シバけ!煩悩の犬
夏野資基
シバけ!煩悩の犬
「我が国はいまだかつてない存亡の危機にある」
千年続く王国の一室で、左大臣と右大臣による深刻な会議が始まりました。
左大臣と右大臣は、一番偉い王様に仕えている人たちです。老齢ですが時流に則した政策を提言できる左大臣と、年若くも老若男女に人気で政策を首尾よく実行できる右大臣によるコンビです。彼らは王様の左腕・右腕として王国に多大な貢献をしてきました。
しかし、そんな優秀な彼らに支えられてきた王国が、今や存亡の危機だと言うのです。いったい、どういうことなのでしょう。
「国民の忍耐も、そろそろ限界です。でっちあげた増税の理由も、嘘だとバレはじめています」
「しかし、民に本当のことなぞ説明できんじゃろう」
「くそっ、あの女さえ居なければ……」
「わらわを呼んだかァ~?」
「き、貴様! 傾国の美女!」
左大臣と右大臣が声のするほうへ目を向けると、部屋の扉の近くに、傾国の美女が立っていました。
傾国の美女は、百人中百人が振り向くであろう美貌の持ち主です。ですが今は片手に一升瓶を持ち、赤ら顔で酒くさい息を吐きながらゲラゲラと笑っているので、いろいろと台無しでした。
「なんじゃその口の利き方はァ。今やわらわは、そなたたちよりも偉いのじゃぞ? 土下座しろ土下座~!」
部屋に入ってきた赤ら顔の傾国の美女に、左大臣も右大臣も、悔しそうに土下座をします。傾国の美女は王の計らいにより、王の次に偉い位を得ていました。左大臣と右大臣は、傾国の美女に従うしかありません。この国では、自分より偉い人には絶対服従なのです。
右大臣は土下座をしながら、ぎりりと歯を食いしばりました。そうです。王国が存亡の危機に陥っているのは、この美女の所為なのです。
傾国の美女は、お酒が大好きで、酔っぱらうと鞭で男をシバきはじめる、酒癖の悪い女でもありました。それだけなら問題ありません。だって酒癖の悪い美女なんてどこにでもいます。
問題は、その美女に捕まったのがこの国の王様で、しかも王様の性癖が、ちょっとアレだったことでした。
「ほら、そなたも入ってこんか」
傾国の美女がそう言うと、部屋の外から精悍な顔つきの男が顔を出しました。ですが、なかなか部屋に入ろうとしません。
「ちっ、言う事も聞けんのかこの駄犬がァ~!」
そう言うと、酒に酔った傾国の美女は男の腕を引っ張り、強引に部屋の中へ連れ込みました。
そうして部屋に現れた男は、なんと、上半身裸で、犬の首輪をつけた、この国の王様だったのです。
王様は、恥ずかしいのでしょうか。なんだかもじもじしています。
「駄犬には仕置きじゃあ~! そ~れっ!」
そう言うと、酔っぱらった傾国の美女は鞭を取り出して、王様の背中をシバき始めました。部屋にバチィィィンと大きな音が鳴り響きます。とても痛そうです。
しかし、王様の反応は違いました。
恍惚に満ちた表情で、犬のような鳴き声を上げて、とても喜んでいるのです。
そう、実は王様は、『美女に鞭でシバかれると気分が高揚する』という、厄介な性癖を持っていたのです。
そんな無様な王様の姿を見て、右大臣は泣きたくなりました。
昔の王様は、こんなのじゃありませんでした。先代の王が成し得なかった海外交易を成功させ、国を大きく発展させました。国民の声を真摯に受け止め、みなが暮らしやすい国に変えてくれました。歴代で最も優秀な王と言っても過言ではありませんでした。
しかし王様は、傾国の美女のせいで変わってしまいました。
傾国の美女に鞭でシバかれたいという気持ちで、頭がいっぱいになってしまったのです。
王様は傾国の美女にシバいてもらうために、重い税金を課して国民から金を巻き上げました。巻き上げた税金でお酒を沢山買って、傾国の美女にどんどん貢いでいきました。酒好きの美女は大喜びです。酒をしこたま飲み、酔っぱらって、酒癖の悪さで王を鞭でシバき倒します。性癖の極まった王様は大喜びです。
こんなの、国内外にバレたら大問題です。
「この国は最早わらわのものだなぁ~。そうは思わぬかぁ~?」
傾国の美女が、酒くさい息を吐きながら右大臣に語りかけます。
「……お前さえ居なければ」
右大臣は憎々しげに美女を睨みます。しかしそんなの、酔っぱらいには効きません。
「なんだぁ~? わらわと勝負でもするか? ぎゃ~っはっはっは! いつでも掛かってこ~い。どんな内容でも受けて立つぞ~!」
傾国の美女はそう言って、ゲラゲラ笑いました。
