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 前を行く梅小路朝日の手つきは慣れていて、かなり長く車椅子生活を送っているのだと分かります。濡れた地表の上をゴムのホイールが滑らかに進んでいき、私はキョロキョロと辺りを見回します。壁に取り付けられた電燈の光に照らされた湧き水の水源は底の方に白い砂の層があるらしく、輝くような色をしています。近付いてみると底の方までがくっきりと見通せて、かなり透明度が高いです。


「祖父を覚えているか? 正直なところ、あれは戦犯だよ」


 立ち働く人々の何も映していないような瞳。ただひたすら効率の良い動き。近くに立ってもこちらに反応を示すことはありません。


「これは元々、山神の祟りなんだそうだ。若い頃の祖父は勤め人をしていて、そこでとある調査任務に就いた」


 教団の初代こと梅小路朝義はその座に収まるまでは浄化室の初期メンバーの一人でした。優秀な職員だったことが記録からも分かっています。数年の勤務ののち、職員名簿から名前が消えて、そして今では皮肉なことに重要テロリスト監察案リストの中に名前を連ねています。


「山間部へ高速道路を通すのが政府の目的だったそうだ。調査に赴いたその山で、そこに憑いている古い山神と対峙する事になったらしくてね。祖父は山神を調伏しようと試みたものの、それは失敗に終わる。それどころか山神の怒りを買い、祟りを受けることになった。それがすべての始まりだ」

「これまでに呪を解こうとはしなかったのでしょうか。その、和解とか」

「和解? そんなの不可能だよ。山神信仰は業が深い。人の言葉が通じる存在じゃないんだ。祖父は計画頓挫の責任を取って職を手放し、この土地へ移り住み農業を始めた。呪の影響を考えて人里離れた地に移り住んだ方が良いと思ったらしい。でも、そうはいかなかった」


 あとは事前に調べて来た教団の資料と繋がるのでしょう。梅小路朝義の元には自然と人が集まり始めました。現在で言うネグレクトやDVなどで住むところを追われた人達や、高度成長期の歪で生活が立ち行かなくなった人々が、不思議と流れつくように現れて、この場所に居付くようになります。

 梅小路朝義は分け隔てなくそれを受け入れ、共に生活するうちに彼らは一つのコミュニティとしての形を持つようになり、それがつまりは「安達ヶ原御門会」へと成長します。

 農のある暮らしのなかで祈りをささげて生きることは、おそらく偶発的に生まれたものなのでしょう。天候や水害などに左右されやすい環境下では、自然を信仰する思想が発生しやすいものです。

 それがなぜ、テロ組織と見なされるような団体にまで行きついてしまったのでしょうか。


「対して、父には才がなかった。山神の祟りがあまり現れない体質だったんだ。その代わりに経営のセンスだけはあったようで、組織は父の代でかなり規模を広げたよ」


 人質監禁事件を経て、代替わりと同時に「祈里の扉」が発足。二代目光芒こと梅小路実朝の経営手腕により団体はその活動範囲を広げていきます。

 同時に勧誘も活発化し、外部から引き入れた術者を用いて素質のある者を招くような方法を取り始めました。それが、本に挟まれたパンフレットや、この団体が私たちの目に入るきっかけとなった例の曲などにあたります。八神さんのリーディングに対して攻撃的な術式を仕掛けてきたのも、その術者たちの仕業でしょう。


「広大な土地、莫大な資金。ほとんど父の代で築いたものだ。そして僕にはこの梅小路の家で一番色濃く山神の影響が出ている」


 そう言うと、梅小路朝日は着物の裾を大きく捲りました。


「……脚が」


 私は言葉を失いました。

 梅小路朝日の脚は、もう膝の上を越えようかという辺りまでがほどかれたうえで、その糸が切断されていたのです。



 *



「あぁ、山神信仰は歴史が長いからねぇ」


 私たちが息を飲む中に、良く通る声がひとつ混ざりました。驚いてそちらを見れば勧修寺先生が向かいから歩いてくるところです。


「……お前は誰だ?」

「やぁ、ご挨拶が遅れました。僕はその子たちの保護者みたいなものかな」


 颯くんが小声で「保護者ってキャラかよ」と呟いたのが聞こえます。一体どうやってこの場所へいらしたのでしょう。先生は思考を読み取ったようにニコリと笑いました。


「颯くんのスマホに位置情報を把握できるアプリ入れておいたんだ。こんなにすぐ役に立つとは思わなかったよねぇ」

「おいっ、先生は勝手なことしすぎだろうがっ!」

「だって大した精度だと思わないかい? 使わない手はないよね」

「つーか、梅小路実朝は?」

「彼なら少しだけ眠ってもらったよ。胡桃沢巴にも連絡済みだ」


 たちまちいつものペース。私は人心地ついたような気持ちにすらなってしまい、少しだけ自分の口もとが緩むのを感じます。ですが、それを目にした梅小路朝日は、私とは違う種類の笑みをその口元に浮かべました。


「山神の祟りについて誤解しているようだからひとつ教えてやろうか。あれは単に手脚がほどけていくものではないよ。ほどけた糸の先で、人を絡め取る」

「……どういう、意味ですか?」


 人を絡め取る、とは。ここで使役されている人々のことを指すのでしょうか。それとも何か他に? 何も分からずにいる私に、梅小路朝日が言葉を重ねます。


「そのままさ。他人を取り込む、縁を結んでいく。そういう力があるんだ」

「この呪の力で、縁を結ぶ」

「そうだ。お前の指先は周りに人が増えるごとに、ほどけやすくなっていないか?」


 そう言われて思わず肩が跳ねました。この頃特にほどけやすくなったと、自分でもそう感じたばかりです。浄化室のメンバーとの親交が深まったと感じたり、御厨さんや八神さんが現れてからは、特に。


「なぁ、お前の周りにいるお優しい方々は、果たして本当にお前自身と縁を結んでいるのかなぁ。お前の後ろにある、この強大な力がそうさせているだけではないのかな」


 ——翠子ぉ! 大変なの! 早くこっちに来て!!

 ——要するに移籍しないかって話です。どうかな、翠子ちゃん?

 ——ちょっ……っと梅小路、乾杯しようか。

 ——頼りにしてるよ、梅小路さん。

 ——今の翠子の方がずっといい。


 頭の中で御厨さんと八神さん、胡桃沢さんと勧修寺先生の、そして颯くんの声がぐるぐると再生されます。これらの私に向けてくれた温かな言葉たちが、もし、彼らの本心から出たものではなくて。私に纏わりつく呪が、言わせているものだとしたら。すうっと背筋が冷えた感触がしました。


「お前がこの山神の祟りを解く事に成功した時、それを境にしてお前の周りからは人がいなくなるだろう。つまりお前は呪われた身体のままでいた方が幸せだという事になる」

「そんな……ことは……」

「無いと言い切れるのか? 誰もお前を必要としなくなる世界よりも、この呪いと共存し、能力を解放したほうが幸せでいられるのでは?」


 呪と共存したままで生きていく。


 ——まぁ、その……また編んで貰います、颯くんに。


 いつかの私はそれでも良いと思っていなかったでしょうか。この呪を抱えたままの方が、ずっと颯くんの傍に居やすいのではないか、と。

 自分の考えが恐ろしくなり両手で身体を抱きしめました。そして追い打ちをかけるように梅小路朝日が囁きます。


「翠子、お前には僕と同等の力がありそうだ。教団に来い。その力を、僕らの世界の役に立てるんだ」

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