


「手、見せてみろ。少し解けてんだろ」

「まだ言うほどでもないですよ」

「いいから」


 はい、と素直に手を差し出します。確かに、左手の小指の先から、淡い桃色の毛糸のような質感の糸が出ているのがわかります。これは私の家に代々かけられているしゅとなりまして、指先がまるで編み物をほどくかのように、糸状に変異してしまうのです。

 と言っても、やはり勧修寺先生のような「視えない」方には認識できないようです。そして、私の生家である梅小路家は、もう何代も前に廃業したとは言え陰陽師をルーツに持つ家系でありまして。その血を色濃く受け継いでしまったらしい私の目にはしっかりと、淡い桃色の糸が映るのです。

 これが起こり始めた当時の私には今よりももっとずっと知識が乏しくて、それが何なのかも理解できず、段々とほどけてくる指先をどうすることも出来ないまま途方に暮れていました。

 ある日、縁あってこちらの対怪異浄化情報収集室への就職の話が持ち上がり、勧修寺先生と颯くんがその打ち合わせのために実家を訪れた際に気付いて下さって、それで今に至ります。


 颯くんは、机の引き出しから金色のかぎ針を取り出すと、私の小指の先にそっと寄せました。するり。指先から伸びた糸をかぎ針が掬い取り、まだほどけていない指へと編み込んでいきます。

 颯くんの黒い瞳がちらりとこちらを伺いました。もう何度もこうして編んで下さっているのですが、そして、その度に特に痛みも感じていない旨をお伝えしてはいるのですが、それでもこうして編んで下さるたび、颯くんは私の様子を注意深く伺うのです。


「……痛くないです」

「そーかよ」


 ぶっきらぼうな受け答えとは裏腹な優しい手つきで編み込み終えると、わずかに残った糸の先を絞り留めにします。私の指はほんの一瞬だけ淡く発光して、それから、すっかりと元の指先に戻りました。


「ありがとうございました」

「ん」


 お礼を言う間にもかぎ針を引き出しの中へしまい、身支度を整えた颯くんが背中を向けて部屋を出ていきます。慌てて事務室の灯りを落とし、扉を施錠して、後に続きました。庁舎の出口のところで背中がチラと振り返ったのが分かります。


「ところで」

「……なんだ」

「勧修寺先生はなぜ、「先生」と呼ばれているんでしょうか」


 黙ったままで数歩いた颯くんは、「知らね」と呟くと地下鉄のホームへ続く階段を降ります。今日は自転車じゃないんだなと思いながら、私も後に続きました。

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