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 昼日中の訪問なのであまり心配はしていなかったのですが、季節が初夏だということが裏目に出たようです。目的の洋館である「乙女さんの占い屋敷」はその正式名称を「旧藤代邸」と言いますが、二階建ての建物のおおよそ半分以上を見事なまでに青々とした蔦が覆っているのでした。

 懐中電灯、果たして持ってきていたでしょうか。鞄の中身に思いを馳せます。


「それにしても、人の手が入らないと植物もこんな無尽蔵に伸びてしまうのですね

「これは凄い。庭もジャングルみたいだ。足元に気を付けないとね!」


 門柱に手をつきながら、先生が相変わらずワクワクした声を出します。

 お庭の植物たちもモザイクタイルの敷石を覆い隠すほどに茂っていますが、どうやらトランプの柄を模したデザインをしています。かつては可愛らしい姿で出迎えていたはずの兎の像も青黒く変色し、まるで訪れる者を拒んでいるかのよう。

 慎重に足を踏み出そうとした時、足下にある敷石がぐらりと揺れました。


「ひゃっ」


 思わず声をあげた刹那、すかさず手首を掴まれました。すぐ前を歩いていた颯くんが振り返って支えてくれたおかげで、転倒を免れたようです。これまでとは違うリズムで心臓が跳ねるのが分かりました。


「あ、りがとう、ございます」

「気ぃつけろ」


 さっきまでの不穏な空気感が消えてもなお、颯くんは不機嫌のままです。通常運転が不機嫌そうに見えるせいなのですが、でもそれが不思議と落ち着くようになったのは、本当に怒ったりしている訳ではないと知っているから。

 それでは私はさっき、どうしてあんなにカチンときてしまったのでしょう。

 恐らく……理解して欲しいと思っている相手に、もしくは、理解して貰っているような気になっていた相手に、本意ではないことを言われたからです。

 確かに八神さんに対しては「癒される」とか「こんな風に何事にもスマートに対処できたら」など、憧れの念を持ってはいます。落ち着いた物腰も素敵だとは思いましたし、外見も……数多く開けられたピアスには驚きましたが、大変お綺麗な方ではあります。

 でも。その事と先程の颯くんの発言のニュアンスにはズレがあります。そう、まるで恋愛感情を抱いているかのように揶揄われたのが、触ってほしくない撫で方をされた事が、きっと私には耐えられなかったのです。

 ……ギギィ。

 油の足りていない蝶番を軋ませながら旧藤代邸の玄関扉が開きました。広い空間の天井付近には埃を被ったシャンデリア。備え付けの棚の上には凝った装飾の燭台がそのまま残されており、ヘリンボーン模様に組み込まれた木の床は中央付近だけに人の通った形跡が認められます。


「おじゃましまーす!」

「おい先生、必要以上にでけぇ声出すな」


 いつもの如くお二人が先陣を切って屋敷の中へと上がって行き、私はその後ろから慎重に続きます。

 公園でお会いした二人の女子生徒によれば、「乙女さん」による「占い」が受けられるのは二階のお部屋です。

 玄関からしばらく進むと左手に二階へと続く階段が、大きく緩やかな曲線を描きながら伸びています。真紅のカーペットが敷かれた階段の向こうは大きな窓。そこには色とりどりのステンドグラスが嵌められており、きっと美しい光でこのフロアを満たしていたのでしょうが……今は外観を覆う蔦の葉が蓋をして、僅かに光線が漏れるのみ。


「中央部分だけ埃が踏み固められているね」

「一旦埃が積もる時間が経過してから、誰かが行き来するようになった、ってことか」


 丁寧に検分しながら二階へと進むお二人ですが、私には少し気になる事が出てきました。気のせいでなければ、なのですが。


「あのー、颯くん」

「ぁあ?」

「誰かに、見られている感じがしませんか?」


 ん、と首を傾げた颯くんが階段を上りかけた姿勢のまま足を止めます。が、探るように視線を動かしたあと、「いや」と首を横に振りました。


「俺にはわかんねぇ」

「そうですか……さっきからこう、チリチリするんですけど……視線じゃないでしょうか」


 私も首を傾げながら再び階段を上り始めます。

 先頭を歩く先生はともかく、颯くんに感じられなくて私に分かるという事は、波長のようなものが合ってしまっているのかも知れません。あるいは、何かの条件に該当している、とか。


