廃墟遊園地の怪

2-1

 街の一角に傘の列が続いています。色とりどりの傘は模様もそれぞれ個性的で、お花、魚、唐草模様にドット柄と様々です。あらためて注目してみると、梅雨の日々が少しだけ楽しくなりそう、というような事を思いながら列の最後尾に加わりました。列の先頭は飴色に染まったのれんの下まで続いています。

 ここは行列のできる老舗のたい焼き屋さん。明日の浄化室でのお茶うけにするべく、最近お気に入りの美味しいたい焼きを求めて並んでいるのです。

 わくわくと待つこと十数分。いつの間にか私の後ろにも行列の続きが出来ていますが、そろそろ順番が回ってきたようです。こちらのお店のたい焼きは、定番の粒あんとこしあん、チーズとクリームのほかに、季節ごとに期間限定のフレーバーが出ることで有名です。


「粒あん一つと、チーズ一つ、それと限定のずんだ餡を二つお願いします」

「はーい、ずんだはこれで最後でーす」


 なんとか買えました。店員さんの声にほっと胸を撫でおろした次の瞬間、背後から小さな悲鳴があがりました。


「あぁっ……」


 反射的に振り返ると、すぐ後ろに並んでいる男性と目が合います。


「あの……どうか、されましたか?」

「あ! いえ、お恥ずかしい……その、売り切れかと思いまして」


 あー、季節限定のずんだ餡の事ですね。納得した私はちょっと考えてから店員さんに声をかけました。


「すみません、ずんだ餡を一つキャンセル出来ますか? 代わりにクリームを一つお願いしたいのですが」

「えぇ! そんな、申し訳ない!」

「大丈夫です! ここのたい焼き、とっても美味しいですから。お気持ちは大変良く分かります」


 その男性はとても丁寧な物腰でしたが、左側の耳朶と言わず耳の上の方までたくさんのピアスが着けてあります。最初に見た時は少しだけギョッとしてしまったのですが、そんな方がたい焼きの売り切れに動揺するなんてと、ちょっと意外な印象を受けました。

 ブラックのジャケットを着ている他はゆったりとしたシャツにスラックスを合わせています。休日の気ままなお散歩ついでに立ち寄ったという所でしょうか。歳の頃は私と同じか、もう少し上くらいかと思われます。


「ありがとうございました」

「いえ、こういう時はお互い様ですから!」


 会釈して列を離れる時、照れたように頭を掻く仕草に合わせてピアスからぶら下がった細いチェーンが揺れるのが見えました。私は、少しでも怖そうなどと思ってしまった自分を恥じます。きっとたい焼き屋さんの列に並ぶような人に悪い人はいません。

 まだ温かい紙袋を胸に抱えながら、ポンと音を立てて傘を開きました。


 *


 チン。トースターが鳴り、たい焼きのリベイクが出来たことを知らせました。ほかほかのたい焼きを抱えて事務室の扉を開ければ、モニタの前で難しい顔をした勧修寺先生と、眉間に皺を寄せながら古書を捲る颯くん、領収書の束を前に唸る胡桃沢さんの姿があります。月末を感じる風景です。


「そろそろお茶にしませんか? たい焼きがあるんですよ」

「やぁ、有難いねぇ」

「……駄洒落か?」

「やめろやめろ、拾うな」


 やれやれといった風情でそれぞれが身体を伸ばしつつ部屋の中央のミーティングテーブルに集まって来ます。勧修寺先生は粒あん、胡桃沢さんはチーズと、予想通りのたい焼きに手を伸ばす様子を見て、私はちょっと楽しい気分になります。

 ずんだ餡のたい焼きに手を伸ばしかけた颯くんが何かに気付いて手を止めました。


「限定のやつ、なんで一個しかないんだ?」

「……気付きましたか」


 昨日あった一幕を説明しつつクリーム入りのたい焼きに手を伸ばすと、颯くんは少し躊躇ってから残ったずんだ餡のたい焼きを手にして、それを半分に割りました。


「ほらよ」

「え?」

「アンタも限定のやつ食べんだろ」


 差し出されたたい焼きの頭の方は、美味しそうな薄緑色のずんだ餡がたっぷり入っているのが見えます。

 えーと。そんなに卑しそうな顔をしていたでしょうか。お恥ずかしい。

 限定フレーバーを楽しみにしていた事は事実でしたので有り難く頂いて、お返しにクリーム入りのたい焼きの半分をお渡しすると、颯くんの「俺はもういい」が始まり、「まぁそんな事言わず」「だから、いいって」などといつもの攻防が繰り広げられます。とても平和です。こんな平和な時間がいつまでも続けば良いのにという淡い願望は、砕けてしまうのが残念ながらセオリーです。


