翠子さんの絆は途切れない 〜続・浄化室怪異見聞録〜

野村絽麻子

プロローグ

プロローグ・前

 世の中に存在する事象には、様々な側面というものが存在しています。

 それは例えば、二人以上の人が同じものを見ている場合でも、必ずしも同じ感想を抱くとは限らないという事だったり、単に立ち位置の違いから目に映っている物が異なっている、という事だったりします。


 今、私の目には一人の女性の姿が映っています。女性の手前にあるテーブルの上には花瓶。そしてそれに対峙する位置には猫背気味の男性の背中。それと、私の背後には少し上背のあるもう一人の男性が、同じようにテーブルに乗った花瓶と、それに対峙する男性の背中を見つめています。今はそういう状況なのですが。

 猫背気味の背中の方は、やや皺のあるダボっとした長袖のシャツを着ています。穴の開いたデニムのズボンと、程よく使い込まれたスニーカー。

 ズボンのお尻のポケットからは少しくたびれたお財布が覗いており、私は彼が走るたびにそれが落ちやしないかとハラハラしていたのですが、先日からウォレットチェーンなるものを使い始めたそうで。

 それと言うのも、身分証明の入ったお財布を落とした場合に起こりえるトラブルについて、背後に立っている方の男性が滔々と説いていた経緯がありました。


「……あぁ、うるせぇ」


 ちょうど、私が思い出していたその時と同じトーン、同じセリフで、猫背の方の彼が唸りました。文句の対象は私ではなく、テーブルの向こうに居る女性に対して、になります。

 実はこの女性、先ほどからずっとぼそぼそとお話をし続けている所なのですが、それがいわゆる怨み言の類となっておりまして、私達はそれを聞きながら、彼女の背負っている経緯や、これからどのような手段を取って問題を解決していくべきかについて検討している場面だったのですが……どうやら、そろそろその局面にも終わりが来たようです。

 これまで得られた情報を整理してみます。まずこの女性は、テーブルの上にある花瓶に対して相当な執着を持っていて、その理由としては「怨恨」になります。

 具体的に申しますと、こちらは彼女の制作した作品であるのに、現在の所有者が全く別の、いわゆる有名アーティストと呼ばれる作者の名前を当てがい、不当に値段を吊り上げたうえで競売にかけることを目論んでおり、更には、彼女としてはこの花瓶はとある男性に対する想いを込めて制作したものなので、えーと、つまりは……


「何もかもが気に食わねぇ、ってことだな」


 ……そういう事です。

 振り返った背中に対して頷いて見せると、彼、つまり私の直属の上司にあたる烏丸からすまはやてくんが、いかにも面倒だという顔をして溜息を吐きました。そうですよね、これは少しばかり厄介そうな案件かも知れません。

 真っ当な解決を図ろうとする場合、この花瓶の現在の所有者の方に、これは間違いなく彼女の作品であることを指摘したうえでお認め頂き、花瓶のお値段を吊り上げることを諦めて頂き、彼女が差し上げようとしていたお相手に譲って頂くのが良さそうなのですが……何しろ、私には焼き物に関する知識はほぼゼロですから、説得力もほぼゼロ。最悪は言いがかりとなり、訴訟を起こされてしまう可能性も否めません。

 かと言って、現在こちらの彼女がしているように、競売にかけられる前に所有者の方を取り殺してしまおう、というのも穏便な手段ではありませんし。


「……困りました」

「いや、僕には話が見えないんだよね。また二人だけで解ってるなんて、非常にずるいんじゃないかな」


 ああ、そうでした。私の背後でこちらをじっとりと観察する体制だった男性、つまり、勧修寺かんしゅうじ双樹そうじゅ先生には、テーブルの向こうにいる女性の姿はおろか、その声さえも、何一つ感知できていない状態なのでした。

 ススキの穂にも似た癖のある長い髪を背中でひとまとめに結んだ勧修寺先生は、その雰囲気に反して、いわゆる霊的なものを視認する事が出来ません。丸い銀縁眼鏡の奥の切れ長の目は、いかにも学者然として、様々な物を見据えていそうな風貌なのですが。わからないものです。

 それは先生のご兄弟の方に由来するお話になるのですが、まぁ、そこについては追々説明するとして。

 とりあえず、颯くんと私には見えている女性の姿が、先生には見えていない、ということになります。正に、世の中には色々な側面があるなぁと、私が思う所以なのです。


「えぇと、つまりは、こちらの花瓶の制作者の方が、依頼者の館林さんの仰る人間国宝の方とは違っているそうで。その、本来的な作者の方が、いま、こちらに……」


 勧修寺先生は、ふむう、と腕組みをしてほんの数秒間考え込んだあと、口を開いたかと思えば一息に、立板に水のごとく語り始めます。


「なるほど確かに。こちらの花瓶は美濃焼きに分類されはするものの、藻山人の特徴とも言える「藻」または「モ」の刻印は何処にも見受けられない。更に言わせてもらうと、藻山人の作品の多くはその生い立ちも影響してか酒器や食器になる訳で、花瓶という事自体が珍しすぎるし、となると刻印が入っていない事が尚更不自然なんだよね。まぁ総合的に考えたとしても、これは単なる美濃焼きの花瓶に過ぎないよ。悪いけどね」


 ぽかんと口を開けていた私と颯くんはお互いの顔を見合わせました。どうやら先生には焼き物の目利きが出来るという事ですね。流石です。


「おい先生、その何とかってヤツとこの花瓶の違いを、あの依頼者のおっさんに説明してくれないか」

「もちろん、お安い御用だよ」


 そうして私たちは勧修寺先生を伴って再び依頼者の元へ出向き、そもそも焼き物とは何たるかという辺りからを先生に熱弁して頂き、少々憔悴はされていましたがしっかりとご納得頂いた上、贋作が世に出回るのを未然に防ぐことが出来たのです。

 ついでと言っては何ですが、花瓶の制作者の女性の意向を汲みまして、本来的に作品をお渡ししたかったお相手の方に無事にお渡しすることも叶い、あの女性に関しては自然と成仏されるという形に落ち着いたのでした。

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