5-6
おか、と梅小路朝日の口元が動くのが見えました。
「祖父は、丘に入った」
丘に入る、とはこれまでも頻発していた語句です。これが何を意味するのか、掴みあぐねたまま、ここまで来てしまいました。
「察するに、『原』が『丘』になるほどの何かが堆積しているんじゃないのかい?」
先生の問いかけに梅小路朝日が顔をあげてそちらを見ました。縋るような表情。何かを口にしかけて、そのまま飲み込むように閉じます。
「カルトの怖いところはね、信仰心を巧妙に焚きつけて、信仰のおかげで救われたと思わせることなんだよ。財産を手放し身軽になること、平穏は信仰からしか得られないことを繰り返し説いて洗脳する……そうして更なる救いを求める彼らが財産を手放し続けて、挙句の果てにはそこから出て行くこともままならなくなる、恐ろしい負の連鎖だよ」
「では……ここから出ていけなくなった人たちは、どこに?」
確か、胡桃沢さんの入手して下さった入信者名簿には、大勢の方々の名前の記載がありました。途中で信仰の方を手放す方もいらしたでしょうけれど、それにしては私達が目にしている信者の方々の数はかなり少なく思えます。この水源のほかの場所で、例えば外の畑などで作業している方たちがいると考えても、やはり。
「具体的に何が堆積したのかって考えると……」
「……丘、ねぇ」
「念のため申し上げますが、梅小路朝義が調伏に失敗したのは山神です」
「ううん、僕もちょうど、報告書の場所が近いなぁって思い出してたんだよねぇ」
「うわ……」
これは嫌な予感しかしません。ですが、出てくる符合を加味すると結論としてはひとつか思いつかないのです。
位置的に考えてこの鍾乳洞と屋敷の裏山は繋がっていそうです。むしろ、屋敷の裏山の地層から湧き水が出ているとしたら……考えたくありませんが、もしそうだとしたらこの水を飲んで何らかの霊的なものを感知できるようになるという眉唾物のお話も、嫌な方向に信ぴょう性を帯びてきます。
「どうしようも無かったんだ」
ぽつりと、梅小路朝日が口を開きました。
「アレは
その時、ポケットの中で何かが震えました。驚いて見てみれば、いつの間にかアリスの琥珀色の結晶が入っています。
「アリス!?」
手のひらに取り出すと、結晶はもどかしそうにぴょこぴょこと飛び跳ねてから、ぱぁん! と弾けてアリスの姿が現れました。ずいぶんと余裕のない様子です。
「ねぇ! あの娘、知り合いよね? 青みがかった瞳の女の子!」
「御厨さんですね」
「さっき裏の山の方へ連れていかれる所を見たわ!」
それは大変です! 街の方向で情報収集をしてくれる予定だったはずですが、いつの間にこの屋敷へたどり着いていたのでしょうか。とにかく助けに行かなくては。
ひとまず、梅小路朝日の監視のために先生を残して、私と颯くんは屋敷の裏手にある「丘」らしき場所へとむかうことにしました。
*
勧修寺先生が歩いてきた経路をたどって行くと、緩やかな上りのスロープが幾らか続いてから先ほどの屋敷の裏に出ることが出来ました。鍾乳洞の入り口の戸は古めかしい木戸で、漏れてくる光の加減で木戸に生えた黴か苔のようなもので変色しているのが見えます。前を行く颯くんがそれを押し開けると途端に光が溢れました。青々しい草いきれの匂いが鼻を掠めます。
「右手に階段がある。人の歩いた跡がついてるから、こっちだな」
洞窟の外に出て眺めると、山の向こう側や他の斜面は林のように木々がそびえているのに対して、屋敷に面した斜面だけは背の低い植物が覆っているのがわかります。颯くんが「階段」と呼んだのは手すりのない石の段ですが、これも登って行くうち、石段の列がずいぶんと蛇行していることに気が付きました。
「この斜面だけ草木の丈が低いです。きっと地滑りか土砂崩れでもあったんですね」
「その影響であの鍾乳洞の入り口が出て来たとか?」
「なるほど、それはあるかも知れません」
