幕間1

幕間1-1

 東京という街には一部計り知れない所があって、そのひとつは例えば戦時中に利用されていた防空壕跡地を遺したまますぐ傍に煌びやかなシャンデリアの輝く飲食店街を構築してみたりする所、だったりする。大理石を模したタイルの上を革靴で歩く。

 待ち合わせの店内に待ち合わせ相手の姿はまだなくて、間接照明が蔓延る店内には終わりかけの食事の気配が満ちていた。メニューとお水、おしぼりを渡されながら、実はさっきまで心霊スポットとして有名な廃墟遊園地にいたんですよわははーと話してしまいたい衝動に駆られるけれどグッと堪え、代わりに「ウーロン茶ください」と絞り出す。やぁ、こないだなんか呪いのゲームブックに巻き込まれてしまってね、も同様に引っ込めながらコップのお冷を飲み下す。

 持ち帰った資料を捲りながら粉チーズとナッツの乗ったグリーンサラダをつついていると独特の足音が耳に届いて顔をあげた。


「やぁ、お疲れ様」

「早かったな。もっとかかると思ったが」


 脱いだ羽織りを椅子の背にかけながら胡桃沢巴が言って、僕は「うん、観覧車を点けたら早く解決したよね」と答える。途端に現れる眉間の皺は見慣れた流麗な角度。まぁまぁと宥めて席を促す。手を挙げる。生ビールをひとつ頼む。

 こうした庁舎の外での「会議」は偶に開催されてて、放っておくと食事を抜く悪癖を見透かされているのと、単に外での食事が好きな事もあるらしい。


「ここの店はわりと何でも旨いんだ。そんな兎みたいなもんばかりじゃなくて、色々と食うといい」

「兎とはまた……」


 ビールを持って現れた店員にオーダーが済むのを待って口を開いた。


「実際には使ってる所は資料映像でしか見たこと無いんだけどさぁ」


 意味がわかっていない顔でこちらを見る胡桃沢巴がいて初めて、そう言えば前置きがどこにもなかったことに気が付いて、でもまぁいいやとそのまま続ける。実際それで何とかなるんだし、まぁ、いいじゃないかそんなものだ。


「輸出とは大きく出たよね」


 ううーん、とひとつ大きく唸ってから箸を持った。こちらの思考に追いついてくるスピードが速いんだよね、彼女は。草食の恐竜みたいな勢いでサラダを咀嚼して飲み下すのを見る。


「アレを製品として輸出するまでにはクリアしなければいかんポイントが幾つもあるからな。いちばん手っ取り早いのは術者ごとそうする辺りだって、もっぱらの話だよ」

「術者を輸出されちゃったら僕なんかはすごくすごく困るんどけど。輝かしい未来の絵巻を広げるのが得意な職種の方からしたら、違う側面が見えてるんだろうねぇ」


 然り、と頷いて胡桃沢巴は再び皿に箸を伸ばした。大振りのつくねを切り分けもせずに丸のまま頬張る。もぐもぐやってる姿は小動物を連想させて、それは一部で「ご飯を奢りたい女」とされる密かな評判の源になっている事を、多分だけど目の前の本人は知りもしない。


「政府が育成に力を入れたがるのは分かったけど、それと今回の合同調査は……」

「おっと、そうだった。梅小路はどうだった?」


 ビールを飲んですぐの湿った声が聞いてきたので「あぁそうだった」と発言した。今のは少々芝居がかってしまわなかったか。


「そうだね、勧誘を受けていたよ」

「勧誘」

「TSCは浄化室よりも待遇が良いのだと」

「待遇」

「ワークライフバランスを取りやすい人員構成というのは痛かったなぁ」

「ワークライフバランス」


 さっきから鸚鵡返しなんだよね。こう言う時の胡桃沢巴は何事かを深く考え込んでいるケースが多い、というのは学生の頃から見てきて知る所だ。ついでに、彼女が今どの辺りを考えてしまっているのかも分からなくもない。

 「アイテム」としての結界。細分化された「業務」を「こなす」術者たち。それが意味するところは、とある政府筋から先日仕入れた情報にあった内容で、都知事の肝入りプランのひとつだ。


「いや、さぁ。わからなくもないんだよ? ただなぁ。……もちろん、梅小路さんが望むのなら、TSCの解析班にだって僕が頭を下げるのはまったく構わないんだよ。けれどね。喉から手が出るほどに人材を欲しているのはどちらもお互い様だからなぁ」


 ぶつくさ言いながら冷奴を切り崩して口に運ぶ。豆腐を大豆とにがりに分割して輸出するのとは訳が違う……気がするんだけどなぁ。あでも、大根は大根おろしになると別枠で輸入出来ちゃうんだったっけ。あれ、えーと、何の話だ。


「行きはよいよい、帰りは恐い、なんて本当にぞっとするんだから困りものだな」

「そうそう、それ」


 政府のアレやコレについてとりあえずは静観することにして、TSCのメンバーたちともそれなりの距離を保つとして。颯くんの修行とか梅小路さんの調伏への道のりとか、僕らには課題がいくらだって山積しているのだ。話題は尽きない。でもそろそろお腹が膨れたみたいで二人とも箸が動きを止めている。


「帰ろうか、明日も早いからね」

「双樹。お前なぁ、自分の保身についてもきちんと考えてくれ」


 ああ、やっぱりそれ、言うか。胡桃沢巴が僕の身の振り方に関して気を配っていてくれるのは有難い話。けれども、実のところあまり不用意に触れて欲しくないというか、触れるべきではないだろうと言うべきか。


「僕ならば心配ご無用。だってかの京都陰陽師、最大派閥中枢のご加護を受けているからね」


 胡桃沢巴がふっと息を飲んだのが分かる。どうだ、参ったか。この名前を出すと僕がどのように放蕩息子でもそれなりに収まるべきところに収まれてしまう事がお分かりいただけるだろう。それこそ、政府が僕を投げ出したとしても、だ。


「どんなお守りよりお札より、よっぽど霊験あらたかさ」


 歌うように独り言ちてテーブルの隅の伝票を取る……のは叶わなかった。一瞬前に翻るように伸びた白い手がそれを掴んで袂にしまい込む。


「すみませーん、おでんくださーい!」

「あっ!」


 これは……延長されるって事はさっきの発言は牽制にはなってなくて、むしろ煽った結果になったらしい。途端、頭の中にかなり前に訪れた球場で耳にしたジングルが流れる。チャ、チャ、チャチャ。ファウルボールにご注意下さい。うーん、むしろデッドボールなのでは。

 しかし忘れてたなぁ、おでん。食べて帰ろうって言ってたのに悪いことをした。冷えた遊園地で顔を寄せ合ってああでも無いこうでも無いと知恵を絞り合う彼らの姿を思い出す。

 伸びついでに店の外に視線を振ると、慣れるまでは誰もが足早に感じた東京の風景が広がっていて、向かいの席では胡桃沢巴がぬる燗を美味そうに啜っている。僕はそれを眺めながら、先日の体験についてを思い出す。


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