ご主人様と私。おんなじ屋根の下で暮らせる幸せ。

 ――私は夢を見ていた。いつものじゃないな。おいしいおやつを食べたりおさんぽする夢じゃない。


 深い森の中にひとり佇んでいる。首筋を通り抜ける風が髪を揺らす。ここは神社の境内なの? 見たことのない景色に私はとまどいを覚えた。


「やめて、そこから飛び降りないで!!」


 これは自分が叫んでいる言葉なの!? 必死で誰かに呼びかけている。視界に映る自分の前には、地面に突っ伏したままの男の子が驚いた表情でこちらを見上げていた。彼のかたわらには脚立が横倒しになっている。太い枝振りの木からだらりとぶら下がるロープ。


 私は瞬時に理解した。少年はみずから命を絶とうとしていたんだ。そして彼の命を救ったのは……。


 オリザが少年を助けたんだ。


 夢の中の自分にとってかけがえのない存在の彼が、絶望したまま逝くなんて絶対に許せなかったから。


「君はいったい誰だ なぜ僕を助けたの?」


「私の名前はオリザ。あなたが最後に見る景色が絶望に染まったままなんてあまりにも悲しすぎるから」


「僕のために君は悲しんでくれるの?」


 呆然としたままの少年の表情に生命の彩りが次第に戻ってくる。自分がまだこの世に存在していることを確かめるように……。


 その顔をみた瞬間、堪えきれずに涙があふれてくる。ああ、私はまだ彼を失っていない。自然と言葉が口を突いた。


「……あなたはひとりぼっちなんかじゃない。だって月はいつもわたしたちを明るく照らし出してくれるから」


 辺り一面を月光が優しく包み込む。森の木々の隙間から漏れた光が、お互いの頬に浮かぶ涙の軌跡を明るく照らし出した。


 そこで目が覚めた。夢の中でも私は少年にむかってオリザと名乗っていた。確かに自分なのにまるで誰かの記憶に入り込んだような感覚。


 ぼんやりした頭の中にもうひとりのオリザが戻ってくる。そうだ私は子犬なんだ。悲しい想いはもうしたくないから……。


 わん!! 天真爛漫な鳴き声を上げる。そして誰からも愛される子犬のしぐさをするんだ。そうだよ私はオリザ。おりこうさんにするから可愛がってね。


「おい!! やめろ。僕の顔を舐めるな。くすぐったいだろ」


 私が寝ていたふかふかのベッド。急に毛布ごと誰かに身体を抱きすくめられ、思わず相手に抱きついてしまった。そのまま押し倒して馬乗りの格好になる。


 いのせんと!? きっと彼が私の新しいご主人様だ!!


 驚いて悲鳴を上げた相手の顔をみた瞬間、なぜだか私は確信してしまった。同時にわき上がる懐かしい想いに突き動かされ衝動的に彼の顔をぺろぺろと舐めてしまう。そろそろ限界だ。子犬のオリザの興奮を抑えきれない。


「君は誰なんだ!? なぜこの部屋のベッドで寝ているの!!」


 お願いね、子犬のオリザ。あんまりはしゃぎすぎないで、ご主人様に最初から嫌われないように気をつけて。



 *******



 ……新しいご主人様のにおい。私はお鼻をクンクンさせて思いっきり吸い込んだ。あれっ!? 不思議だな。初めて会ったはずなのになんでオリザのことを好きなにおいがするのかなぁ。あんまり嬉しすぎてお鼻が変になっちゃったの?


 それも好きのにおいが恋人のなんてきっとなにかの間違いだ。


 そうだ、おりこうさんにしなきゃ。最初が大事って誰かが言っていたから。まずは自己紹介だ。


「……オリザ」


 わん!! 良く出来ました。


「えっ、オリザって、もしかして君の名前?」


「そう私の名前。……あなたがご主人様なの」


 わかりきっていることをわざと聞いてみる。


「き、君はちゃんと話せるんだね」


 驚いて目を丸くするご主人様。可愛いっていったら失礼かな。それは言わないでおこう。


「……オリザ、行く場所がない。おりこうにするからご主人様とここで暮らしたい」


 あれっ、嬉しいのに涙が出そうになるのはなぜだろう。圧倒的に懐かしいこの気持ちはどこから来るの?


 ご主人様は私の言葉に悩んでいるようだった。やっぱり最初からはしゃぎすぎたのかなぁ……。嫌だよ、このままお別れなんて絶対にしたくない。


「わかったよ。君を追い出したりなんかしない」


「……わん」


 ご主人様の言葉を聞いて本当は飛び上がるほど嬉しかったんだ。けれどもはしたないとは思われたくない。必死で気持ちを押し殺した。だけと頬の端がゆるんでしまう。とっても嬉しいよぉ……!!


「いっしょにこの部屋で暮らそう。君のお世話係は今日から僕なんだから」


 やった!! 思わずご主人様の胸に飛び込みたくなる。だけど必死で我慢した。これからたくさん可愛がってもらえるから。


「ここが今日からオリザのおうちになった。ご主人様といっしょでとても嬉しい」


 やっぱり嬉しすぎるから前の誓いは取り消しする。私はご主人様の胸に思いっきり飛び込んだ。


 鼻が効くのがオリザだけで本当に良かった。ご主人様に私の好きのにおいを悟られたら恥ずかしいから……。


 わん♡


 次回に続く。

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