第07/11話 急襲

 蒲辺戈音は縦方向の支柱の陰から顔を出し、毅乃の様子を観察した。コースの底に正座して俯き、なにやら苦しそうにしている。近くにはナスン缶や銀洋鐘の破片が転がっていた。

(ドローンとの戦いで負傷したのでしょうか?)

 戈音はアースゾーンの床にあるドローンの残骸に目を遣った。その時、テレビ番組の撮影クルーがいなくなっていることに気づいた。

(まあ当然ですわね。もしかしたら最初は何かしらのスクープに遭遇したとばかりに撮っていたかもしれませんけれど……遅くとも佐比葵のドローンがサブマシンガンを撃ち始めた時点で逃げ出したはずですの)

 戈音は支柱の陰から出た。各種の支柱を伝って移動する。

(今のうちに攻撃を仕掛けてやりますわ! もう仕込み銃は弾切れで使えませんけれど、わたくし、射撃よりも打撃のほうが得意ですのよ!)

 戈音は横方向の支柱の上を駆けだした。支柱の先はコースの右側面に繋がっていて、接続部分の向こう側、コースの中には毅乃がいた。相変わらず右を向いて正座し、俯いて苦しそうにしていた。

(コースの縁を跳び越えたらそのまま頭を蹴りつけて首をへし折ってやりますの……!)コースの右側面の数メートル手前に到達した。

 毅乃が動いた。素早く上半身を起こして体を右に捻り、右手を左から右に、ぶんっ、と振った。

 戈音の眼球やこめかみ、眉間などに、ばちゃあっ、という衝撃が加わった。反射的にまぶたを閉じる。すぐに開いたが、景色はぼやけていて目は沁みるような痛みに見舞われていた。

(水で目潰し!? 不味いですわこんな所で食らっ──)体が左に傾いた。(くっバランスを──いやまだ視覚は回復していませんわ立て直すのは不可能──ならば!)

 あらん限りの力で支柱を踏みつけた。前に向かって大きく跳ぶ。

(なんとかコースの中に飛び込んで──せめて縁にしがみついてやりますわ!)

 戈音は多少の痛みにかまわずまぶたを擦り、水を拭った。視界が比較的クリアになった。

 目の前には手があった。毅乃の繰り出した掌底だと気づくのに時間はかからなかった。

(──!)

 腕を取ってやろうとしたが間に合わなかった。掌底を顔面に食らう。口や鼻に鈍痛が響き渡り、骨にひびの入る感覚があった。コンマ数秒遅れてようやく手を顔の前に遣れたが、すでに毅乃は掌を引っ込めていて、むなしく空を切るばかりだった。

 体が後ろに向かって縦回転し始めた。コースの右側面に膝をぶつける。アースゾーンの床めがけて落ちだした。

(何か掴まる物は──!?)

 戈音は辺りに視線を巡らせた。だが何も見つけられなかった。掌底を受け止めた時に出た涙により景色がぼやけているせいもあった。

(とにかく目を──!)

 戈音はまぶたを高速で開閉した。視界が少しだけ明瞭になった。

 しかし周囲を見回しはしなかった。左脚に猛烈な衝撃と強烈な鈍痛を感じたためだ。

(──)

 刹那的に思考が空白になった。佐比葵のエージェントとして、苦痛だの拷問だのに耐える訓練はいくつも修了させてきた。それでもだ。

(──がああっ!)

 なんとか〇・一秒も経たないうちに思考力を取り戻すことができた。顔を上下左右に向ける。地面の様子や体勢などを確認した。

(まだどうにかなるかもしれませんわ──!)

 戈音は身を捻った。仰向けになり、背をできる限り床と平行にする。両手を上げると一瞬だけ後ろを振り返り、何秒後に着地するかを予測した。

「──はあっ!」

 タイミングを見計らい、渾身の力を込めて両手を下げた。背が床に、どしいん、と激突するのとほぼ同時に、ばちいん、と床に叩きつけた。

「──」

 決して楽観していたわけではないが、それでも覚悟していた分を大幅に上回るショックだった。目をみはり鼻を拡げ歯を食い縛る。少しも身動きをとれず、そうやって寝転がり続けた。

「……はーっ、はーっ、はーっ……」

 数十秒が経過し、なんとか生を実感できるほどには苦痛が和らいだ。受け身は大成功のようで、意識を失うことも、命に関わる怪我を負ったような感覚を抱くこともなかった。もちろん、まだ体のあちこちが痛んだり痺れたりしていたが、もう深刻に思えるほどではなくなっていた。

 荒れた呼吸を整えながら上半身を起こした。自分の首から下の状態を確認していく。

(右腕OK、左腕OK、胴体OK、右脚OK、左脚──)

 戈音は短く唸った。膝周辺が真ん丸に腫れて人形の球体関節のようになっていた。肌は赤黒く変色し、ずっきんっずっきんっ、という激痛が間断なく響いていた。少なくとも折れてはいるし、一般的な骨折よりひどいことになっているかもしれない。仮に治療を受けられたとして癒えるかどうか。

(これではもう椎島とは戦えませんわね、負けるに決まっています。というより十中八九殺されるでしょう。もはや椎島は、わたくしを気絶させるだけに留めておくか命も絶っておくか自由に選択できる立場なのですから。わたくしが相手では罪悪感の類いも抱きませんでしょうし)

 戈音は天を仰いで毅乃の姿を捜した。毅乃は上のほうを通っているコースの縁から身を乗り出して周囲を見回していた。戈音に水を浴びせるために体を動かした時にナスン缶が流れていってしまったのかもしれない。

(まあ、わざわざわたくしの所に来てまでトドメを刺す、という可能性は低いでしょう。すぐ近くにいるならともかく、今や遠く離れているわけですから。ナスン缶の回収を優先するに違いありませんわ。「もしかしたらまだ武器か何か隠し持っているかもしれない」と警戒もしているでしょうし。いや、そんな物はないのですけれど。

 それに、わたくしの左脚がこんな具合になっていることは椎島も確認しているでしょう。わたくしと同じく「もう戦うことはないだろう」「仮にそうなったところで容易に勝てる」と考えているに決まっていますの)

 毅乃は体を引っ込めるとコースを進み始めた。ナスン缶を見つけられなかったため、とりあえずコースに沿って移動することにしたのだろう。もし見つけられたのなら、コース内にい続ける必要はないからだ。支柱を伝って最短距離で向かえばいい。

(それにしても、椎島の罠にまんまとかかってしまいましたわ。目潰しを食らう直前、椎島が右手に銀洋鐘の破片を持っているのがわかりましたの。それを使って水をすくったに違いありませんわね。攻撃のタイミングは足音を元に計算したのでしょう。

 てっきり、これは罠ではない、とばかり思い込んでいましたわ。椎島はすでにナスン缶を入手していたのです、わたくしを罠にはめて倒すことよりも無事に撤退することのほうが優先事項でしょう? きっと、コースの底に正座した時は本当に具合が悪かったのでしょうね。その後、体調が早く回復したうえ、わたくしが来ていることに気づいたから、引き続き苦しんでいるフリをしてわたくしを誘き寄せたのですわ)

 戈音は顔を下げ、近くに落ちているドローンの残骸のほうを向いた。そばにはトランクが転がっていた。

(とりあえずはあのトランクを調べてみますの。あれに付いている緑色のタグは支援物資を意味する物ですわ。何か現状を打開できるような品が入っているかもしれませんの)

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