山神の怪

5-1

 高速道路降りた車は田園風景を順調に走り抜けています。青々と伸びた草の上を風が渡っていくのが見えました。遠くの畦道で真夏の陽射しを受けてゆらめく陽炎と、半分透き通った犬、その傍に立つ小さな子供の姿を認めた私は思わず「あっ」と声をあげてしまいました。


「構うな」

「……はい」


 運転席からぶっきらぼうに嗜める声。首をすくめます。今日の颯くんはいつもみたいな怖げな絵柄のTシャツではなくて、少し落ち着いた色合いの開襟のシャツを着ています。ボトムスにも穴あきではない服……遠出だからでしょうか。何だか珍しいような気がして少し眺めてしまいました。

 締め切られた窓の中は先程から静かな寝息が覆い尽くしていますが、この後の事を考えるとこれは必要な休息なのかも知れません。


「そろそろ着く。そいつら起こせよ」


 カーナビに目を走らせた颯くんが低く唸りました。そいつら、の言葉の対象は私の右隣に順に座っている御厨さんと八神さんのことになりますが、お二人ともぐっすりと眠り込んでいて、出発前後の大騒ぎがそれこそ幻のようです。

 車種や座席の配置について、走行予定ルートの途中にある寺社仏閣への立ち寄り希望、果ては名産フルーツへの執着など……早くも人間の欲望を目の当たりにした気分でした。先生までもが「心霊スポットになっているトンネルを通りたい」と言い出した時はどうなる事かと思いましたが、かえってそれがきっかけで皆さんが正気に返ったのは、良かった……のでしょうか。まぁ、結果オーライという事にしておきましょう。


「御厨さん、着きますよ」

「……んん……まだ……」

「起きてください、八神さん」

「うん、起きてる……」


 ……いえ、これは寝てますね。起きてくださーい。

 私たちが今向かっているのは「祈里の扉」の本部からほど近いペンション街にあるという保養所になります。先生の伝手でお借りできると聞いたので、そちらを対策本部的に使用しつつ、今回の作戦を決行する目論見なのです。遅くまでかかってしまった時の事を考えると、宿泊できる場所の確保があった方が良さそうという勧修寺先生の判断。運転して帰ることを考えるとちょうど良さそうです。


「颯くん、ひとつ聞いても良いですか?」

「……何だ」

「さっき、休憩の時に護符を書いていませんでしたか?」


 立ち寄ったインターチェンジで、八神さんと颯くんがテーブルを囲んで何かしているのが少し見えました。あれは先生の言っていた手書きの札だったのでは。


「ちっと、な」

「……秘密兵器ですか?」

「なわけねーだろ。護符だって万能じゃねぇ。ほら、もう着くぞ」


 話を打ち切られてしまいました。車は林道に入り、洒落た外装の建物がポツポツと見えてきます。緑が深く、すっかり夏の景色です。


 さて、助手席から降りた先生が保養所の管理人室にご挨拶に行っている間、私たちは今回の作戦について最終確認をしておきます。

 まず、御厨さんと八神さんは周辺の住民の方たちに聞き込みをする事になりました。


「リーディング能力が役に立つからね」

「あら、あどけない美少女が聞くから捗るのよ? 少なくとも烏丸颯には真似できないわね」


 えーと。ちょっとムスッとした颯くんはともかく。

 御厨さんと八神さんはこれまでにも「ホームステイに来た外国人の少女とホストファミリーの青年」という設定で聞き込みをすることが多かったそうです。そう言われるとそうとしか見えませんし、地元の人たちが親切に案内してくださるのも分かる話です。

 先生と颯くん、そして私の三人は、とりあえずの観光客を装いつつ、教団施設周辺の調査に行くことになります。丘や扉が実在するのか、しているとしたらどの部分を祓うのが効果的なのかを早めに見極めておこうという心積りです。関係各所との調整を終えて胡桃沢さんが合流するのは昼過ぎの予定となっています。それまでに少しでも調査を進めておきたい所です。


「地形図によれば、ペンション街を抜けた少し先に教団施設があるみたいだ。施設の裏手の等高線が楕円形なのが、僕は気になるなぁ」

「それって丘でしょうか?」

「どうだろう。まさかと思うけど古墳だったりするのかなぁ?」


 地図を覗き込んで矯めつ眇めつしている先生はいつもの事ですが、御厨さんの目には怪しげなものとして映るようです。


「住民に通報されないかしら? 気をつけてね、勧修寺さん」


 揶揄うような御厨さんの言葉に、いつものアルカイックスマイルを浮かべたままの先生が何やら革のケースを取り出しました。そこから引っ張り出した小さな紙はおふだなどではなくて。


