第34話 ラルダの回想録
これは、私が施設にいた頃のお話――。
緑に囲まれた、田舎のような場所に少し大き目な施設があった。施設は人が生活するには十分清潔で、子ども達が室内外問わず走り回っていた。
「こら‼ 部屋の中で走り回るんじゃありません‼」
「シスターが怒った!」
「逃げろー‼」
「待ちなさい! 絶対に逃がさないわよ‼」
シスターイレーヌ。規則を重んじながらも、子どもの相手は全力でしている施設長。今日も幼い子ども達を追いかけ回していた。
「うっ……うっ……」
「もう泣くのを辞めたらどうだ、オデッサ」
「だって、エヴァが、ここを出るって」
「めでたいことじゃないか。おめでとう、エヴァ」
「ありがとう、ラルダ。オデッサ、泣き止んで」
「エヴァぁぁぁ!」
ぎゅっとオデッサがエヴァに抱き着く。
エヴァは施設の中でもしっかり者で、私と一緒によく子ども達の面倒を見ていた。エヴァと私は赤ん坊の頃から施設にいることがあって、ここにいる歴は長い。
「明日だったよな。里親が迎えに来るのは」
「えぇ。シスターが遠縁の人を見つけてくれて。生活に困らない暮らしができるって聞いたの」
「それは良かった」
シスターイレーヌは、子ども達を預かった身として、受け渡す里親を一生懸命探してくれる素晴らしい人だった。できる限りその子の血縁者を見つけ、里親の話をするのだという。無理に押し付けるような交渉はせず、あくまでも子どもの幸せを第一優先で動いているような人だった。
もちろん、これは子どもの身元が分かっていることが前提条件だ。身元がわからない子どもは子どもで、シスターが奮闘して素晴らしい里親を見つけてくれる。
いつか聞いたことがある。どうしてそんなに頑張るのかを。
「あなた達は捨てられたんじゃなくて、私が預かったのよ。だから責任を持って送り出す義務があるの」
どこか自慢げにそう言い切る姿は、シスターの強い意志を感じさせた。心根の強かなシスターを尊敬するのに、そう時間はかからなかった。
泣き止んだオデッサは、しばらくすると私の手を引いて、部屋の隅でこっそりと話し始めた。
「エヴァの送別会? それなら明日やるだろう」
「違うわよラルダ。その前に、私達でびっくりさせるの。私だけ泣いて終わるのは嫌よ。エヴァを泣かせないと!」
「そ、そうか……」
どうやら先程自分だけ大泣きしたのが気に入らないようだ。オデッサに言われて、明日渡す予定だった手紙を準備する。
「キャシーさんに許可を取って応接室を借りることにしたの。今日は来客がないからね」
キャシーは施設の事務的仕事を手伝う女性だ。シスターほど子どもと関わることはないが、実は彼女が子ども好きなのを私は知っている。
「いい? ケネスに部屋に連れてくるよう頼んであるから、とりあえず隠れるのよ」
「隠れるって……」
「いいから!」
オデッサに手を引かれて掃除ロッカーの中に隠れる。ロッカーをほんの少しだけ空けて、隙間から部屋の中が見えるようにした。
「準備万端だわ。あとはエヴァを待つだけね」
暗闇の中で意気込むオデッサに微笑むと、足音が聞こえだし始めた。
「! 来たわね」
「いや……これは大人の足音だ」
「え?」
シスターにしては、足音が多すぎる。違和感を抱きながら息を潜めれば、部屋の扉が開いた。
部屋に入って来たのは、シスターと高そうな服を身にまとう男、そして彼に使えているであろう付き人の三名だった。恐らく貴族の男で間違いないが、一体何をしに来たというのだろうか。
貴族とシスターが対面するように座る。
「……本日はどのようなご用件でしょうか」
「養子を取ろうと思っておりましてね」
「養子を……」
場の空気が重たいのが見て取れた。シスターが貴族に好意的でないのは確かだ。
「あぁ。私に似た子を養子として迎えたくてね。……青い髪の子はいないだろうか?」
(青髪……エヴァだ)
エヴァは綺麗な青い髪をしている少女だ。その髪目当てで養子にしたがる小金持ちはいたが、シスターはことごとく拒否していた。エヴァの幸せにならないと言って。
