第3話 もはや、おとぎ話というより、ただの『ですます調』では?
「よう、チルさん。久しぶりだな」
「ああ、お互いSNSでは見かけていただろうけどな」
チル太郎が、スポーツバー『ナワ=バリ』の入り口の外で落ち合ったのは、がっしり引き締まった身体に白い歯を浮かべた、ケンケンこと
「で、どうしたんだいきなり。っていうか店の中に入ってくればいいのに」
「いや、そういう訳にもいかなくてさ」
チル太郎は苦笑いで背後を指差します。
そこには、青汁を十杯呷ったような渋~い顔の猿川さん。
「嫌ですよ。スポーツも陽キャもお酒もムリなのに!」
と言って、エレベーターホールに置いてある観葉植物の影から出てきません。
大きなセルフレームのメガネが、まるでそういう蝶みたいに葉の間から覗いています。
「……誰? あれ」
「ちょっとなりゆきで連れまわしてる子。まあ、それはいいとして」
と猿川さんのことは特段説明せずに、「ちょっと相談があるんだけどさ……」とチル太郎はシーシャバーでの一幕を語って聞かせました。
「なんだそりゃ。
話を聞いた犬二くんは片方の眉を吊り上げて言います。
「茫洋としすぎてて、分かんねえな。ただの大学生連中じゃねえの?」
「いや、もっと歳上も混じってた。男はともかく、女性の年齢を見間違えるようなことはないよ」
「キッショ」
「きっしょいな。あと、絶対間違えてるしな」
「う、うるさいやい! ちょっと言ってみたかっただけだい!」
チル太郎は深く傷つき、二度と同じ発言はしないと誓うのでした。自業自得ですね。
二人の冷たい視線を振り払って、チル太郎は続けます。
「学生かどうかはともかく、あの感じはどこかの飲み屋からハシゴでなだれ込んできた感じだった」
「まあ、どっちでもいいがよ。それなら、こんなところをほっつき歩くんじゃなくて、そのシーシャバーの近くの飲み屋を片っ端からの覘いて回るのが、するべき順番なんじゃねえの」
「おお、さすがに出来るビジネスマンは切れ味が違うな」
「よせやい。顧客の相手に比べれば、こんなこと造作もないぜ」
「うわ腹立つ……」
猿川さんのボソッとしたつぶやきは、幸か不幸か誰にも届かず、話は先に進みます。
「話が早いのはありがたい。早速だが、そのしらみつぶし作戦を手伝ってもらいたい」
「は?」
「だって、手間じゃん。飲み屋街だぜ? あの辺に何軒店があると思ってんだよ。いちいち事情を話す俺の身にもなってくれよ」
「俺にやれってのか」
「そういうのに慣れている分、効率がいい」
暴論ですね。
犬二くんは当然、嫌な顔をします。
「ヤだよ。だいたい、俺いまこっちの飲み会の席を外してここにいるんだぞ」
当然の文句を口にする犬二くんに、チル太郎は目と口を三日月形に歪めて近づきます。
「……バックレちまえよ」
「はぁ!?」
いきなりのそんな言葉に、思わず大きな声が出る犬二くん。
チル太郎は「いいから、いいから」と続きを聞かせようと耳に口を近づけます。
大きな声に、またビクッと反応していた猿川さんは、やっぱりかわいそうです。
「今日、野球のWBC予選だろ? あそこでみんな観てるの」
チル太郎が指差す店内では、大きなスクリーンや、あちこちのモニターに野球の試合が映し出されています。
店内の誰もがその行方に一喜一憂の大盛り上がりです。
「さっき、ちらっと見た感じだと、今日は日本の圧勝ムードみたいじゃねえか。どうせ、試合が終わってもどんちゃん騒ぎで、途中で抜けたやつのことなんて、誰も気にしないって」
チル太郎の蛇の様な甘言が犬二くんの身体を這いまわります。
チル太郎は、犬二くんこと『ケンケン@バリバリ働く二児の父!』が大のサッカー好きであり、スポーツなら何でも、を謳っているものの、本当は結構好みに偏りがあることを見抜いているのでした。
