3-4

 気がつけば、私は椅子に腰掛けていました。テーブルにはレース編みのテーブルクロス。カップにはなみなみと紅茶が注がれ、香り高い湯気があがっています。

 銀製のケーキスタンドは三段重ねで、下から順にスコーンとサンドウィッチ、フルーツのたっぷり乗ったタルトやプチケーキ、一番上には艶のあるチョコレートが、とても美味しそうに並んでいます。お隣に並んでいるハートのマークで品良く装飾された小さな器の中身は何でしょうか。もしかして砂糖壺かしら。それともジャム。

 テーブルには窓を通して明るい陽射しが差し込み、少し開けられた隙間から、薔薇の蔓が可愛らしいお花と一緒に顔を覗かせています。

 足許の絨毯はふかふかとしていて、部屋の温度は暑くもなく寒くもない。薔薇と紅茶の香りが辺りを平穏に満たしています。

 なんて心地の良い空間でしょうか。

 そう言えば、少し前にこんな場所に来たことがありましたっけ。あれは確か……。

 無意識のうちにティーカップを手に取りそうになって、次の瞬間、向かいの椅子に誰かが腰掛けていることに気がつきました。小柄な、と表現するだけでは表せないその姿は……。


「お人形?」


 声にした途端、人影はにっこりと微笑みました。逆光気味の視界の中でもそのお顔が微笑むのが、私には見えたのです。


「ようこそ、お茶の時間へ。甘い砂糖菓子はお好き?」

「ありがとうございます、甘いものはだいたい好きです」

「うふふ、正直なのは良いことよ。どうぞ召し上がって」


 先程の小さな器の中身は砂糖菓子だったようです。私は勧められるままに手を伸ばし、その蓋を手に……取ろうとしてハッとしました。


「思い出しました、インペリアル・ラウンジです」

「あらあら、お茶よりもお喋りがしたいのね。いいわよ、聞かせてくれるかしら。そこへはどなたと?」

「颯くんです。先生からチケットを頂いて。胡桃沢さんをお誘いしても良いかと思ったんですが、でも、やっぱり颯くんと……」


 ふふ。お人形さんは楽しそうに笑みをこぼしました。まるで私の心の内を読んだように、確信めいて次の言葉を紡ぎます。


「好きなのね、その方のこと」

「す……いえ、あの、は、颯くんは私の上司にあたる方なので、日頃のお礼と言いますか、ゆっくりお茶をする時間を持ちたかったと言うか……その、」

「隠さなくて良いじゃない。好きなんでしょ、その方のこと。あなた、恋してるのよ」

「こ……」


 恋、とはっきりした単語を当て嵌められると何だか少し照れの方が大きいのですが。ここで照れてしまう時点で、これは恋と呼ぶのが間違っていないというか。


「好きなんでしょ?」

「す……き、だと思います」

「どんな所が好きなの?」


 どんな所か。難しい質問です。うーん、と思わず唸りながら、それでも一生懸命に考えます。


「まずとても強くて、優しくて、正確な技術をお持ちの所は尊敬しています」

「それで?」

「でも言葉遣いがあまり良くないですし、あ、態度も良くありません。依頼者の方にも敬語を使わなかったり、乱暴な所もあって先生の座ってる椅子を蹴ったり、それに猫背ですし、歩く時ポケットに手を入れてるし、舌打ちするし鼻で笑うし。……あ、でもご飯を食べる時にちゃんと手を合わせる所とか、ハンカチを持っている所とかはご実家できちんと躾けられたんだなーって思ったりしますし、周りの人の世話を焼きがちだったり、何だかんだでとても優しかったり、私が困っている時にはだいたい助けに来てくれますし、それからうーんと、」


 くすくす。向かいでお人形が声を心底可笑しそうに声を立てました。


「そっ、そんなに笑わなくても」

「だって。本当に好きなのね、その彼のことが」


 好きか嫌いかで訊かれたら間違いなく好きです。でもこれが恋かと訊かれたら、果たして素直に頷けるかどうか。


「恋よ」

「そうでしょうか」

「だってあなた、嫉妬したんでしょう?」


 嫉妬、したんでしょうか、やはり。


「胡桃沢さんと颯くんは、私と知り合う以前からずっと関わってきた仲間ですから。私なんかにはわからない絆があるのは当然です」

「でも羨ましい」

「それは……まぁ。羨ましくないと言えば、嘘になります」


 ティーカップの艶が少し翳ったように見えました。陽が傾いてきたのでしょうか。部屋も、心なしかさっきまでより薄暗く感じます。


「あなたの恋、叶えてあげる」


 お人形さんが声をひそめます。


「あなたの内緒の想いを聞かせてくれたお礼に、彼を、あなたの虜にしてあげる」


 ふわり。カーテンが揺れています。風と一緒に薔薇の枝葉もさわさわと鳴って、窓に映るその影を揺らめかせています。


「あなたの恋を叶えてあげる」

「あなたを彼の特別にしてあげる」

「あなたと彼を永遠に結んであげる」

「あなたの心をちょうだい」

「あなたの恋を、ちょうだい」


 颯くんを虜にして私の恋を永遠に叶える。


 心が、ぐらぐらと揺れています。もしそう出来たらそれは何て素敵なことでしょうか。永遠に、颯くんのあの黒くて凪いだ瞳が、私だけを映す。もしそうであればきっと、私は何の心配も不安もなく、ただ安心だけに包まれて穏やかに生きていけるのかも知れません。それは眩暈がするように幸せな……。ゆらりと身体が揺れて、その拍子に私のスカートのポケットから水琴鈴が転がり落ちました。


 シャン……


 音が、たったの一瞬だけ私の耳を打ちました。でも術が解けるにはそれだけでもう充分で、私の意識は瞬く間に覚醒していきます。

 薄暗く埃っぽい部屋にポツンと置かれた椅子、それが私の現在地です。素敵なお茶とお菓子の乗ったテーブルも、美しく薔薇が這う小窓も、ふかふかのカーペットも、全ては作り出された幻想。


「それは大変に魅力的なお話ですが」


 暗く覆われた窓辺に小さなテーブルが置かれています。その上に横たわる人形、どうやらこちらが、先程の私の会話の相手です。私は水琴鈴を拾い上げて、椅子から立ち上がってお人形の前に進みます。


「それよりも、今度はあなたのお話を聞かせて欲しいです。なぜ、あなたは此処にいるのでしょうか。そしてなぜ、こんな事をしているのでしょう」


 シャラァーー……ーン……

 シャリィィー……ーーン……


 水琴鈴の音が室内に響きます。

 ゆらり。

 お人形からゆるゆると細い糸のような流れが立ち昇り始めました。このお人形の纏っている念が、水琴鈴の響きによって浮かび上がってきたのです。細く穏やかな流れは次第にその数を増やし、波となって空間にふわふわと浮かび上がります。

 今の私にできるのはここまで。颯くんは難なくやってのけますが、あのような祝詞を唱えて祓うことは実はとても難しいのです。

 でも、この状態ならこちらのお人形さんと対話をする事くらいは出来そうです。


「さぁ、聞かせてください。あなたのことを、話して欲しいんです」



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