「ね、ねぇ」
「しっ」
心配そうなオデッサの声が聞こえたが、慌てて口をふさぐ。今はここにいることを知られてはいけないのは明らかだった。
「……そのような子はおりません」
「そうか……施設を外から見た時は、見えた気がしたのだが」
「気のせいかと」
(エヴァはもう里親が決まっている。これを隠すってことは、シスターがあしらえないほどの高位貴族、という訳か……)
息を潜めながら状況を理解する。それと同時に、恐ろしいことに気が付いた。
(まずい、このままだとエヴァが――)
そう思った時には、既に扉が勢いよく開かれた。
「おーい! エヴァを連れてきた……あれ、シスター。お客さん?」
ケネスがハツラツとした声で扉を開けた。視線が一気に扉に集まった。そして同時に、青髪の子――エヴァが貴族の目に留まる。
「ケネス! エヴァ! 出て行きなさい‼」
青ざめたシスターが、二人を慌てて追い出す。隠すようにバタン‼ と扉を閉めた。
しかし、それはもう手遅れだった。虚しくも貴族の声が響き渡る。
「あぁ、あの子だ。あの子を養子としてもらおう、シスター」
ぐっと歯を噛み締めるシスター。貴族は余裕そうな表情で、にこりと微笑みながらシスターに要望を告げた。
「先程の話は聞かなかったことにしよう。速やかに手続きを済ませてくれ」
先程の話。恐らくシスターがエヴァを隠すために吐いた嘘のことだ。
「……あの子は既に、里親が決まっております」
「それなら倍の金を出そう」
「……お金の問題ではありません。既にあの子の親は決まっているんです」
シスターは、この目の前の貴族にエヴァを渡してはならない。そう思ったに違いない。私も似たような空気を察した。貴族は品定めをする視線しか送っておらず、とても子どもを養子にして育てたいという思いは感じられなかったのだ。
(シスター……‼)
シスターの優しさと勇気が痛いほど伝わってくる。立ち振る舞いから推測するに、相手はかなりの高位貴族のはずだ。それにもかかわらず、子どもを守ろうとしてくれる姿はこみ上げてくるものがあった。
「……ふむ、金ではないと」
「そうです。私は子ども達の幸せを願っております」
「心外だな。あの子は私の養子では幸せになれないと?」
「どう受け取っていただいても構いません。ですが、あの子は――エヴァを貴方の養子にすることは認められません」
断言するシスター。ふうっとため息を吐く貴族は、諦めがついたのか、すっと立ち上がった。
「賢明ではない判断だな」
「構いません」
「それなら仕方ない」
(……‼)
諦めた、だなんて考えてはいけなかった。その瞬間、貴族は銃を取り出してシスターに向けた。私は反射的にオデッサの視界を覆う。貴族が引き金を引いた瞬間、シスターと目が合った。
「ごめんなさい」
バンッ‼
その声を書き消すかのように、銃弾はシスターの頭を撃ち抜いていた。
「………………」
(!!)
シスターは声を発する間もなく倒れ込んだ。そこから血が大量に流れ始める。
「申し訳ございません。お手を汚させてしまいました」
「いや、いい。うるさい女だ、始末しておけ。」
「かしこまりました」
「さっきの娘……エヴァと言ったか? あの娘を我がオブタリア公爵家の養子にする」
「かしこまりました、サルバドール様」
幼い私には、飛び出すことはできなかった。止めに入ることができなかった。ただ、シスターイレーヌが撃たれる瞬間を、無力にも見続けることしかできなかったのだ。
(シスター……シスターが……!!)
ぐっと手のひらに力を入れながら、あふれだす怒りを抑えていた。抑えなければ、我を失ってあの男に飛びかかってしまいそうだったから。それができなかったのは、必死にオデッサが抱きしめてくれたからだ。
(サルバドール……!!)
絶対に忘れはしない。シスターの仇を。私の復讐心は、この日を境に確固たる思いとして芽生えたのだった。
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