5-3

 七歳の私が対面していたのは、初代光芒の梅小路朝義で間違いありません。ですが、先ほどあの部屋で寝かされている間に思い出した事があります。

 あの時気にしていた部屋の調度品や美しいお庭とは逆の方向に座していた人影。父よりは若い男の人でした。あれはきっと二代目光芒となる梅小路實朝、そしてそのすぐ隣に座していた私とあまり変わらない年齢に見えた男の子が、三代目を継ぐこととなる梅小路朝日。

 あの時の私は、わざとそちらに目を向けないようにしていたのです。父と一緒に帰りたかったし、祖母の言いつけを守りたかった。何より、そちらを見るのが怖かった。


「薄らと笑顔を浮かべて座る彼らの姿が、私にはとても恐ろしいものに見えました」


 敢えて言葉にするなら、感情が抜け落ちているような。勧修寺先生のアルカイックスマイルも考えていることが解りにくいことがありますが、それよりももっと何もない、虚ろな表情。


「それを言うなら……一昨年のアンタ、かなり虚無の顔だったけどな」

「そ、そうでしょうか」


 一昨年は、まだ北陸の実家に居た頃、颯くんと先生が私を訪ねてきてくれた時の話です。あの頃は自分の身の振り方も決めることが出来ず、降り積もる日々の中をただ漫然と過ごしていましたっけ。それが今やこんなにもカラフルな日常になるなんて。思いもよらないことが起こるものです。


「あぁ、今の翠子の方がずっといい」

「な……あの、」

「ほら、早く来いよ」


 突然そんなことを言うなんて。たぶん、颯くんなりに緊張をほぐそうと思ってくれたのかも知れません。でもちょっとだけ、心臓がおかしな跳ね方をしてしまいました。何しろ、視界に映る颯くんの耳がほんのりと赤いような気もするのです。そんな事を考えてしまいながら、私も歩き出しました。

 さて、探ると言っても何から始めたら良いのやら、見当もつきません。他所のお宅の中をあまりウロウロするのも気が咎めますが……もしここが一般的なお屋敷の構造をしているのなら、お勝手から家の裏に出られる事が多いはずです。試しに覗いてみることにします。

 お屋敷の廊下は何故か少し薄暗く感じます。大勢の人が住んでいるという情報でしたが人の気配もありません。私たちは通りかかった部屋の障子を少し開けては覗きつつ、お勝手を探しながら廊下を進みます。

 いくつ目かの障子を細く開けたその時、白っぽくぼやけた人影がこちらを覗き込んでいて、思わず声をあげそうになりました。その白い人影は平べったく形を変えて障子の隙間からはみ出すと、そのまま風船のようにふわふわしながら廊下を横切って行きます。


「……見ましたか?」

「見た」


 弛緩した表情で両手に片方ずつ靴を持ち、その両手首が糸で繋がれていました。あの糸には見覚えがあります。


「両手に靴持ってる話、八神の送って来たデータにあったな」

「はい。確か図書館で借りた本に挟んであったパンフレットをきっかけに、『祈里の扉』関連の夢を見るようになったお話でした。あと……あの糸、」

「あぁ、たぶんだけどアンタのと同じやつだ」


 やはりそうですよね。梅小路家に蔓延る手足がほどけてしまう呪がここにいる誰かにも現れているばかりか、それを新たな呪として利用しているのかも知れません。だとしたら、なんて危険なのでしょう。

 すり抜けて行った人型の虚な影は、ふわりふわりと廊下を壁沿いに移動して行きます。ふわふわと漂いながら廊下を進み、とある扉の前まで来ると吸い込まれるように中へと入っていきました。私たちは顔を見合わせてどちらからともなく頷くと、扉に手をかけます。他と同じ襖紙を貼られている扉は引き戸になっていて、開いた空間の奥には下りの階段が続いていたのです。


「地下施設?」

「……水の流れる音がしませんか?」

「確かに。外気か、これ」


 階段の下から吹き上げてくる空気は室内と温度も匂いも異なっています。湿度の高い生温い空気。ここから外に繋がっているのかも知れません。私たちは玄関からそっと靴を持ってくると、階段を降りてみることにしました。

 薄暗い階段は途中からコンクリートのような肌触りになり、足元も石造りの階段に変わっているようです。どのくらい降りたのかわからないくらい歩き、暗闇に目が慣れて階段の出口の景色が見えるようになると、その開けた先がどんな場所なのか判ってきました。


「鍾乳洞に繋がってたのか」


 ぽたり、ぽたりとどこかで水滴の垂れる音がしています。遠くにぼんやりした明かりがいくつか灯っていて、よく目を凝らせば、大勢の人影が立ち働いているのも見えてきます。緩慢な、切れ目のない動き。微かにモーター音も聴こえているので、もしここで地下水を汲み上げているのだとしたら教団の売り出している「保祷水」の採水地かも知れません。


「あそこにいる奴ら、皆んな糸が付いてるな」

「そのようですね。操っている、という事でしょうか」

「だとしたら、さっきのはアレの成れの果てってことか……」


 こうして人を操るためにこの呪を利用しているのだとしたら、この糸の元の持ち主は自らの体を犠牲にしていることにならないでしょうか。ほどけた指先をどうしたら良いか分からなかった頃、ハサミで切ろうと試みたことがありました。鋭く痛んでとてもそれどころではなかったのですが、もしこれだけの量の糸を切り出しているとしたら、その方の身体は……。

 その時、すぐ真後ろで土を踏む音がしました。じゃりり、という音が耳を打ったと同時に振り返った私たちでしたが、驚きのあまりすぐには言葉を発することができませんでした。


「こんな所までやって来るとはな。お前は翠子、だろう?」


 その方の声は想定よりも随分と低い位置からしていました。銀色の大きな車輪が印象的な車椅子に、淡茶の着流し。痩せた頬にわずかな笑みを浮かべたままでこちらを覗きこむように見上げています。暗い色の煙じみた呪を纏ったその面影には見覚えがあります。あのお屋敷で対面していた、虚な表情をした小さな男の子。恐い、と本能的に感じます。


「あなた、梅小路朝日ですね」

「遠からん親戚に対して随分なご挨拶だな。久方ぶりの再会じゃないか。丁重におもてなしが必要かな」


 横目で颯くんを伺うと、ちょうどこちらを振り返る所でした。目が合うと、どこか飄々とした余裕のある顔で軽く口の端を持ち上げます。胸の中に一拍分の隙間が生まれたような気持ちになりました。この感じ、いつもの颯くんです。

 察するに颯くんはこのまま流れに沿って潜入する方向で考えているようです。大丈夫、もう怖くありません。私はすっかり落ち着いて頷き返します。

 私たちは車椅子に先導されるまま、後について歩き始めました。


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