エピローグ
エピローグ
帰り着いた東京の街は酷暑の様相を呈しています。窓ガラスをものともせずに室内まで蝉の声が届き、これは道を挟んだ公園から来たものか、それとも街路樹の植っているわずかな土から孵ったものかしらと少しだけ考えてしまいます。……あ、また手が止まっていました。これは現実逃避というものですね。私は再びモニタに向き直ると、キーボードをタイプし始めます。
「祈里の扉」で術者として動いていた数名は事情聴取と並行でTSC測定班による能力測定を行ったのち、然るべき処分が済んだら、それぞれが能力に見合った部署へ振り分けられる事になったそうです。
「まぁ、どこも人材不足ってこった」
「喉から手が出るほど欲しいけど……残念ながら我らが対怪異浄化情報収集室のお上は、そこまで熱心じゃないんだよねぇ」
あーあ、都知事にしてやられたなぁ、と大きく伸びをした勧修寺先生にはお聞きしたい事が沢山ありまして……恐らく先生は、一連のカルト教団の事件に梅小路家の者が関わっていることを、私達よりも先にご存知だったんですよね。その上でいつものアルカイックスマイルをしていたなんて、少し隠し事が上手過ぎはしないでしょうか。
思わずじとりとした目で見てしまったのを感じてか、丸い眼鏡の乗ったお顔がぴょこりとこちらを向きました。
「結局、梅小路さんが七歳の頃に対面したのは山神だったって事だよね?」
「そう言う事になりますね」
ふぅむ、と考え込む姿勢になった先生ですが、やっぱりこちらを見てニッコリと微笑みました。
「良かったね。七つまでは神の子、あるいは七つまでは神のうちと言ってね。数えの七歳までは魂と身体の結び付きが弱いから連れて行かれ易いとされる説があるんだよ。まぁ、昔は乳幼児の死亡率も高かったから、大方その辺りから来てるんだけどね」
私が認識していたところの「白いお爺さん」は梅小路朝義で間違いなくはありますが、しかし同時に、あれは山神としての対面でもあったのだと気が付きました。
「山神にしてみたら『自分の山にちょっかいを出してきた人間をからかってやろう』程度の呪だったのかも知れないねぇ」
「それで数代祟られたんだから、とんでもねぇ話だ」
「規模が違いますね、さすがに」
神がかり、神下ろし、狐憑き。様々な呼称はありますが、つまりは、梅小路朝義は永らく山神とそんな状態にもあったようです。
「山神とのご縁よりも、もっと強いご縁があって呼ばれてたってことかなぁ。ねぇ、颯くん?」
「ご縁つーか、愛だろ?」
…………。
…………。
「言わせといて絶句すんの、無しな」
思わず言葉に詰まってしまった私と先生でしたが、それを言った張本人の颯くんの横顔にも、果てしなく赤くなった耳が見えてしまうのでした。「言っておいて照れるの、無しの方向でお願いしたいわね」とは、聴こえて来たアリスの呟くところです。
*
午後になって、いつもの草履の音を響かせながら胡桃沢さんがやって来ました。こちらにもお伺いしたいことは山ほどあるのですが、とてもお疲れのご様子だったので、私は黙ったまま胡桃沢さんの前にお茶とお菓子を並べます。
「おぉ、悪いな。昼を食い損ねたんで助かる……これは?」
「お土産物のロールケーキです」
「そうか……」
ロールケーキに使われてるフルーツ、先日の出張先の名産品です。警視庁の、しかもあのような部署にお勤めの胡桃沢さんもきっと、私が例の教団と関連のある者だと知っていたはずです。
ううん、と唸り声に近いものを発生させながら胡桃沢さんが目を瞑りました。
「最初はな、珍しい名字だしピンと来なかったと言えば嘘になる。資料で目にした断片的な記憶とか、職業的な勘とか、それなりに色々と考えたがなぁ……」
しばらく目を閉じたまま動きを止めたかと思えば、パッと急に目を開き、流れるようにフォークを持ちました。ロールケーキを大きめに切り分けて、ひと口。んん……と味わうように目を細めてから飲み下すと、今度はお茶をひと口。
「ま、勘繰っても仕方のないことだったな。何しろこんな普通のお嬢さんが、一生懸命に仕事してるだけなんだもん、可愛い以外の感想なんか出て来なかった。それが全てだよ、梅小路」
にっこりと微笑んだ唇の端には生クリームが付いています。私はティッシュペーパーを一枚引き抜いて差し出しました。
「いいえ、こちらこそ。遠縁とはいえ身内の者がお手数をおかけしていて、すみません」
「なんのなんの」
ぴらぴらと顔の前で手を振った胡桃沢さんが受け取ったティッシュペーパーで口元を拭い、あらためて私たちは笑顔を交わすのでした。
お皿に乗っていたロールケーキがなくなって、そろそろお茶も飲み干そうかという頃合いで、ひとつ聞きたいことがあったのを思い出しました。
「ところで。胡桃沢さんの両脇に立っていらした方達は、その、部下なんでしょうか?」
ずいぶんと体格の立派な男性二人が、胡桃沢さんの指示でキビキビと動いていたばかりか、心なしか私たちにまで恐縮していたような?
