4-3
お昼ご飯を済ませた私たちは、とりあえず勧修寺先生があの音源に触れてしまう前に、一時的にでも部屋のネットワークをどうにかするか、もしくは先生を他の案件に関わらせたほうが良いだろうと結論付けながら事務室へと向かいました。たしか、午前中は胡桃沢さんと同様に法務省へ出向いていたはずですから、帰って来る前に何かの仕掛けを施せたら理想的なのですが……。
前を歩いていた颯くんの足が、はたと止まりました。
「……何か、聴こえねぇ?」
その言葉に耳を澄ませれば、かすかに何かの物音が。物音と呼ぶには少々リズミカルかも。えーと。
「嫌な予感がします」
どうか予感が外れていますようにという願いも虚しく、事務室にはどこから持ち込んだのか大きなスピーカーと、その前で耳をそば立てている先生の姿があったのでした。
「やぁ二人とも!」
「やぁじゃねぇ」
「どこから持って来たんですか、これ」
延々とリピートされる例の音楽は割と大きめのボリュームです。これではいつ他の部署から苦情が来てもおかしくありません。
とりあえずボリュームだけでも下げませんか、と提案する前に音がふつりと消えました。見れば、引っこ抜いたコンセントを手に、颯くんが立っています。
「おい、どこで手に入れて来やがった?」
「あ、このコンポのこと? 凄いよねぇ、音質がとても良いんだよ。これの入手先なら農林水産省の部屋だよ? 借りてきたんだ。ほら、環境音楽とか試験放送とかの視聴っていうのかな? ああいうのがあるらしいんだよね!」
「……そっちじゃねぇ。この曲、どっから嗅ぎつけたかって訊いてんだよ」
「……それ訊いちゃう?」
ガンッ!
派手な音がして先生が椅子ごと垂直に跳ねました。……偶に先生だけに発露されるこの凶暴さ、何とかならないでしょうか。そもそも先生の方も分かっている癖にわざとおちょくる様な発言をしているふうに思えますし。
不意に、いつの間にか入室していた胡桃沢さんが私の隣に立ちました。ぽん、と肩に手を置いて何度か頷いて見せます。
「案ずるな、これでコミュニケーションの一環だから」
「そう、でしょうか……」
「猫が戯れてるとでも思っといたらいいさ」
確かに勧修寺先生は笑顔を浮かべたままですが。これがコミュニケーションだとしたら、私には理解出来そうもありません。猫ですかぁ、と呟くしかないのでした。
*
さて、お借りしていたコンポを返却後、胡桃沢さんが広げた資料を覗き込んだ私たちはため息を吐くことになりました。例の音源が予想以上の広まり方をしていたからです。いわゆるSNSによる「拡散」という状態で、タグが付けられ、多くの人に共有されています。
「ありゃ、これは凄い勢いだね」
「ご丁寧に纏めてある」
胡桃沢さんの指さす投稿では、曲が聴こえたか聴こえないか、また聴こえたとしたらどちらの曲か、最後の何かを喋る声についても言及されています。完全に怪奇現象的だとする意見と巧妙に仕組まれた人工の怪異であるとする意見が衝突し、ちょっとした騒ぎに発展しているようでした。
中でも気になるのはあの喋り声についての記載です。聴こえた、聴こえないから始まり、何と言っているか、その単語は何を意味するのかなど、幅広く意見が出ているようです。
「笑い声とか、川とか、そんな言葉の聴こえた人が多いようだね」
「颯くんは何て聴こえましたか?」
「なんかハッキリしねぇけど、川の近くとかふちとか、なんとかの扉とか」
私にも聴こえていました。水の中にいるかのような泡の立ちのぼる音、はしゃいだ笑い声、それから節のついた子供の声で「扉が開く」に繋がる呪文にも似た文章でした。
「地名っぽいと思ったが……何とかの部分は『まいないづか』って聴こえたような」
「まいまい?」
「まじない、とか?」
「そしたら私が聴こえたのと、こちらに纏めてある意見を合わせて考えて見ると、つまりは……『川の近く、淵を臨む、まじない塚の扉がひらく』かと」
ふぅん、と腕組みした勧修寺先生が立ち上がってホワイトボードに向かいました。黒いペンを手に取ると、すらすらと内容を纏めていきます。
「一般的に考えて『扉がひらく』から想起される事象と言ったら、例えば地獄の釜の蓋とか天国の門とかそういった別世界の境界を示すことが多いよね。あとは天岩戸。あれは中のものを外に出そうとする話だけど。それに、淵と川を越えるので有名な話としては安達ヶ原の鬼婆の伝承かなぁ」
「鬼婆?」
「そう、山姥とも言うね。あ、そうか。そう言えば山姥にも掠ってるかなぁ。『三枚のお札』って昔話、知らないかな。あれにも山や川なんかが出て来るよね。扉もあると言えばあるし」
安達ヶ原伝説はあまり詳しくないのですが、確か、鬼婆に追いかけられているお坊さんが、お札を行使して逃げ回り、最終的には観音様が助けてくれるものでした。
三枚のお札のお話なら、子供の頃に祖母に読んで貰った覚えがあります。お寺の小僧さんが夕暮れの山で迷子になり、泊めて貰った家のお婆さんが実は山姥で、和尚さんに貰っていた三枚のお札を駆使して山姥から逃げ出す冒険譚でした。
そのお話を聞いてからしばらくの間、お札を持たない自分が万が一山姥に遭遇してしまったらどうしようかと、悩んだ思い出が蘇ります。
あの時、祖母が何かおまじないを教えてくれた気がするのですが、何だったでしょうか。少し考えてみましたが上手く思い出せません。
「うーん、『まじない塚』もしくは『呪い塚』だとそれっぽいのはヒットしないなぁ。『まいまい塚』だと中国地方の古墳だね。地名は独特の当て字をすることがあるからなぁ」
パソコンの前でパタパタとキーボードを叩いていた先生が唸って、それに倣うように私たちもまた、それぞれが思案顔を浮かべました。
「地名で言うんなら『呪い』なんて使わんよな。もっと縁起の良い漢字を当てはめるだろ」
「あぁ、確かに!」
胡桃沢さんの指摘を受けて再びキーボードを打ち直した先生がモニタを睨み始めます。
「それにしても……なんでこんなに可愛らしい曲に、こんな不吉なものが込められているのでしょうか」
「うーん、甘辛ミックスってことかなぁ?」
うわ、と顔を顰めた颯くんがボソリと「サイテー」と感想をこぼし、確かにあんまり素敵な趣味ではないなぁと思うのでした。
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