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 都庁の食堂でお昼ご飯を食べて帰ろうかと思いましたが、思いのほか混雑しているそうなのと、少し気になる話を小耳に挟みましたので、とりあえず戻ることにしました。勧修寺先生辺りが喜びそうなネタにはなるのですが……出来れば、先生がその情報に遭遇する前に、摘み取ってしまいたい気持ちがあります。

 丸の内線霞ヶ関駅からいつもの出口に向かう時、少しだけ勇気がいりました。持ち帰った案件を相談する相手はもちろん颯くんです。今朝は事務所からバタバタと出てきてしまったので、実はまだほとんど、会話らしい会話をしていません。

 颯くんとどんな顔をして会えば良いのか、それに、私から何かリアクションが必要になるのか、そもそも回答を求められるような話をした訳でもなくて、だから逆に何も要らないような……いえ、あんな事があって何も要らないって事もないと思うのですが。

 ぐるぐると考えれば考えるほど何が正解なのか分からなくなり、こういった件の経験値の無さが恨めしい所です。

 階段を上がる時、明るい午後の陽射しがこちらを照らすのを感じました。一段、また一段と上るにつれ眩しさの中に入り込んで行きながら、それでも、私はこの場所が好きなのだと感じます。

 梅小路の家を出られると分かった時、家の決めた結婚相手に嫁がなくても良いと分かった時、東京の空の下で自分の力で生きて行けるのだと分かった時、不安よりも幸せだと感じる気持ちの方が間違いなく大きかったのですから。


「しっかりしなければ」


 気合を入れて、残りの階段を駆け上がりました。眩しさに目が慣れて、それから、私の視界に飛び込んできたのは、先程まで思い描いていた相手です。


「は、颯くん!」

「……お疲れ」


 自転車に跨ったまま、片足をついて、驚いた顔でこちらを見ています。方向的にはどうやら事務所に戻るところです。


「昼飯、何か買ったか?」

「……いえ、特には」

「ならちょうど良かった」


 ふわりと微笑んだ颯くんが自転車の前カゴを指しました。そこには、以前に食べたことのあるパン屋さんの包みが乗っています。


「食うだろ?」

「……え、と?」

「いらねぇか」

「いります!」


 慌てて肯定してから、そう言えばちょうど良かったと思い立ちます。できれば先生のいない落ち着いた所で、先に話しておきたいと思っていたのです。


「そしたら、公園で食べませんか? 少しお話したい事があるんです」


 キョトンと目を丸くした颯くんは、心なしか決まり悪そうに視線を逸らしてから、「いいけど」と続けました。



 *



 お昼のピークから少しズレた時間だったせいか、池に面した東屋の辺りには人影もなく、私達は並んで腰掛けると、さっそくパンを広げました。どれも美味しそうで目移りしますが、色合いの綺麗なバゲットサンドに惹かれて手を伸ばしました。


「それで、先程入手した情報なんですが」

「…………情報」

「はい。近ごろ、二十年ほど前にリリースされた曲が、ヒットチャートのランキングに突然現れたそうなんです。それが曰く付きの曲なのだそうですが、幽霊の声が聴こえる、と」

「幽霊の、声?」


 TSCのお二人がお茶がてら最近取りかかっている新しい案件について共有して下さり、調べてみると案外と範囲が広いので、恐らく今後のどこかのタイミングで合同調査になるのではないかというお話でした。

 その曲は、先程話した通りのかなり昔にリリースされたもので、小規模にヒットしてからだいたい二か月もしないうちにチャートからは姿を消しました。それが何故いまになって再ヒットしているのかと言えば、その曲にまつわるおかしな噂が原因でした。


「曲は女性ボーカルが歌う終始ポップな曲調です。リリース当初からクレジットにボーカル女性の名前が書かれていなくて、謎の歌い手として話題になっていたそうです。しかもその歌手の方はこの一曲だけで続いてのリリースもなく、謎のままチャートを去りました」

「それが何で今になって出てきたんだ?」

「はい、ここからが私たちの案件になるのですが……」


 私は少し考えてから鞄からイヤフォンを取り出すとスマホに繋ぎ、片方を颯くんに差し出しました。説明するよりも、直接音源を聴いて頂いた方が早い気がします。

 ワイヤレスイヤフォンにしてたら良かったのかも知れませんが、落としてしまいそうでいまだにコードの付いたものを選んでしまいます。ともかく、颯くんがイヤフォンを耳に付けたのを確認すると、曲を流し始めました。