右大臣は、王様が大好きでした。王様の力になりたいと思って、必死に勉強し、今の地位にまで辿り着きました。
右大臣は、初めて王様と会話した時のことを思い出します。右大臣の顔を見るやいなや、照れくさそうに目を逸らして「……よろしく」と呟いた王様を見て、この人のために死ぬまで働こうと思ったのです。右大臣は、あの頃の王様を取り戻したくて堪りませんでした。
どうにかして、傾国の美女を倒そう。
左大臣と右大臣はお互いに目を合わせると、そう決意したのでした。
「というわけで大酒飲みたちを招集してきたのじゃ」
「なんで?」
「こちらは今年の世界大酒飲み大会で優勝した
「よろしくね坊や」
「こちらは僅差で二位だった
「王宮に招かれるなんて光栄ですね」
「こちらも僅差で三位だった
「が、頑張りますぅ……」
「こちらは残念ながら入賞を果たせなかった四位の
「ちょ、ちょっと待ってください左大臣」
たまらず右大臣は左大臣の話を
「なんじゃ右大臣」
「なんですかこの人たちは」
右大臣は紹介された人たちを指さして、そう言いました。
部屋には十人の男女が集まっていましたが、その光景は異様です。
なんと全員が、同じ名前で同じような格好、同じような体型、同じような顔だったのです。
「
「そんなことある?」
「究極を目指すと同じ結論に辿り着くこともあるのじゃろうて」
右大臣にはよく分かりません。それってただの無難では?
「こやつらで、傾国の美女に酒飲み勝負を仕掛けるぞ。こやつらが傾国の美女よりも多く酒を飲めば、わしらの勝ちじゃ。流石に傾国の美女も世界トップクラスの大酒飲みには勝てんじゃろうて」
「大丈夫かなあ……」
しかし、今のところ、他に方法はありません。左大臣と右大臣は一刻も早く王様を取り戻して、国を存亡の危機から救う必要がありました。
なので、とりあえずやってみることにしました。
その日の午後、右大臣主導のもと、王宮内で呑一族と傾国の美女の大酒飲み大会が開催されました。
始まりの鐘が鳴ると同時に、呑一族も傾国の美女も、みんな高い酒をがぶがぶと飲んでいきます。
「あああああ国民の血税が」
「今は耐えるんじゃ右大臣……傾国の美女を倒すためには必要な犠牲なのじゃ……」
左大臣と右大臣は、大会の行方を見守ります。
そうして、二時間ほど経った頃でしょうか。空の一升瓶が会場を埋め尽くすほどになると、左大臣と右大臣に予想外の事態が起きました。
なんと、集められた大酒飲みの呑一族が、「もう飲みきれない」と、酒で膨れた腹を抱えて次々と脱落していったのです。
「まさか、これほどの強者が居たなんて……」
そう言って、世界大酒飲み大会三位の
「我が一族を越えるとは……この女……いったい……」
そう言って、世界大酒飲み大会二位の
「無念……」
そして遂に、世界大酒飲み大会優勝の
対する傾国の美女は、まだまだ元気です。
「なんじゃ、もう終わりか? 弱っちいのお~! おい! もっと酒を持ってこ~い!」
なんて、赤ら顔で豪快に笑っています。
傾国の美女は、みんなの予想以上に大酒飲みだったのです。
作戦は失敗に終わりました。
「まさかあれほどの大酒飲みだったとはのう……」
「なんてこった……」
左大臣と右大臣は、会場の
そんな二人のことなんかどうでもよさそうに、傾国の美女は酒を飲みながら上半身裸の王様を鞭でシバいて遊んでいます。王様も、美女にシバかれて嬉しそうです。
そんな光景を見て、右大臣は顔を上げます。
「次の案を考えましょう」
そうです。項垂れてる暇なんかありません。一刻も早く昔の頃の王様を取り戻すのです。
「しかし何をどうすれば勝てるのやら……」
「安心せい。次の案ならあるぞ」
「本当ですか? さすがですね左大臣」
「のじゃのじゃ。次の案は……」
左大臣の言葉に、右大臣は期待に胸を膨らませます。いったいどんな案が出てくるのでしょう。
「傾国の美女にはなあ! 傾国の美男をぶつけるんじゃよ!」
「……え?」
「というわけで
「なんで?」
「こちらは政治家連中を
「君という美しい月の傍らには、僕こそが相応しい」
「こちらは皇女たちを次々に寝取って最終的に皇族を全滅させた男、
「やあ子猫ちゃん」
「こちらは中二病と陰謀論で国民を煽って無意味な戦争に向かわせた男、
「邪眼の封印が……解かれるッ……」
「左大臣、あんた遂にボケたのか?」
右大臣も、さすがに突っ込まずにはいられません。
「失礼な。まだまだ現役じゃわい」
「こんなので上手くいくかなあ……」