 お茶の時間を終えて、それぞれがまた仕事に戻ります。今日は珍しく出張依頼も入っていないようです。私は勧修寺先生にお借りした本に目を通すことにしました。

 本の内容は「調伏」についての資料になります。先日の焼き鳥屋さんで颯くんが人知れず修行をしていると聞いて居ても立っても居られなくなり、私も何か技術を修得出来ないかと先生にご相談したところ、こちらの本を紹介して頂きました。

 いわゆる専門書になりますので内容はかなり難しいと思いますが……思いますが、なんとか齧り付いていきたい所なのです。


「どう? 進んでるかな」

「内容は難しいですが……何か掴めたらと」


 一般的に調伏とは、いわゆる悪さをする存在を説法や真言などによって改心させ、更には使役を行うという……そちら界隈では割とポピュラーな技術らしいのですが。

 先日、祓いに伺ったとあるお屋敷で、そのお屋敷自体の付喪神に遭遇し、どうやら調伏を行えたらしい、という場面がありました。……ありましたが、あれはほとんど偶然のようなもので、これをまた意図して使役出来るようになるのかは未知なる所です。


「一度は成功しているのだし、きっと上手く出来るようになるよ」

「ありがとうございます、頑張ります!」


 モニタの前で頬杖をついていた颯くんが鼻で笑うのが聞こえました。


「気安く付喪神っつっても神ではあるからな。慎重にいけよ」

「はい、ありがとうございます」


 お礼を言うとそっぽを向いたので、これは照れているんだなと分かります。颯くんは言葉と態度に乱暴な所があるので以前は怖いように思った事もありましたが、本当は強くて優しくて、気遣いもできる人なのです。

 さて置き、調伏に関しては颯くんにも技術がないので、難航しているのは事実です。


「お手本になる人に心当たりが無いわけじゃないんだけどねぇ」

「やめろ。あんなのが手本になるもんか」


 先生の言葉に颯くんが顔を顰めたのをまるで合図にでもしたように、事務室の扉がノックされました。

 来客の予定は無かったはずですが。急いで立ち上がって扉を開けると、そこには驚くほどの美少女の姿がありました。

 白く透き通った肌はまるで西洋人形ビスク・ドールのよう。ハッキリとした目鼻立ちと髪と瞳の色が淡いことから、おそらく外国の血が混ざっているのだと推測されます。黒いふんわりとしたワンピースと、同じく黒いレース地のケープを纏い、足元は編み上げブーツ。そして胸には十字架を下げています。

 あまりの事に口を開けたまま固まっていると、彼女はため息を吐いてから事務室の中へと踏み込みました。圧倒されて思わず後ずさってしまいましたが、そう言えば部外者は入室禁止でした。止めなくては。そう思ったのも束の間、三人の反応からどうやら顔見知りの方なのだと分かります。


「相変わらず辛気臭い部屋ねぇ」

「あ、御厨みくりやさんだ。久しぶりだね」

「げっ」

「うわ……」


 先生が誰にでもにこやかなのはともかく、そして颯くんが誰にでも愛想がないのもともかく、胡桃沢さんまでが微妙な反応をされているのが気になります。

 御厨さんと呼ばれた美少女は、部屋の中を見渡してから私に向き直りました。


「あなたが新しく入った人?」

「あ、ええと、梅小路と申します」


 御厨さんは、腰に手を当てた姿勢で、私を頭の先からつま先までじっくりと眺めました。


「……ふぅん」


 恐らくかなり歳下のお嬢さんだと思うのですが、威圧感が、とてもお強いです。どうしたら良いかわからないまま、ただただ自分の額に汗が滲んでくるのを感じていると、廊下を走る音がして誰かが部屋に飛び込んできました。


「エリィ!」

「遅いわよ、廣太郎こうたろう


 ブラックスーツ、左耳にたくさん着けられたピアス、サラサラの黒髪。肩で息をしているその人には見覚えがあります。


「昨日の……」

「……あっ! たい焼きの!」


 そうです。たい焼き屋さんの前で出逢った彼との、まさかの再会なのでした。

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