第08/11話 プラットホーム

 椎島毅乃はしばらくコースを進んだ後、立ち止まって周囲を見回し、ナスン缶を捜した。

(うーんやっぱり見つからな──あっ!? あれは!?)ミラーボール。(なによ紛らわ──ああっ!? あれこそ!?)銀色の十字架。(ああもうぬか喜びばっか──あああっ!? あれこそまさしく!?)アルミの水筒。(まったくいったいどこまで流されて……ん?)ナスン缶。(……んん!?)ナスン缶。(見間違いじゃない、ナスン缶だわ……!)

 さっそく毅乃はナスン缶のある所を目指した。少し移動してからコースの縁を越え、側面から伸びている支柱に乗る。以降は、横方向の支柱の上を歩いたり縦方向の支柱を滑り下りたりして目的地に向かった。

 途中、視界の片隅に拡張現実技術によるメッセージボックスが表示された。錦司からの着信を知らせるものだ。リストバンドを操作し、通信を開始した。

「椎島、こちら玉子橋。聞こえるか?」錦司の声は耳の人工鼓膜で受け取っている。

「こちら椎島」自分の発した声は義歯の小型マイクに拾われ、通信相手に送られている。「聞こえるわよ」

「こっちの状況だが、車河を無力化して3KNカードを奪還することに成功した。すでにA地点に行き、3KNカードを積んだドローンを出発させている。二時間くらいで基地に着くはずだ。

 そっちはどうだ? 司令部から話を聴いたんだが、どこぞのプール施設で大暴れしているらしいな? 言っていたぞ、なんとかいうテレビ番組の撮影クルーに椎島たちの争いを目撃されてしまって、口止めが大変だと」

 毅乃は自分の置かれている状況を説明した。

「よし、わかった。おれも加勢しよう。今から蘇梗アクアランドに向かう。到着するまで蒲辺にナスン缶を持ち帰らせないようにしてくれ」

「わかったわ、ありがとう。通信を終了するわね」

 毅乃は通信を打ち切った。引き続きナスン缶のある所を目指す。

 途中、小型のローラーコースターのようなギミックを見かけた。流れてきた素麺をライドに乗せ、曲がりくねったレールの上を走らせるという趣向だ。

(あれ? あそこに描かれているロゴって巴牟はむ製作所のものよね。ということはこのギミックを作ったのは巴牟製作所かしら? 遊戯機械も取り扱っていることは知っていたけれど……やっぱり意外な感じがするわね。わたし、いえ、九仁擬にとって、巴牟製作所と言えば軍需品のメーカーだから。半年前の事件の時だって──)

 半年前、巴牟製作所の社長の娘が佐比葵に拉致された。佐比葵は人質の返還と引き換えに、巴牟製作所が開発した新型戦闘機の譲渡を要求した。毅乃はその人質救出作戦に参加し、単身で佐比葵の基地に乗り込み、見事に娘を救出したのだった。

(巴牟社長にはとても感謝されたわ。「困ったことがあったらぜひ言っとくれ」「わしやわしの会社にできることであれば何でもやるぞ」と言われて、プライベートのメールアドレスや電話番号まで教えてもらっちゃった。まあ貸しを作っておいて損はないわ、もし九仁擬に切り捨てられるようなことがあったとしても、巴牟社長の助けは得られるかもしれないし)

 やがて毅乃はプラットホームに下り立った。アースゾーンの床から三メートルほど高い位置に広がっているスチール製の床で、上から見ると長方形をしている。真ん中を手前から奥に通るようにしてコースが埋め込まれていて、先端は途切れて滝のようになっていた。その下には巨大なざるや落ちてきた水を受け止めるためのプールが設けられていた。

(ここが流し素麺コースの終点なのね)

 コースの左右、ホームの上にはさまざまな物が設置されていた。綺麗なガラス細工の大きな器。その近くにある台の上に据えられている縦型の円筒タンク。双腕のブームの先に巨大な箸が付いている油圧ショベルのような機械。

(これらは納涼祭で使われる予定の物でしょうね。参加者は機械に乗り込んで、箸を操縦し、流れてくる巨大素麺をすくう。すくわれた素麺が器に入った後、タンクから麺つゆが注がれる。そんなイベントが準備されているに違いないわ)

 箸機械は二台あった。南から北に向かって伸びているコースに対し、手前の西ホームに一号機が、奥の東ホームに二号機が設置されている。キャビンには屋根は設けられておらず、座席は簡素な丸椅子だ。どちらもバッテリー駆動のようで、二号機のほうだけ電源が点いていた。