自信満々な左大臣とは対照的に、右大臣は不安でいっぱいです。すると傾国の美男たちが、右大臣を取り囲みました。
「僕たちじゃ不安かい?」
「心配性な子猫ちゃんだな……」
「お前はまだ知らぬのだ。この世の真実を……」
「ふぇぇ……」
傾国の美男に取り囲まれ、右大臣は思わず赤面してしまいます。さすが傾国の美男たちです。言ってることは意味不明でも、なんだかみんなキラキラしています。
「こやつらに傾国の美女を
「そんなことより僕を助けてください左大臣……」
傾国の美男に囲まれた右大臣は、そういえば自分たちは政治が専門で、他はてんでからきしだったな……と致命的なことを思い出しました。
でも、とりあえずやってみることにしました。
その日から、右大臣主導のもと、さっそく傾国の美女篭絡作戦が始まりました。
しかし、作戦は上手くいきませんでした。原因は簡単なことです。
傾国の美女と傾国の美男たちが、結託してしまったのです。
「今宵の君は、随分と大胆だねッ」
「こんな面白い子猫ちゃんは、初めてだぜッ」
「チャンネル登録と高評価、よろしくお願いしますッ」
傾国の美女はそんな光景を
「ぎゃ~っはっはっは! この国には馬鹿と阿呆しか
「くそっ、あいつら王様になんてことを!」
止めに入ろうとした右大臣に、左大臣が待ったをかけました。
「待つのじゃ右大臣」
「なぜです左大臣」
「思い出すのじゃ。王は確か、『美女に鞭でシバかれると気分が高揚する』という性癖だったはず」
「……そうか! つまり『美男にシバかれる』のは、王様の性癖ではない! 王様が正気に戻る可能性もあるということですね!」
「のじゃろり」
しかし、事はそう上手くいってくれませんでした。
王様の性癖が、開拓されてしまったのです。
王様も、最初は傾国の美男たちにシバかれるのを嫌がっていました。だって王様には男にシバかれる趣味はありません。鞭でシバかれて、普通に痛がっていました。
しかし、シバかれ続けるうちにだんだんと、傾国の美女にシバかれている時と同じような高揚感が、王様の胸の裡に湧き上がってきたのです。
この高揚感は、なんだろう? そんなことを考えていると、だんだんシバかれる痛みが遠のいて、ただただ喜びだけが、王様の心を満たすようになりました。
そうして気付いたら、傾国の美女にシバかれている時と同じように、頬を赤らめ、犬のような鳴き声を上げて喜ぶようになっていたのです。
こうして王様は、『美女に鞭でシバかれると気分が高揚する』のではなく、『美女や美男に鞭でシバかれると気分が高揚する』性癖になってしまったのでした。
作戦は失敗に終わりました。
「王の性癖がアップデェトされるのは予想外じゃった」
「どうしてこんなことに……」
左大臣と右大臣は、玉座の間の
右大臣は、今度こそ絶望しました。傾国の美女たった一人にすら上手く対処できなかったのに、傾国の美男がしかも三人も増えてしまったのです。おまけに、王様の性癖も余計に拗れてしまいました。こんなの王国を運営する側からしたら、ただの地獄です。
今も玉座の間では、傾国の美男たちが、傾国の美女と一緒になって、王様を鞭でシバいて遊んでいます。バチィン、バチィンと、大きな音が鳴り響いています。
右大臣はその光景を見て、またしても泣きたくなりました。だって尊敬する王様が、美女にシバかれて喜ぶだけでなく、美男にシバかれて喜ぶようにまでなってしまったのです。
尊敬する大好きな王様のみっともない姿を、これ以上見ていられません。
右大臣は懐から短刀を取り出し、左大臣にこう提案しました。
「こうなったらもう……傾国の美女たちを殺すしかないのでは?」
左大臣が慌てて諫めます。
「なにを言っておる」
「だってあいつらさえ居なくなれば、王様は元の王様に戻るじゃないですか。……そうですよ……僕があいつらを殺せば……王様は戻ってくるんだ……」
短刀を構えた右大臣の目は血走っていました。もはや正気とは言えません。
右大臣は王宮での仕事を全うするため、古代の歴史を勉強したことがありました。古代では、『お国のために!』と言って人を殺すことが流行っていたそうです。右大臣は、そのことを知っていました。
なので、とりあえずやってみ……
「殺しだけは絶対にいかん!」
左大臣の怒声が、玉座の間に響き渡りました。左大臣の声を聞いて、傾国の美女たちもおやおや? と大臣たちのほうを見ます。右大臣もビックリして正気に戻りました。今までこんなに怒った左大臣は、見たことがありません。