 囁くような女性の声で始まった曲は、追いついてきたリズムに乗り、小気味良く歌詞を歌い上げていきます。かなりの早口ですが不思議と心地が良く、グルーヴィーと表現すれば良いのでしょうか。何も知らなければ単なる「良い曲」で済む話なのですが。


「……何だ、これ」


 曲の終わりにかけて、フェードインしてくる音源。それが今回、この曲を怪異たらしめている所以です。


「何に聴こえましたか?」

「たぶん、童謡。かごめかごめ、か? あと最後、」

「はい。何か、言ってますよね」

「……水の中で、喋ってる?」


 颯くんはスマホに手を伸ばして曲の最後辺りをもう一度流しました。それまでの爽やかな曲に段々と違う曲が混ざり合ってきて、最終的には子供達が歌うかごめかごめだけになります。更にはぶくぶくと水のなかに沈めたような効果があって、誰かが、その中で無理に言葉を発しているように聴こえます。


「これ、聴く人によって途中でフェードインしてくる曲が異なるらしくて。今のところ二パターンあります。それを面白がった方々のダウンロードが増えて、結果としてランクインしてしまったようです」

「違う曲?」

「いずれも童謡で、『かごめかごめ』が聴こえる人もいれば『通りゃんせ』の人もいて、最後の水中のような効果と声は聴こえる人と聴こえない人がいるらしいです」

「それで幽霊の声、か」


 んんん、と唸りながら考えていた颯くんが「前に資料でこんなのあったような……」と言いながらふと顔を上げました。パチリ。目線がぶつかります。至近距離です。反射的に飛び退こうとすればイヤフォンのコードが張り、お互いに動きを止めました。えーと。


「こないだは悪かった」


 先に口を開いたのは颯くんでした。伏せた目。こうして見ると意外とまつ毛が長いように見えます。


「いえ……私こそ、沢山ご心配をおかけしました」


 あぁ、なんだか、途端に忘れていた暑さが戻って来るようです。こんな時、どんな言葉を重ねたら正解なのかは、やっぱりいくら考えてみても答えは出ません。そうなったらもう正直な気持ちを打ち明けるくらいしか、私には手がないのです。


「私、颯くんのことは尊敬してますし、大変感謝もしてますし、その……す、……す……」


 ——好きなんでしょ?


 アリスの声が耳を掠めました。今それを口に出してしまうと本当にどうしたら良いかわからないんですよ、アリス。目をギュッと瞑ってかぶりを振って、それからなんとか言葉を続けます。


「す、凄い方だなぁって思っていますけれどっ。でも。あの……この件は良ければもう少しだけ、待って欲しいんです」


 新しい環境に来てそろそろ一年経ちますが、例えば仕事に対して、自分が安定して成果をあげられるようになったとは思えません。まだまだ悩んでばかりです。そこへ恋愛も、なんて事になったら……たちまち混乱するのは目に見えています。と言うか、むしろ今もしっかり混乱しています。


「それでは駄目、でしょうか?」


 虫のいい話とは思いますが、颯くんがここで私を放り出す人にはどうしても思えません。ただ、この先何があるかは、わからないのですが。


「……アンタほんっと……人たらしっつーか……」


 絞り出すような声で唸った颯くんの口元が下唇を噛んでいるのが見えました。これは……怒って……ます? でも違うような気もしますが。


「わかった。待てる。つーか、八神のヤツとかいて、ちっと焦った。悪かった」


 構えていたよりも明るい声がして目を向ければ、投げやりとも取れる言葉とは裏腹に、柔らかな表情をした颯くんがいました。どうやら気持ちが通じたみたいです。アリスが「やれやれ」と首を振る感触がしました。

 ホッとして、ついでにもう一つ気に掛かっていたことを思い出します。


「あと、『昔から』って何でしょうか。私たち、以前にお会いした事があるってことですか?」

「それ、保留」

「……え?」

「お返し」


 ペロ、と舌を出して悪戯っぽい笑みを浮かべました。ちょっと颯くん。そこは教えてくれても良いじゃないですか。


「あと俺、いい加減な気持ちとか、そういうんじゃねぇから」

「わ、わかってますよ」

「ならいーけど」


 食事の後片付けを手早く済ませた颯くんがついでみたいに付け足して、私はまたしても頬に熱が集まるのを感じながら、鞄を持つ手に力を込めるのでした。

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