「あんまり出したくは無いんだけど、僕にも霊験あらたかなアイテムがいくつかあるんだよね。コレはその内のひとつ」


 少しもったいつけながら見せて下さったのはクリーム色の名刺でした。エンボス加工で描かれたロゴには見覚えがあります。そう感じながら目にした名刺の内容に私たちは数秒間固まった後、一斉に仰け反りました。


「帝都大学大学院、史学科考古民俗学、客員教授、勧修寺 双樹!?」

「ええーーーッ!!」


 想定以上のリアクションだったのでしょうか。先生は少々居心地悪そうに「大したことじゃないよ」と肩をすくめました。以前からどうして「先生」なのかなとは思っていましたが、なんとなくそんな風貌だから発生した物かと勝手に納得していました。どうりて、様々な場面で融通が利くわけです。


「そんな御大層な肩書きあったのかよ! つーか、そんならあのボロい幽霊アパートから引っ越せって」

「うーん、そうだねぇ。そろそろ新しい事故物件に移ってもいい頃合いかなぁ」


 あの……ちょっと突っ込みが追いつきません。

 とにかく手分けして情報収集にあたることにして、私たちはそれぞれ宿泊施設を後にしました。


 *


 保養所の玄関から歩いてすぐに雑木林が途切れます。ジージーと鳴り続ける蝉の声が遠ざかると同時に右手に田園風景が広がりました。所々に案山子が立ち、人影はなく、小鳥のさえずりと田に水を引くための水路の音が聞こえてきます。思わず目的を忘れてしまうような、とても長閑な景色です。


「ここら一帯も教団の土地らしいね」

「広いですねぇ。これなら、自給自足や農産物の販売をするのには困らないでしょうね」


 安達ヶ原御門会は設立当初、少しスピリチュアルな色味を含むものの、代表者の「光芒」を中心として活動するごく普通の農業団体でした。時折りその思想の啓蒙活動がてら里で野菜や加工品を販売し、例えば今でこそ社会問題として取り上げられることの多いネグレクトされた子供や、DVに遭い逃げ場を求める母子の受け入れを行うなど、温厚な団体だったようです。そしてあの人質監禁事件と代替わりを境に、その毛色が少しずつ変化していきます。


「この広大な土地は信者の寄進した財産を元手に買い集められたものだ」

「普通に明るい農村続けてりゃ良かったものを。欲をかくから変なのが出てくんだよ」


 傾斜の緩い坂道を下って行くと、左手に板塀が現れ始めました。板塀の一部から流れ出る水路は、どうやら敷地の中を通って右手の灌漑用水に合流しているようです。丘からの流れなのでしょうか。

 遠目からでもわかる大きさの瓦屋根のお屋敷と、蔵。きれいに手入れされた樹木などが並んでいる様子は一般的な住宅に比べたらかなりの広さにはなりますが、それだけに、何かの資料館と勘違いしてしまうこともあるかも知れません。

 板塀に沿って歩くうち小さな屋根付きの門が見えてきました。観音開きの門は大きく扉が開かれたままで、地面にそれ用のレールが埋め込まれていることから、きっと夜間には閉ざされるのだと想像がつきます。


「寺院の出入り口に似ていますね」


 少しだけ中を覗いてみますが特に人影もなく、静かな空間が広がるばかりです。信者の方達は今はどちらにいらっしゃるのでしょうか。どなたか施設の方でもいらしたらお話を伺いたいところなのですが。


「虎穴に入らずんば虎子を得ずなんだよねえ」


 小声で言うが早いか、先生は被っていた麦わら帽子をひょいと放りました。風にのった帽子はくるくると回転しながら放物線を描き、敷地の中にふわりと着地します。


「……何やってんだ」

「あぁ、困った。あれは民俗博物館のお土産物売り場で買った大事な麦わら帽子なんだよねぇ」


 いやいや、申し訳ない。芝居がかった素振りでそんな事を呟きながら歩き出す先生ですが、思わず顔を見合わせた颯くんと私は、その背中に続かないという選択は無いのです。すみません、お邪魔しますと胸の中で唱えながら、敷地に足を踏み入れました。

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