第12話 沙羅とベートーヴェン


 ソフトボールチームは徐々に参加者を集めて、活動が活発になってきた。沙羅は五輪塔ごりんとう地区に居ついてしまって、時々宮城のある那珂なか市に出向いていた。

国王や側近たちは、内心苦々しく思っていたが那珂市に強制的に留め置く理由はない。

その沙羅は、3Cチームに選手として参加していた。スリムな沙羅は、同じような背丈の3C女子に混じわると見分けがつかなくなる。

活発な3Cに触発されたのか、3Bがソフトボールチームを立ち上げた。対抗意識剥き出しで、高橋すず先生が監督だ。

だが、すず先生、まったくの素人で運動神経も悪く指導者としても、まったく役に立たない。そこで、指導教官として赴任しているB特務員、山根素男もとお、軍の階級は少尉をコーチに招へいした。

山根は秀才の努力肌、理論家でもある。天才肌の雅史のちゃらんぽらんな槍剣術に歯が立たないことに、いつも煩悶はんもんしストレスをため込んでいた。

雅史はというと、勝手にライバル視されてわずらわしいが、指導者としては理論的で分かり易く、優秀な教官と見ていた。自分のようなカンでの技術は教えにくい。自分には、教官は不向きと分かっていたのだ。


 

 沙羅はというと、暇にあかしてピアノを弾いていたら「私に教えて欲しい」という者が続出し、それではと音楽を教えることになった。

音楽の教科を持ったら、「3年だけ、教わってるのはズルい」という声が出た。それでは、となって「一堂に集めて、コンサートをなさったら」との進言を取り入れ、体育館を会場にしてのリサイタルを開くことになった。


「音楽ホールとかが、ありません」


関係者が恐縮するのを、沙羅はなだめた。


 

沙羅とピアノが体育館の真ん中にあって、その周りに200人近くの中学生が取り囲み座り込んでいた。沙羅の希望だ。

渋った衛兵たちは、沙羅の周り床に直かに座っている。

気候的には夏、冷房は無い。開け放った窓からの風がわずかな救いだ。


 

 「え~私、司会進行を務めさせていただく3年C組の組長、阿部綾といいます。今回、鈴木沙羅王女さまが、音楽会うを開いて頂ける運びとなりました。感謝申し上げます。では、沙羅さまから一言」


「え~、鈴木沙羅です。今日はお暑い中、お集りいただきありがとうございます。私のつたないピアノが、どれだけ皆さまのお慰めになるか分かりませんが、誠心誠意ピアノを弾きます」


「それでは、曲目は何ですか」


「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ『月光』です」


「うん、素敵ですね。それでは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ『月光』です」




ピアノ・ソナタ 第14番嬰ハ短調 作品27の2『月光』


1、アダージョ・ソステヌート


それは、ゆっくり始まった。多くの悲しみを背負い込んだような、重々しくも厳粛な調べ。泣きたくなるような、沈み込んで行くような、それでいていたわりに満ちた心に染み入るような幻想的な調べが素晴らしい。魂を鎮める曲。鎮魂歌のようだ。


 沙羅はというと、目に涙を溜めているみたいだ。よほどの思い入れがある曲なのだろうか。

聴衆は、荘厳な美の世界を目撃していた。


2、アレグレット


一転、明るい陽だまりを散歩するような、明るい曲。緊張が解け、弛緩を思わせる楽しい調べ。


3、ブレスト・アジタート


突如の早いテンポに始まり、と、速足となり間欠的に鋭く重い激烈な打鍵が走る。

波動がうねり、鋭く高く、重々しく、強く、目にもとまらぬ速さで指が動きメロデイが走る。

何かが憑依したかのような鬼気迫る演奏に、体育館は張り詰めた緊張感で満たされていた。

神業かみわざとしか思えぬ叩きつけるような素早い指さばき、髪を振り乱し飛び散る汗、狂瀾怒濤きょうらんどとうの音階の波動、うねるメロデイ。

そのスリムな、なよっとした身体のどこに、そんな強靭な力が潜んでいたのか、圧倒的に迫りくる魂の波動に、聴衆はただただ呆然と陶然と聞き入った。


両手を目いっぱいかぎ爪のように開き、叩きつける素早い打鍵は、異様な狂気さへ感じさせる。


やがて長いアジタートは、一際高く打鍵が弾むと大団円へと収束して行った。


曲が終わっても、体育館は静まり返っていた。

やがて、一泊遅れの感動の拍手と大歓声が沸き上がった。全員が立ち上がっている。

しばらく、拍手が鳴り止まなかった。


 

「凄いですね。鳥肌が立ちましたよ」


「ありがとう」


沙羅は、タオルで吹き出る汗を拭って、短めの髪を後ろに撫でつけていた。


「まるで、ベートーヴェンのような髪型ですね」


渡された水を美味しそうに飲んでいた沙羅が、むせてしまった。


「あなたね、いう事の事欠いて・・・・」


綾は失礼があったか無かったかは、意に介さないようだ。


「どんな手をしてるんですか。見せてください」


綾は差し出された手を表裏返し、しげしげと見入った。


「なるほど、女にしてはイカツイ」


「傷つくなあ。これでも、ちょっと気にしてるんだけど」


「あっ、すみません。余計なことを・・・・」


会場に苦笑がもれた。


「俺、その手でぶたれたんだぜ~」


「うるさい。入ってくるな。あなたがしゃべると、話がいかがわしくなる」


「それはないだろ~。これでも一応先生なんだからさあ~」


「そんなことより、アンコールは無いんですか」


会場からは、綾に呼応してアンコールという言葉が次々と上がった。その声は、会場全体に広がった。


「ねっ、みんなそう言ってますし」


「そうね、では同じくベートーヴェンで『エリーゼのために』を」


「それ知ってます。いい曲ですよね」


 『エリーゼのために』

誰もがどこかで聞いている曲。美しく優しい旋律が流れ、会場は陶然となった。

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