「おまえは、先人たちの積み上げきた努力を無にするつもりか!」
「で、ですが左大臣……」
「わしらの先祖は、長く戦争を繰り返した。一部の為政者たちの私利私欲のために、多くの国や人々を巻き込んで、長い間くだらない殺し合いを繰り返したのじゃ。得たものはあったが、それ以上に喪ったものが多かった。家族、友人、故郷、社会、信仰……先祖たちが何十年何百年と積み重ねてきたものを、殺しは一瞬で無にしてしまう。わしらの先祖は、何千年もの時間をかけて、人殺しがまかり通らぬ世界を作ったのじゃ。じゃからもう、二度とそんな野蛮な時代には戻ってはいけないのじゃ」
「なら……なら、どうすればいいんですか! このままだと、本当に国が滅びてしまいますよ!」
「う、うぬう……」
二人は、再び頭を抱えてしまいました。
残念なことに、左大臣と右大臣の二人には、現状を打破する方法がまったく思い浮かびません。だって、性癖の極まった王様と、傾国の美女と傾国の美男たちを、なんとかしなければならないのです。有史以来おそらくどんな国も遭遇したことのない地獄です。解決なんてとても出来そうにありませんでした。
右大臣は己の力不足に、悔やし涙を流します。このまま大臣たちは、国が滅びるのを待つしかないのでしょうか。
そうして二人が絶望していると、なんと、驚くべきことが起きました。
王様が、傾国の美女たちを置きざりにして、左大臣と右大臣のもとにやってきたのです。
「右大臣」
「……王様!」
王様に呼びかけられ、右大臣は感激して涙をこぼしました。だって王様が数年振りに人語を喋ったのです。
「王様……もしかして……正気に戻ってくれたのですか……!」
「そなたに頼みがあるのだが……」
「はっ! なんなりと!」
右大臣は涙をぬぐって、王様の命令を待ちます。だって敬愛する王様がやっと正気を取り戻してくれたのです。右大臣は期待に胸を膨らませました。いったいどんな命令を出してもらえるのでしょうか。
しかし王様は、右大臣の期待を打ち砕きます。
鞭を差し出して、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、こう言ったのです。
「右大臣。そなた、我をシバいてくれないか」
「………………え?」
「先ほどの、短刀を構えるそなたの表情がな。その……正直かなりヨくてだな……」
「………………………………………………え?」
実を言うと、右大臣は、傾国の美男たちなんか比じゃないほどに非常に顔が整っていました。
それこそ、王宮で出会ったときに、王様が右大臣に一目惚れしてしまうほどに。
こうして王国は、存亡の危機を脱しました。
税金も一般的な額に戻り、国民も一安心です。
王国の脅威だった傾国の美女も、これ以上酒が飲めないと分かると、退職金をたんまり貰って田舎に帰っていきました。傾国の美男たちも、形勢が逆転したことを悟ると、そそくさと自分たちの居場所へ帰っていきました。
左大臣も、ほっと胸をなで下ろします。
王国には、平和が訪れたのです。
王宮には、今日も鞭の音が響いています。
右大臣が、王様をシバく音です。
シバかれている王様は、犬のような鳴き声をあげて、とても喜んでいます。対して、右大臣はどうでしょう。王様をシバきながら、悲しみの涙を流しています。
「いったいどうして、こんなことになってしまったのだろう?」
右大臣は王様をシバきながら考えます。自分はまっとうに働いて王様の力になりたかったのに、そのために努力してきたのに。王様から命じられるのはシバくことだけです。どうしてこんなことになってしまったのだろう?
「そうだ、権力が集中するからいけないんだ」
王様の権力を小さくして、国民一人一人に権力を分配しよう。
そうすれば、国がたった一人の所為で間違った方向に進むことも、その所為で自分のように誰かが犠牲になることも、無くなるんじゃないか? みんなで進む道を決めていけば、間違いを無には出来ずとも、減らすことは出来るんじゃないか?
そうだ、それがいい。そうしよう。
右大臣はのちに、王様をシバいてシバいてシバき倒して、大規模な改革を成し遂げました。そのおかげで、怠惰な国民たちが分配された権力を行使せず国を滅亡させるに至るまで、国は長く繁栄しました。
彼はのちに『
めでたし、めでたし。
(了)
シバけ!煩悩の犬 夏野資基 @natsunomotoki
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