第35話 漆黒の騎士

「はぁはぁ……くそぉ!! なんで、こんなぁ……!!」


 煤だらけの頬を伝う汗を拭いながら、俺は左手をだらりと垂らした。

 さっき噛まれた左肩がズキズキと痛む。

 ダメージがあっても、アルビオネの魔法力が尽き、もう回復してもらうことさえできない。

 周囲には、逃げ場がないほどの炎の海。

 そして、目の前には、ガルム共の群れだ。

 本来、獣は火を嫌がるはずだが、一蓮托生のつもりか、あるいは、自分達だけは助かる算段でもあるのか、一向にこの場を去ろうとする素振りはない。

 万事休すだった。

 くそっ、魔石をもっと手に入れようなんて、欲をかかなけりゃ……。 


「あ、ああ……」


 普段は気丈な魔法使いのイオンが、膝から崩れ落ちた。


「馬鹿野郎!! さっさと立って、攻撃魔法で牽制しろ!!」

「む、無理だよ。もう魔法力が……」

「ちっ、どいつもこいつも……」


 曲がりなりにも戦えるのは、もう俺しかいない。

 こんな状況でも、シンがいてくれればどうにかなったはずだ。

 あいつなら、こんな魔物の群れ、一人でも蹴散らしてくれたはずだ。

 だって、あいつは勇者だからな。

 特別な、神に選ばれた人間だ。

 生まれた時から、俺たちのような、凡庸な人間とは違う。

 だから、最初から釣り合わなかったのだ。

 それなのに、俺たちはいつしか、あいつの力を自分たちの力かのように錯覚していた。

 その結果がこの様だ。


「俺たちも、ミサの奴と同じだったってわけだ」


 漆黒の天を睨む。

 あいつにとって、無価値なのは、ミサも俺たちも変わらなかった。

 だから、ガルムの群れに焦ったイオンが、魔法の制御をミスして、森に火を放ってしまった瞬間、あいつは俺たちを見捨てて、一人で姿を消した。


『もうお前達は必要ない』


 そう言葉を残して……。


「ガァアアッツ!!」

「くそがっ!!」


 飛びかかってきた1匹のガルムに向かって剣を振るう。

 疲労とダメージで、普段よりもずっと遅くなった剣は、ガルムの身体を捉えることはなく、俺はそのままガルムの前脚で押さえつけられた。

 人間の肉を欲しているのか、鋭利な牙が覗く口を大きく開くと、透明なよだれがしたたった。


「ローシュ!!」


 イオンの声が聞こえる。

 すまねぇな。

 どうやら、俺はここで……。


 ドンッ!!


 その時だった。

 諦念と共に目を閉じた瞬間、ふと押さえつけられていた肩が軽くなった。


「間一髪だったな」


 どこかで聞き覚えのある声。

 ぼんやりと開いた目に飛び込んできたのは、炎の色を反射しながら佇む、漆黒の騎士だった。

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