幕間1-2
築四十年、谷中駅からほど近い立地にあるアパートに暮らして五年経つ。いわゆる事故物件と呼ばれる類の部屋で、真夏でもひんやりとして居心地が良い。まえに颯くんを呼んだ時に物凄い鬱陶しそうな表情であちこち見回してたものだからたぶん本当に本物の事故物件なんだろうけれど、残念ながら今のところ、僕に関してはただの一度もそれっぽい現象には出くわせていない。
僕はいまの僕の仕事が大好きである。夜な夜なすすり泣く幽霊画とか、髪が伸びる市松人形とか、呪いの手鏡とか、そんな感じのド定番の怪異の情報でも基本的には小躍りしながら足を運ぶことになっているんだけど、それにしたって呪いのゲームブックはなかなかに興奮するアイテムだった。思い返してみれば本当に偶然に偶然が折り重なって出逢えた代物だったかも知れない。颯くんと梅小路さんの話を聞くと、より一層僕の感慨は深まるのだ。
画廊のオーナーなんて職業には少々シンパシーを感じる。才能ある若者を集めて彼らが動きやすいようにアレコレを整えて回り、ただただ彼らの活躍する姿に刮目する。
「では、刈谷さん。こちらお預かりします」
「はいはい。お若い方達によろしくお伝えください」
「はい! 僕の所の子たち、優秀なのできっと何か成果があります」
画廊のオーナーと僕とが違うところは幾つかあるんだけど、そのうちの一つとしては、かつては自分がそちら側の人間であったと懐古することがないところ。だってまぁ、僕には彼らの見ているような何かが見えたことは一度もないから。ただの一度も。そう、あの時までは。
今にも泣き出しそうな曇天の中、オーナーの刈谷さんに挨拶を済ませた僕は急ぎ足で銀座の人混みをすり抜ける。夜な夜なひとりでに開く本。そのくらいの現象なら僕にだって観測出来るかも知れない。定点カメラを設置して、赤外線センサーつきのやつ、確か棚に何台かしまってあったはず。
事務室に行く途中で農林水産省の所有している暗視カメラと三脚を借りたら両手が塞がったんだけど部屋のドアなんて瑣末な問題だから。刈谷さんと僕の違う点は、いまだにひとつの可能性も捨てられないって辺りだと思う。未知の扉の前で僕はもうずっとワクワクし続けている。そう、こんな具合に。
「おおーい、開けてくれないか。すまないが両手が塞がっているんだよ」
そうやっていそいそと抱えて帰ったものが彼らを驚かせることになるのは最近の定番の流れになっていて、正直なところ僕はそれが結構楽しい。気分は季節外れのクリスマスプレゼントを抱えたサンタクロース。あ、ところで、サンタクロースが実は宇宙人だとか怪異だとかいう都市伝説が前から気になってたんだよね。ぜひとも解明してみたいものだ。
「みんなでゲームしようじゃないか」
「いやもう見るからにヤベェやつ」
「先生……さすがに具合が悪かったりしませんか?」
明らかに顔を曇らせる二人はどこか似ている。いや、似て来た? そうか、呼吸が合って来たと言うべきか。
二人はそれぞれ祓いの準備をするべく動き始め、僕はそれを分かっていながら思い切り良くゲームブックを開く。
「チェーホフの銃って知ってる?」
とは、後に胡桃沢巴から盛大なため息を貰った弁解なんだけど、想像に難くないと思うんだよね。物語に銃が登場したら弾は発射されるに決まってるんだもの。
そんな過程を経て、僕は生まれて初めての心霊体験をすることになった。それはそれは素晴らしいものだった。
目の前に突如として現れた少女が初めて目にする幽霊的なもので良かったのかどうか。梅小路さんはその姿を「中世ヨーロッパの彫刻のよう」と評していたけれど、まさにそれに近かった。ざりざりと砂嵐にも似たノイズが混ざる中で、少女は僕をプレイヤーとして指名したのだった。
元から、あんまり空腹感を感じない体質と言うか、食事に対する意欲が薄い自覚はあって。胡桃沢巴なんかに言わせると「偏食」の一言で片付けられたりもするんだけど、とにかくいつも以上にそれが顕著だった。
単にこの怪異に巻き込まれた興奮でアドレナリンが大量に放出されてたせいもあるはずなんだけど、ゲームブックから展開される異空間に取り込まれたらしい、と結論付けたのは部屋の境界が越えられなかったのが大きい。
「先生。もしかして、すごく眩しくないですか?」
「……眩しい……気がするね……」
「……なるほど。つーか、さっきから瞬きしてねぇな」
二人がまたしても同じような表情をして、顔を突き合わせて何事かを相談している。颯くんの結界札に怪異ごと閉じ込められたのかと思われた僕の体は、順番的に見返してみると結界を張る前の出来事だったからその線は消えて、完全に怪異の力によるものという結論になる。
そうして銀座界隈を駆け回った彼らが、きっちりと「成果」をあげて帰って来る頃には、僕は僕なりの分析を終えていて、その肉体や精神の持ち主の意思を全く無視して、一人の人間の時間の流れや行動に干渉する未知の力なのだと実感している。これは自分がその影響下に身を置いて初めて理解できた事柄だった。何事も経験あるのみって先人の説を、僕は今後も推していこう。うん、そうしよう。
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