「アレは桜田門の仁王像と呼ばれていてなぁ」
「仁王像……」
「兄だ」
「あに?」
「そう、実の兄」
きっぱり言い切った胡桃沢さんが、ずず、とお茶を飲み干してカップを置きます。でも確か、以前に「兄が二人いた」って切なげなお顔で仰っていたような。
「ふたりとも昔はシュッとしてたんだがなぁ。いつの間にやらあんなゴツゴツした輩になってしまった……あれじゃゴリラだ」
*
その足音が近づいてきたのは、そろそろ日も暮れようかという頃合いの時刻でした。カツカツカツと足早に廊下を蹴る音には聞き覚えがあります。足音は、事務室の扉の前で二秒程度立ち止まったかと思うと、ノックもなしにいきなりに扉を押し開けました。
「ちょっとぉ、勧修寺さんっ!」
「あ、御厨さんだ」
黒いふんわりとしたワンピースと、同じく黒いレース地のケープを纏い、足元は黒いサンダル。ちらりと見えるペディキュアもラメの入った黒い色。そして胸には十字架を下げています。
可愛らしく唇を尖らせて、扉の前に仁王立ちになっている御厨さんは、以前よりも血色が良いように思えます。……と、廊下を走って来る足音がもう一つ。ふらふらになりながら遅れて部屋に姿を見せたのは、ブラックスーツ、左耳にたくさん着けられたピアス、サラサラの黒髪を乱した姿の八神さんです。
「ほら、エリィこれ」
「んもう、廣太郎遅ーい!」
八神さんの手渡したタオルを頬を膨らませた御厨さんがバッと広げました。そこには、ナスカの地上絵を模した図案が赤と黒の二色で大きくプリントされています。
「ああっ! 僕のタオル! 月刊モーの抽選で当たったレアグッズ!」
「『僕のタオル!』じゃないわよっ! アナタねぇ、アタシのタオルを間違って持ち帰ったでしょう!?」
「間違えて持ち帰ったのはエリィも一緒だからね」
「えっ!? 御厨さんのタオルを?」
慌てて鞄を漁り、先生が取り出したのは、薔薇の柄がプリントされた可愛らしいタオルでした。確かに色合いが赤と黒で似てると言えば似ています。畳んであったら取り違えても仕方ない気もしますが。
御厨さんは目にも止まらぬ速さで先生の手からタオルを奪うと、まるで虫でも見るような冷たい視線を向けました。
「まさか使ってないでしょうねぇ?」
「うーん……たしか、まだ」
「あー、良かった! でも念の為クリーニングに出すわよ廣太郎!」
「はいはい、仰せのままに」
来た時と同じく唐突に出口に向かうお二人でしたが、ふと、御厨さんが足を止めました。そのままこちらを振り返らずに「翠子、」と私の名前を呟きます。
「体調はどうですか、御厨さん」
「……この通り、問題ないわ」
「それなら良かったです」
そのまま無言になってしまった御厨さんの背中を、八神さんがぽんぽんと優しく叩きました。促されて渋々振り返った御厨さんは、少し迷ってから再び口を開きます。
「……お、美味しいスコーンのレシピがあるの」
「わぁ。ではまたお茶に伺っても良いですか?」
「来てくれるの?」
「ぜひ。あ、では気になっていた美味しそうなジャムがあるので、それを持って伺いますね」
「……約束よ?」
「はい、必ず!」
それから、ちらりと颯くんの方を一瞥するといつものように鼻の頭に皺を寄せました。
「烏丸颯は来なくていいからねっ」
「……言われなくても」
「な、何よぉ! ふんっ! 行くわよ廣太郎!」
まさに嵐のような一時が過ぎて、私たち三人はお互いの顔を見合わせて、誰からともなく笑ったのでした。
*
「御厨さんのペンダント、見ましたか?」
「見た」
「成りかけてましたよね?」
そう尋ねると、颯くんは少し意地悪そうな顔をしました。言いたいことは分かります。
あのペンダントは今まで「フェアリー」の住処として機能していましたが、それがいなくなった事で、ペンダント自体の待つ「物としての心」が目覚めようとしている所なのです。先ほどあのペンダントを目にしてそれが分かったのですが……。
「果たして御厨があのペンダントを調伏出来るかどうか」
「大丈夫だと、思いますけど」
御厨さんの話によれば、あれはエヴァンズ家と共に永く歴史を重ねてきた大切なペンダントですから。きっとペンダントの方でも、自分の声に耳を傾けてくれる御厨さんとならすぐにでも仲良くしたいと、そう思うはずです。
さて、そろそろ終業時間です。このあと寄るところがあるという先生を見送り、事務所内を軽く片付けると、窓の施錠を確認して、ブラインドを下ろします。戸棚に貼られた干渉禁止の札が剥がれたりしていない事をしっかりと確認したら、電気を消して退室です。
「あ、そう言えば。胡桃沢さんに頂いたチケットがあるんです」
歩き出しながら鞄から取り出したご招待券には埴輪と星のイラストが可愛らしく描かれています。手元を覗き込んだ颯くんの眉根にしわが寄りました。あらら、お気に召しませんでしたか。
「……ナイトミュージアム?」
「私、こういうのって行ったことなくて」
東京の夜は熱帯夜になることが多いですが、涼しい博物館の中を散歩するのは風情があるのでは。ナイトミュージアムとなればきっとまた独特な雰囲気が楽しめるのでしょう。
「しゃあねぇなぁ」
颯くんは、髪をくしゃくしゃと掻き回しながら少し考えると、パッと顔をあげてこちらを見ました。
「そこ寄ってから帰るか」
「ぜひ!」
事務室の扉を閉めて施錠すると、私たちは並んで一緒に歩き始めました。
人の心と身体は連動しています。
自分の手足で生きていきたい。特別な自分でいたい。強くなりたい。人を守りたい。どれも本当の気持ちです。私たちの間に芽生えた新しい気持ちは、きっとこの先の大きな力になってくれることでしょう。そんな気がします。
もっと強く、もっと優しくなって、そうしたら。
……実はこのあと、到着したナイトミュージアムに何故か居合わせた勧修寺先生が、恐ろしい呪物をうっかりと入手してしまう場面に出くわすわけですが……それはまた、別のお話なのです。
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