第35話 奥底に沈んだ望み
決して忘れることができない、痛く苦しい記憶を、私はアシュフォードに包み隠さず語った。
「……あの後、結局エヴァは連れていかれた。抵抗することはできず、シスターの死もなかったことになった。……それが、何よりも許せなかった」
権力によってもみ消されたのは明らかで、当時の私には太刀打ちできるものが何一つなかった。
「ずっと……仇を取ろうと、復讐をしようと……それだけを考えてきた。長い道のりになるとわかっていたが、それでもかまわなかった」
「ラルダ……」
殺さない暗殺も復讐の一手だった。いつか必ず、サルバドールに報いを受けさせる。全てはその一心で行っていたことだった。
「……言っただろう、アシュフォード。殺さなかったからと言って、彼らが恩を感じる必要はないと」
「……」
「私だって私利私欲のために、標的であった彼らを利用したに過ぎないんだ」
アシュフォードは私のことを評価してくれたが、私はその高い評価に見合うことは何もできていない。この事実を、アシュフォードも理解しただろう。
「ラルダ。どうして理由を一つに絞る?」
「え……?」
「言ったはずだ。ラルダに助けられたという事実は変わらないと」
「……だが」
「別にそこに綺麗な理由は求めていないさ。重要なのは、ラルダが殺さなかったという事実だからな」
「――っ」
正直、復讐の話をすれば私に対する印象が変わると思った。幻滅、まではいかなくとも結局私も私欲のために動くような人間だと、軽蔑されると思っていたのだ。
「それに、復讐の何が悪い? ラルダの感情は正当なものだ。オブタリア公爵は、ラルダに首を取られるだけのことをした。奴こそ暗殺されるべきだ」
「アシュフォード……」
肯定までされるとは思わなかった。予想外の反応に、どうしていいかわからなくなる。
「復讐自体を肯定するわけじゃないが、ラルダの意思は尊重したい。ラルダ。君は今まで人を殺してこなかった、そう言ったな?」
「……あぁ」
アシュフォードは私の手に自分の手を伸ばして取ると、じっと見つめた。
「それなのに。その綺麗な手を、オブタリア公爵ごときで汚すのは俺が気に入らない」
「だ、だが」
「だから、ラルダに提案があるんだ」
「提案?」
私はサルバドールを殺せるなら、この手を汚しても構わない。その言葉は、アシュフォードによって遮られてしまった。
「オブタリア公爵は、法で殺す」
「……法で?」
「あぁ。奴はそれだけのことをしてきた。弁明の余地がないほどにな」
「そんなことが可能なのか」
「王家派だって沈黙を貫くつもりはない。今はずっと機会を伺っている」
王家派は着々と貴族派を引きずり下ろす準備をしており、各家の不正や他国への情報漏洩などの証拠が集まってきているとのことだ。
「それでも動けないのは、オブタリア公爵を断罪できるほどの証拠が少ないからだ。これさえ揃えば、貴族派及びオブタリア公爵を失墜させ処刑することができる。奴はそれだけのことをしたからな」
法でオブタリア公爵を殺す。それができたらどんなに良いだろう、そう何度も考えたことがあった。しかし、一介の平民が公爵を法で処するなど不可能そのものだった。
だから、必然的に選択肢から消えていたというのに。
「ラルダ。オブタリア公爵は、君の手を汚すような価値はない」
「……」
「それに、法で殺すことになれば、間違いなくオブタリア公爵家は潰れる。没落では済まされない。……その方が、よっぽど復讐にならないか?」
まさか、その方法が提案されるとは思いもしなかったのだ。
私は人を殺したことが無くても、たとえ罪に問われたとしても、必ずサルバドールを殺してやると決めていた。それしか道がなかったから。
しかし今、別れ道に立たされてしまった。こんなことは予想外だった。
(……私はどうしたいんだ?)
わからなかった。殺すことしか考えたこなかったからこそ、何が正解か導き出せなくなっていた。
「ラルダ……」
「アシュフォード」
気が付けばアシュフォードは私の隣に移動しており、そのまま腰を落とした。
「……わからないんだ。自分がどうしたいのか」
「すぐに答えは出さなくていいんだ。ラルダが何年も抱いていた思いは、そう簡単に変えられるものじゃない」
あくまでも私の意思を尊重するアシュフォードの声色は優しいものだった。
「だからゆっくり考えてくれ。……もし、ラルダが俺の案を選んでくれるのなら、俺は全力でその願いを叶える」
「…………」
「ただ、これだけは覚えておいてくれ……ラルダ。殺すだけが復讐じゃない」
そんなに力強く断言されてしまうと、揺らいでいる心は一気に傾いてしまう。
(……首を取ることだけが、復讐じゃない)
落ち着いてきた心が、冷静な判断力を取り戻していく。アシュフォードの言葉によって、固執する意味がないのだということに気付かされた。
(……それだけじゃない)
あの日だって……アシュフォードの暗殺依頼を受けた日だって、殺ろうと思えばサルバドールを殺せた。それだけの力量はあった。……でも、できなかった。
(私は……殺せないんじゃない。殺したくなかったんだ)
この手に血をつけること。それが怖くて、恐ろしくて。だからこそ“殺さない暗殺者”なんてものをしていたんだ。
港町で得たサルバドールを殺せる二度目の機会も、理性を飛ばしてやっと殺気を出すことができた。
(そこまでしないと動けないことを、アシュフォードは見抜いている)
見抜いた上での出た発言だと思った。アシュフォードは今も、私の方を優しい眼差しで見つめ続けている。
(……私は、人を殺すには平和な記憶に染まりすぎた)
何せ過去三回は、暗殺も人殺しからも程遠い平和な世界で生きてきた。法に守られてきた、そんな人生だった。
だからこそ、アシュフォードの“法で殺す”は理解できる。むしろそれがいいとさえ思ってしまった。
(……私の奥底で望んでいた答えを、アシュフォードが引き上げてくれた)
ふっと力なく笑う。喜びと自分への呆れが入り混じったような笑みだった。
「アシュフォード」
「あぁ」
「……私がしたいのは復讐だ」
アシュフォードの瞳をしっかりと見つめると、そう断言した。この言葉に嘘はない。
「……だけど、私が自分でサルバドールを殺すことにこだわる理由はない」
「ラルダ……」
「だから、アシュフォードの案に乗らせて欲しい」
すると、アシュフォードは再び私の手を取って微笑んだ。
「もちろんだ。必ずオブタリア公爵を処断しよう」
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