「あ、そうか」


 ふと、勧修寺先生が振り返りました。


「この『乙女さんの占い屋敷』は女性に限定された怪異だったよね。だから、僕や颯くんよりも梅小路さんが怪異に遭遇する確率は高い!」

「なるほど。言われてみればそうでした」

「……なら、アンタこれ持っとけ」


 少し考えるポーズをしたのち颯くんが手渡してくれたのは、見たことのある四角いキューブ状のものです。角が丸くてメタリックな感触の、えーと、これは何でしたっけ。


「ナイスアイデアだね、颯くん!」

「……あ、TSCのカプセル型の結界」


 思ったよりも軽くて、呪物などの特有の気配も感じられません。知らなければ玩具にしか見えませんが、この中に術式が封じられているんですね。


「鈴、持ってるな?」

「あります!」


 颯くんが祓いに使用する水琴鈴と同じものが、私の持ち物の中にも入れてあります。念の為、すぐに取り出せるようポケットに移動させながら、私たちは屋敷の二階へと上がりました。



 廊下の窓には分厚いカーテンが下がっています。豪奢な刺繍が施された生地と言い、ひび割れていてもなお美しさが残る壁紙と言い、地位の高い方たちがお住まいだったようです。階段の手摺りに施された彫刻もとても見事で、これは綺麗にお掃除したらかなり素敵になりそうです。

 廊下に面した壁には幾つもの扉が並んでいるように見えます。占いのお部屋は何処なのでしょうか。


「直進だなぁ、これは」


 腰を屈めた先生が懐中電灯を翳して足跡を照らしながら歩いて行きます。「乙女さんの占い屋敷」に呼ばれた女子生徒たちのほかに、廃墟探索に訪れる方たちの足跡もあり、どうやらそれを見分けているようなのです。


 ……ポーン、ポロン。


 ピアノの音がしました。思わず颯くんを見ると、同じようにこちらを見る黒い瞳とぶつかりました。


「聴こえたか?」

「はい、ピアノです」

「えー、何かあったのかい?」


 颯くんと私に聴こえて先生に聴こえていないという事は、どうやら怪異です。たくさん並んだ扉をじっと見ます。これは中を確かめて見た方が良さそうです。

 私と颯くんは、いちばん手前の扉の前に進みました。颯くんがドアノブに手をかけてこちらを振り返ります。私は手の中に結界入りのカプセルを握ってから、こくりと頷きました。何かあったらすぐにこれを投げるつもりです……ぶっつけ本番なのは不安なところですが何もないよりは、そして自分ではまだ瞬発的に結界を張れないことを考えると、今はこれがベストでしょう。

 カチャリ、キィ。

 扉はあっけなく開き、遅れてやって来た勧修寺先生も加わった私たち三人は中を覗き込みます。大きめのテーブルと、椅子が六脚。壁には暖炉、その上の壁紙が不自然に白っぽく跡になっていることから、きっと絵画が掛かっていたのでしょう。かなり大きな絵です。


「ピアノは無いな」

「ティーサロンでしょうか」

「湯気の立つティーカップと茹で卵でも置いてあれば興味深かったのだけど……ねぇねぇ、メアリー・セレスト号の謎の話は聞いた事があるかい? 一八七二年のポルトガルで発見された豪華客船の話なんだけどね、無人の船内には争った形跡もなく、朝食の準備がされてたと言うんだよ。湯気の立つティーカップにトーストに卵、」


 語り続ける勧修寺先生の声をBGMに軽く部屋の中を点検しましたが、ピアノや、音が出そうなものは発見出来ませんでした。仕方なく、隣の部屋を覗いて見ることにします。

 先程と同様に颯くんがドアノブに手をかけ、私は結界入りのカプセルを構えます。

 カチャリ、キィ。

 アイコンタクトの後に扉を開くと、そこは多くの衣類が残された衣装部屋でした。所々に置いてあるトルソーや立ち姿のマネキンに一瞬ドキリとしたものの、全ては埃を被っています。


「人かと思いました……」

「粗大ゴミじゃねぇか」

「やぁ、これは凄い! ひとりでに動くマネキンの話は古今東西津々浦々あるんだけど、中でも僕がオススメなのはね、」


 喋り続ける先生はともかく、これはもしかすると廃墟マニアの方の仕掛けたイタズラなのかも知れません。もしそうであるならば、先程聴こえたピアノの音もイタズラの可能性が出て来ます。

 ……と、奥の扉のドアノブが僅かに動いたような気がしました。これもイタズラでしょうか。確かめてみましょう。私はそろり、そろりと歩いて扉に近づきます。


「……おい、どうした」

「えーと、いま……隣の部屋のノブが、動いて……」


 真鍮製のノブに私の手が触れようかというその瞬間、目の前の扉がひとりでに開き、何かを思う隙もなく、私の身体は扉の内側へと引き込まれてしまったのでした。

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