3-6

 ワッと歓声の上がった人だかりの中から、店内の視線を独り占めした胡桃沢さんがまたしても余裕の笑みで引き上げて来ます。終業後、私達は皆んなで胡桃沢さん行きつけの居酒屋さんに食事に来ています。


「梅小路はそれ、何飲んでるんだ?」

「こちらは梅酒サワーだそうです」

「また渋いものを。お、颯少年、肉も食えよ」

「食ってる」

「双樹は?」

「僕は銀杏さえあれば良いからねぇ」

「タンパク質を摂れ」


 絡み酒気味になっていた胡桃沢さんにカウンターから声がかかって、先程の戦利品の青紫蘇つくねが振舞われています。

 先日は三人で来たお店ですが、今日は颯くんも一緒です。その颯くんは先程からずっと胡桃沢さんの名前の書いてあるボトルの中身を飲み続けているのですが、これは大丈夫なのでしょうか。彼のお酒の許容量を私は知りません。


「それにしてもお手柄だったよねぇ」

「いえ、あれは、偶然と言いますか……。事前に調伏の仕組みや手順について調べていたのが功を奏したことになりますよね」


 悔い改めるよう説得をする「説法」、それによりアリスがこちら側についてもいいかなと思ってくれた「改心」、双方の契約となるまず初めの「使役」は「窓を開けてください」で、アリスはそれを了承してくれました。


「でも、結局はお二人のお力添えもありましたから」

「僕はね、頼りにしてるよ、梅小路さん」


 勧修寺先生がにこにこしながら烏龍茶の入ったグラスを傾けています。眩しいような気持になりながら、ひとまずお礼を口にします。

 あの後、すぐに胡桃沢さんから連絡が入り、依頼のあった対象者たちの意識が一斉に回復したと聞きました。それで対象者の方々がアリスの影響下から無事に抜け出たのだと知り、私はアリスとの出逢いから調伏までの一部始終を順を追って説明する事になりました。

 と同時に、私がアリスと対峙していた頃、先生と颯くんのお二人がどういった手段で私を救出して下さったのかも聞く事になります。


 まず、私が隣の部屋に引き込まれてすぐ、お二人はその扉を開けようと駆け寄りましたがそれは叶いませんでした。何しろ、わりと頑丈な結界がそのドアを覆うように張られていた為です。

 残念な事にその結界は、私が張ったものでした……張ったと言うか、張ってしまったと言うか。そう、二階に上がる途中で手渡されたTSCの結界カプセル。私は言われるまで気がつきませんでしたが、ドアの内側へ引き込まれた拍子にあれを手の中から落とした事により、結界が発動してしまったのです。

 さて、困った事になりました。

 結界を解除できるのは術を展開した本人か、その結界の効力が時間経過と共に弱まるのを待つのみ。こじ開ける事も出来なくは無いそうですが……あまり聞いたことはありません。


「それで、梅小路さんが自分で出てくるのを待つか、中庭の窓から入るかって話になってね」

「中庭の窓も高さがありましたから、危険なのでは」

「そう。ハシゴを探して持ってくるかしないと無理だねって。そこで颯くんがね」


 先生は視線を颯くんに向けましたが颯くんは我関せずの顔をして丼を傾けています。いつの間にご飯ものに移行したのでしょうか。


「梅小路さんにも見せたかったなぁ! 最近習得した手書き札の登場を!」

「手書き、ですか?」

「そう! 術式を込めた札をね、その場でササッと!」

「……あれがササッとなもんかよ」


 丼を空にした颯くんが顰め面をこちらに向けました。そうは仰いますが。


「でも、かなり短時間で助けに来て下さいましたよね?」

「そりゃあもう! 必死だったからねぇ〜!」

「……うぜぇ」


 空いたグラスに新しくお酒を注ごうとした颯くんの手を、横から伸びて来た胡桃沢さんの手が、パシッと小気味良い音を立てて掴みました。そのまま、カウンターの内側に向かって声をあげます。


「すみませーん、こっちに温かいお茶」


 チッ、っと舌打ちが聞こえて、そのままの勢いで椅子の背に体重を預けた颯くんが、再びこちらに向き直ります。これは、暇をしているポーズです。今ならもう少し詳しいお話しが聞けそうです。


「どんな術式をこめたのでしょうか。貫通ですか?」

「それも考えたが、結界の角度が良くなかった。そんで、結局一枚ずつ剥いでやる感じで」


 通常、私達が結界を張る時は、例えて言うならお札サイズのタイルのような物を縦横に張り巡らせて対象を覆うイメージで展開していきます。しかし、「貫通」ではなく「剥ぐ」という表現が出て来たということは。


「……それって、結界が何重かに展開されてた、ということでしょうか」


 それ、と見えない何かを指差す手つきで颯くんが肯定を示します。


「カプセルの中に封じ込められてた結界が、きちんと広がらない状態で発動してた」

「では、覆うというよりも」

「単純に邪魔してただけだな」


 なるほど。想像するに、漁業なんかで使用する投網が、きれいに広がらないまま投げられたような状態でしょうか。だとしたら、折り畳まれて何重にも重なったままということになりますので、「貫通」よりは「剥がす」で行った方がスムーズに攻略出来そうです……あれ?