石の段は土の部分を複数人の足跡が行き来しています。それに、登るにつれておかしな気配が感じられてきました。近いかもしれません。低木の陰に隠れながらそっと覗き込むと、鳶色の髪が見えました。自然光の下で見るとより色素の薄さが目立ちます。
御厨さんの傍には八神さんの姿もありますが、彼らの向かいに立っているのは梅小路實朝と、教団の信者と思われる男性が数名。こちらは先ほどの作業をしていた方達と異なりはっきりとした悪意が読み取れますが、一様に林の方に気を取られているようです。
「離してよ廣太郎っ!」
「エリィ、ここは一旦引き返そう」
「そんなこと出来ないわっ! フェアリーが! アタシのフェアリーがっ!」
そう言えば現れている時にはいつも御厨さんの肩付近にいるフェアリーの姿が見当たりません。何処にいるのでしょう。キョロキョロしていると颯くんが無言でどこかを指差します。その方向は林になっていて見通しが良くありません……が、そちらから御厨さんのフェアリーの気配が拾えました。
「悪趣味ねぇ、あれ」
耳元でアリスが声を顰めました。
「食べてるのよ、死者の魂を」
「死者の魂……ですか?」
「あぁ、そうだ。御厨から引き出せなくなったからガッついたんだろうよ」
ハッとして振り返ると、颯くんが頷きます。それじゃあ、さっきのインターチェンジで颯くんが書いていた護符って。
「魂封じ。御厨からの流出を一時的にでも抑えるつもりだった。八神から頼まれたやつ」
それだけ言うと颯くんは身を潜めていた茂みを出て、八神さんの横に立ちました。二人は目配せをして、それに気づいた御厨さんがゆっくりと振り返ります。
「さすがは妖。節操がねぇな」
「……あなたね? ねぇ、何をしたの、烏丸颯」
「これで分かっただろ? アレはずっと一緒に居たら危ねぇもんなんだよ」
「……エリィ、行こう」
「取り返すわ! フェアリーは私の家に代々伝わる大切な……!」
「ッ! エリカッ!」
八神さんのいつになく鋭い声。今にも飛びかかりそうになっていた御厨さんがハッとして動きを止めました。大きく見開いた目から、大粒の涙がぽろぽろと溢れ落ちます。八神さんの顔が辛そうに歪んでいます。でも、それを振り切るように御厨さんを胸に掻き抱いて、それから、静かな声で語りかけます。
「エリィ、とにかく君は戻るんだ。これ以上ここに居てはならない。行こう? 僕がついてる」
「廣太郎……」
二人の姿がその場から消えると、それまで成り行きを見守っていたらしき梅小路實朝がこちらをじっと見据えてから、口を開きました。柔和な表情は記憶の中の白いお爺さん、つまりは梅小路朝義に重なりますが、そこには何の力も感じられません。
「まさかと思ったが……翠子、か」
一歩、また一歩とこちらへ近付いて来ます。颯くんが庇うように私の前に立とうとしましたが、私はそれを止めました。この人にはもう、私を害するエネルギーすら残っていないと分かったからです。
「翠子よ、もしお前がここを手に入れたいのなら何でもやろう。土地も、人も、資金も、光芒の座も、全て委ねてやろう」
私は、ゆっくりと首を横に振りました。
先代のような力もなく、それでも自分なりのやり方で教団を守ろうと奔走した梅小路實朝。充分な力を備えて産まれてきた自分の息子に、この人から発せられた嫉妬や期待、取り返しのつかない事をし続けているという絶望感、きっとその身に余るほど感じてきたのでしょう。自分の手ではどうしようもないと、ずっと苦しみ続けて来たはずです。
「いいえ、私はこの教団を終わらせに来たんです」
「……そうだったか」
梅小路實朝は天を仰ぎ、もう一度だけ力なく「そうか」と呟きました。草の匂いのする風が吹き抜けて、肌を焼くばかりだった陽の光が、ただ静かに翳っていきました。
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