 ナスン缶はコースの中、二号機の前に転がっていた。参加者がアトラクションを楽しめるよう、素麺が速く流れていかないようにするためか、ここら辺の水流はとても緩やかになっている。おかげで缶はほとんど同じ場所に留まっていた。

(とにかくナスン缶を回収しないと……)

 西ホームの南西あたりにいる毅乃は、東に向かって進み、コースの中に下りた。一号機の前を通り過ぎ、ナスン缶のある所に到着する。取っ手を掴み、拾い上げた。

(よし、じゃあ外に──)コースの縁に視線を遣った。(……けっこうざらついているわね。登ろうとしたら怪我しちゃうかも。少し戻りましょう)

 毅乃はその場でターンした。ナスン缶を左手に提げ、上流を目指して歩きだした。

 背後から、ういいん、という機械音が聞こえてき始めた。無視しそうになったが、いやどうして聞こえるの、いったい何の機械の音なのよ、と嫌な予感がして、急いで振り返った。

 振り返って正解だった。自分めがけて突進してきた物体を右手で掴み、その物体と腹との間に挟むことで、受けるダメージを軽減させられたからだ。

(何よ──!?)

 毅乃は後ろにジャンプし、さらにダメージを和らげた。ナスン缶の取っ手が左手からすっぽ抜けた。

 拾いに行きたい衝動に駆られたが、とにかく突進物から距離をとることを優先した。コースの底を踏みつけさらに後ろに跳ぶ。着地してから、いつでもガードできるように両手を構えつつ顔を上げた。前方の様子を確認する。

 毅乃めがけて突進してきたのは巨大な箸の先端だった。二号機の左のブームから伸びている物だ。キャビンには戈音が乗り込んでいた。

(蒲辺……!?)一瞬だけ驚愕したが、すぐに動揺を打ち消した。(なるほど、大怪我を負ったのが左脚だけで両腕が無事なら、箸機械の操縦は問題なくできるってわけね……! 諦めない心というか、ゴキブリみたいなしぶとさというか)

 毅乃は感心したり呆れたりしながら立ち上がった。今、戈音の箸機械は、南西──一号機のほうを向いていた。箸でナスン缶を摘まみ上げようとしている。滑らかな金属製の円筒であるせいか、ひどく苦戦していた。

(あの箸、けっこう素早く動かせるみたいね。むやみに突っ込んだら返り討ちに遭ってしまうわ。……というか、蒲辺はナスン缶をゲットした後はどうするつもりなのかしら? 左脚があんなことになっているんじゃ、まともに逃げられないと思うんだけれど)

 毅乃は戈音の様子を観察した。座席の足下に何かが置かれていることに気づく。

(あれは……小型のジェットパックかしら? なるほど、ナスン缶を手に入れたら宙を飛んで撤退するつもりなのね。きっと佐比葵が寄越したドローンに載せてあったトランクにでも──)

 甲高い金属音により思考が中断された。戈音が下に動かした箸の先がナスン缶の下端に当たり、跳ね上げたのだ。缶は北に向かって宙を飛ぶと、西ホームに着地して転がり、最後にはコースの中──二号機よりやや北側──に戻って止まった。戈音はキャビンを右に回転させて北西を向くと、再び箸を操作し始めた。

(そうだ、わたしも一号機を使って蒲辺を攻撃できないかしら?)

 毅乃は西ホームに上がると一号機を目指した。戈音による妨害を心配したが、杞憂だった。相変わらずナスン缶を摘まみ上げようとして悪戦苦闘している。

(蒲辺は他人の気配をとても鋭敏に感じ取ることができるわ。わたしが近づいてきたら必ず気がつく。だから安心してナスン缶に集中できているのね。わたしが飛び道具の類いを持っていないことは、今までの戦いを通してすでに勘づいているでしょうし)

 一号機に着いた毅乃はまず機械を調べた。

(蒲辺はとうぜんこの納涼祭について詳しくなんてなかったでしょうけれど、でもああやって二号機を取り扱えている……どこかにマニュアルか何かが置かれているに違いないわ)

 あまり苦労することもなく目当ての物が見つかった。ラミネート加工された何枚かのA4用紙に操縦方法が書かれている。子供の参加も想定されているようで、とてもわかりやすかった。

 マニュアルを読み終えるとキャビンに乗り込み、コントロールパネルのパワーボタンを押した。そこそこ大きな起動音が鳴り始める。早く操作したいと思い、試しに左スティックを倒してみたが、まだブームも箸も動かなかった。

 数分後、起動音が一気に小さくなり、同時に緑ランプが点灯した。操縦可能になったという合図だ。

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