「それって、札が何枚も必要になったのでは」

「まぁな」

「え、何枚くらい用意したのでしょうか」

「いや、書いて貼って、書いて貼ってく感じ」

「そ、そんな風に?」


 それ、ぜひ生で拝見したいのですが……そう尋ねようとして、ふと、自分に向けられてる視線に気がつきます。いつの間にか勧修寺先生と胡桃沢さんが、似たような表情を浮かべているのです。何と言うか、にこやかな、例えば子犬か子猫でも眺めているような。


「……いいねぇ、微笑ましいねぇ」

「……良かったな、颯少年」


 どうやらすっかり酒の肴にされてしまっていたようです。

 くしゃくしゃと面倒そうに髪をかき回した颯くんが、いつものように顔を顰めて「うっざ」と溢したのを合図に、食事の時間はお開きとなりました。


 *


 事務所に忘れ物をしたという勧修寺先生と、これから次の約束があるという胡桃沢さんと別れ、私と颯くんは駅までの道をぶらぶらと歩いていました。酔いを覚ますつもりで、いつもの最寄り駅ではなく少し遠回りして隣駅から帰ろうとしたら、颯くんも一緒に着いてくることになったのです。

 アルコールの入った身体で吸う外気は、ちょっとだけ瑞々しく感じます。独特の熱を帯びた状態が通り抜けていく風に冷やされていくようで、心地が良く、お酒を好む人の気持ちがわかるような気がしました。


「良い夜ですねぇ」


 一時はどうなる事かと思いましたが、結果として課題になっていた調伏も成功して、何だかとても良い気分です。スキップしそうになるふわふわした足取りで石畳を踏みます。


「足元」


 後ろから怠そうな足取りで着いてきた颯くんが言って、「大丈夫ですよ」と言いながら振り返った私はさっそく石畳から足を踏み外して軽く体勢を崩すことになります。すかさず手首を掴んだ颯くんのおかげで転ぶことは免れましたが。それにしても。


「い、今のは颯くんのせいですからね?」

「うるせぇ、酔っ払いが」


 そんなに酔ってません。そう言い返そうとした私は、思いのほかすぐ側に立っていた颯くんの姿に驚いて言葉を飲み込みました。


「……アンタは俺の傍に居りゃいいんだよ」

「えっと。颯くん、結構酔ってます?」

「酔ってねぇし」


 ぐ、と肩を引かれたと思った次の瞬間、身体が包まれました。塞がれる視界。背中に回された温かな腕。自分が颯くんの腕の中に居るのだと気がついて、頬に一気に熱が集まります。


「あの、あのっ、」

「やっぱ離さねぇ」

「いえ、あの、は、颯くん」

「あっちに行く方が幸せかと思ったけど、無理」


 文脈からしてTSCへの移籍のお話をしているのかとは思いますが、思いますが……あの、公衆の面前です。そう言おうとしましたが言葉になりませんでした。首筋に颯くんの吐息がかかって、もう、頭の中がショートして何も出てきません。熱い、ともう一度思います。


「アンタは……翠子は昔っから全っ然変わってねぇし、けど強くなるって言うのも嘘じゃねぇし、でも危なっかしくて目が離せねぇから、チョロチョロして欲しくねぇけど……だから俺の、傍に……」


 ふと、頭の焦点とでも言うべき場所がカチリと合わさって、耳が遅れて言葉を拾います。


「……昔からって、どういう事ですか?」


 思わず口を挟むと颯くんの体がピクリと揺れました。腕の力が緩まってから、今まで随分と強い力で抱きしめられていたのだと気付きます。ホッとしたのも束の間、今度は唇に熱が触れました。


「……悪ぃ」


 何を。そう尋ねる暇もなく歩き出した颯くんの背中がゆるゆると遠ざかって行き、私が追いつくのを待つように立ち止まりました。私はその場に崩れ落ちそうになりながら、でも歩き出すことも上手く出来なくて、しばらく立ち尽くしたまま、颯くんの強くて凪いだ黒色の瞳を思い出していました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る