「野球はさぞかし退屈だろう? 抜けちまえよ。今だって、もう十分以上離席してるんだから、もう誰も覚えちゃいないって。端っこのやつにちょっと伝えておけばあとは大丈夫だって、ホラ」
「う~ん……」
耳許に囁かれる甘い誘惑に、犬二くんは腕を組んで考え始めてしまいました。
そうなったら、あとはもう一押し、とばかりに嬉しそうな表情で、チル太郎がさらなる追い込みを掛けます。
「しかも、今日ならカネ払わずに出ても大丈夫だって。なんてったって日本の大勝利の日なんだから。試合終わってから飲む酒の方が多いだろうし、誰も後から徴収しようなんてしないよ」
「そ、そうか……?」
ゆっくり、どこに根拠があってそんなに自信満々なのか、という仕草で頷くチル太郎。
さも、経験あり、みたいな顔をするのが重要だと信じているのでしょう。
かくして、犬二くんにはその攻め方が通じてしまいました。
「おーし、分かった。丁度退屈を感じてたのはその通りだしな。ちょっと一言だけ断って来るわ」
犬二くんはそう言うと、するっと店内に入り、目立たないように何でもない風に元いたテーブルの端に行くと、一人に何か耳打ちしています。
「あーあ、もしこれでトラブルの種になったらどうすんですか」
猿川さんは呆れ顔でその様子を見守っています。
「知るか。そんなの、決めたのは本人以外の何者でもないだろ。それに、あいつの口のうまさなら上手いことやるだろ」
「うわぁ、無責任が清々しくさえあるわ……」
猿川さんにドン引かれても、チル太郎は堂々としています。
ちょっとは申し訳なさそうにしなさい、チル太郎。
「よし、こっちはもう大丈夫だ。余計な誰かに見つかる前に、とっとと出ようぜ」
戻ってきた犬二くんは、言うが早いか、エレベーターのボタンを既に押しています。
エレベーターが上がってくるまでの微妙な間を待つ三人。
「あ、ちなみにさ、関係ないんだけど、きび団子ってどう思う?」
「きび団子? べつにどうとも……お土産で買ってくる奴がいたら『センスねえなあ』と思いながらも美味しく頂くくらいじゃねえか?」
「だよなぁ」
「おう、なんの話?」
「いや、まあ、そのくらいの温度感だよな、って確認」
「何のための確認なんだよそれは」
「さて、次の目標地点も決まったことだし、ほら、HaNAさん行くよ」
「私、帰っちゃダメなんですか?」
「まあまあ、乗りかかった船じゃないの。おもろいもんがもしかしたら見られるかもよ」
「はぁ……私はチルい読書タイムを過ごしてただけなのに……」
「お、チルといえば、ちょっと途中で寄り道してもいいか?」
犬二くんが何か思い出した様子で手を打ち鳴らします。
突然の大きな音にビクッと肩を震わせる、かわいそうな猿川さん。
「あんまり長くならないならな」
チル太郎はちょっとだけ不満顔をします。
「ちょっと店に寄るだけだよ。アウトドア用品のお店で『バーディ・ハウス』っていうんだけどさ」
「アウトドア? こんな夜に?」
「注文してた品が入ったらしくてさ。週末にキャンプ行くから受け取っときたいんだよ」
「お、キャンプか、いいね」
チル太郎は、誰かのキャンプに借りた道具でついて行ったり、バーベキューだけ参加して帰ったりするのが大好きな、寄生キャンパーでもありました。
「どこでやんの?」「他に誰いる?」などと詳しく訊きだそうとします。
そして、その右手は、すぐに逃げ出そうとする猿川さんの首根っこを掴んだままです。
「結構近くじゃん。行こう行こう」
週末の寄生キャンプが決まったチル太郎は、ご機嫌な様子でニコニコとグーグルマップを確認しました。
チル太郎たちが次に目指すは、数ブロック先の雑居ビル(完全に寄り道)。
さてさて、次回も乞うご期待。
〈続く〉
CHILL太郎 スギモトトオル @tall_sgmt
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